2015年3月11日から始まった国際展「Don’t Follow the Wind」(以下、DFW)は、東京電力福島第一原子力発電所周辺の帰還困難区域を会場とし、ひとりの来場者もいないまま、いまもなお開催が継続されている。DFWのガイドラインは同展を「展示会場の立ち入り制限が解除されるまでみにいくことができない」と定めている(*1)。ゆえに本展は、国が設定した帰還困難区域の立ち入りが解除されるその日まで、展示されている作品を鑑賞することができない。
しかし展覧会の開始から5年を経て、DFWはふたつの大きな変化に直面した。ひとつは、3月4日、特定復興再生拠点区域(復興拠点)という名目で、展覧会場であった双葉町の避難指示が一部解除されたことだ。これにより、五輪の延期が決定されるまで双葉駅周辺は、東京五輪の「聖火リレー」のルートとなることが決定していた。聖なる火の通過とともに、県内自治体で唯一全町避難が続いていた同町の避難指示解除は、「福島の復興の新たな段階」として報じられた。しかし現実には、双葉町の避難指示解除はごく限定的であり、町の95%は依然として帰還困難区域と中間貯蔵施設のまま、住民が帰還することは不可能だ。
この立ち入り制限の部分的解除という出来事を受け、今年3月、DFWウェブサイトが公開から初めて更新された。もとより同ウェブサイトは展覧会概要を伝える音声が日英バイリンガルで流れるのみであったが、今回の更新では、そこに会場提供者のひとりであった男性の音声が加わることになった。ここで男性は、一部地域の立ち入り制限が解除されても双葉町は居住できる状態にないこと、そして帰還困難区域内の自宅が取り壊されたことにより、DFWの会場と作品のひとつが失われてしまったことを証言している。
そしてもうひとつの大きな変化は、COVID-19感染拡大防止の観点から全国の美術館やギャラリーが相次いで一時的に休館となり、本展以外にも無数の「見ることのできない展覧会」が遍在するようになったことである。本来DFWはその他多くの「見に行くことができる展覧会」に対する否定的命題として機能していたが、もはやDFWの結末を予想することは誰にもできなくなっている。
そもそも帰宅困難区域とは、原子力災害により放射線の年間積算線量が50ミリシーベルトを超え、5年間を経過しても年間積算線量が20ミリシーベルトを下回らないおそれのある地域を指していた。帰還困難区域の解除とは、そのような汚染された土地の除染と、住民の居住再開とともにあったはずだ。DFWの開催は福島第一原発事故に起因するが、その背景には「中央」による地方の支配と搾取がある。そこへの反省を欠いたまま、五輪という「祭典」を事由に、帰還困難区域の恣意的な運用が行われた。そしてこれを前例として、今後もまた定義の変更が起こる可能性もある。
このようにDFWをめぐっては、とくに帰還困難区域という言葉をめぐる事象が、いまはまだ不可視の展示作品と同様に大きな存在感を持っている。これについて、「グランギニョル未来」のメンバーとして本展に参加している椹木野衣は、以下のように述べている。
原発事故が起きるまで、誰も聞いたことがなかった帰還困難区域という言葉を、為政のための無味な言葉としてではなく、批評の概念として日本語の中で取り返すことが、言葉を扱う批評家の仕事のひとつではないか(*2)
ここで椹木は、人類史上類例のない原発事故から派生した帰還困難区域という言葉を、批評的なタームとして「取り返す」ことの必要を説いている。いっぽうCOVID-19とともに生きなければならない現在においては、「帰還困難」ともに「自宅待機」という言葉もまた、「批評の概念」として再考を迫られているのではないか。
これまで「自宅待機」とは、解雇や懲戒解雇の前置措置として調査や審議が決定するまで出勤を禁止する業務措置のことを指していた。それが為政者から要請されるものになり、全世界的に「Stay Home」が掲げられると、日本では「おうち」という言葉が散見されるようになった。これは言わずもがな、「そと」に対置する「うち」の強調であり、「うち」という言葉が元来内包するもの(自分の属する側、祖先から伝え継がれる血族集団、内裏、天皇)の再帰へとつながるようにも思われる。
ここで想起されるのが、グランギニョル未来による出品作《デミオ福島501》だ。本作は2015年2月にグランギニョル未来のメンバー4名が帰還困難区域の展示場所へと乗り付けた、その車両が用いられている。この車体は一時的な抹消手続きがなされ、車内に様々な「もの」が封じ込められ施錠されることで、作品として展示されている。こうして「かつて車だったもの」へと変わった本作は、来たるべきとき、除染が施され車検とナンバー登録など手続きを経ることで、再び自動車としての使用が可能になるという「復活」が示唆されている(*3)。
いつか帰還困難区域に人々が「帰還」するとき、「かつて車だったもの」は本来の機能を取り戻し、「かつて作品だったもの」となるはずだ。グランギニョル未来のメンバーは「かつて作品だった」その車に乗り込み、2015年2月にたどったまさにその道を下って福島から帰還するのだろうか。そのように考えるとき《デミオ福島501》は、「ふたつの帰還」の結節点にある。本作は、いまはまだ見ることのできない作品の展示というだけにはとどまらない。それは二重の「行きて帰りし物語」の提示である。
しかしながら、その帰還する先、家(うち)が変容しつつあるのがCOVID-19以後の世界といえよう。ところで、本作で用いられている車両が広島で生産されたMAZDA製デミオであることは、もちろん意図的である。MAZDAの綴りは原子炉をも象徴する「火」を司るゾロアスター教の最高神、アフラ・マズダーに由来するとされる。つまり《デミオ福島501》では、ヒロシマからフクシマ、原爆と原発の架橋が試みられている。
そして2020年、「聖火」の移動に伴って帰還困難区域という言葉の定義とともにDFWの成立条件も揺らいだが、これは本作にあらかじめ備わっていたものの顕在化ともとれる。どういうことか。アフラ・マズダーはアスラ(阿修羅)と語源を同じくする。ゾロアスター教における正義と法を司る「最高神」が、インド神話・バラモン教・ヒンドゥー教においては「悪魔」の総称に、仏教においては「悪鬼神」となる。このような言葉の変容という性質を、本作はもとより内包していた。
椹木は『Don’t Follow the Wind 公式カタログ 2015』に寄せた「美術(テロス)と放射・能(エンテレケイア)」において中原中也の詩を引き、DFW展とは放射能汚染という「汚れちまった」土地において「西洋由来の『美術』がいかにして可能かを試す、最初にして最後の機会とならなければならない」と述べている。先にあげた阿修羅はなぜ、戦闘する神、悪鬼神として知られるようになったのか。それは娘の舎脂が帝釈天に凌辱されたことに起因する。だからこそDFWは、《デミオ福島501》を通じて、「汚れへの怒り」をいかにして持続することが可能かという問いをも発しているのではないかと筆者は考える。
もとより、筆者は本展を見ていない。筆者だけではない、誰ひとりとして本展を見ることのできた鑑賞者はいない。しかしそれもまた、いくつもの展覧会が休館期間中に展示会期を終えてしまうということが相次ぐなか、特別な出来事ではなくなってしまった。思い出されるのは、昨年のあいちトリエンナーレの「表現の不自由展・その後」について散見された、実際の展示を見てもいないのに批判をするべきではないという声である。筆者はこれに首肯できなかった。もちろん脅迫は犯罪であり擁護することはできない。しかし、展覧会を見ることそれ自体が、既存の社会制度に強く依存しているということを忘れるべきではない。
「おうちにいよう」が繰り返されるなか、仮想現実などを用いた新たな作品鑑賞が身近なものとなりつつある。このような状況においていっそう、「いまのところはまだ」見ることができないDFWは、展覧会という仕組みが成立する環境と制度、そして条件を問い、批評と美術が持つ想像力を喚起し続けている(*4)。
*1──『Don’t Follow the Wind 公式カタログ 2015』(河出書房新社)
*2──同書。DFWという「現代の廃墟」を通じた椹木の美術批評と日本語の取り組みについては以下のインタビューをぜひ読まれたい。椹木野衣(聞き手=松井茂)「幻視者(ヴィジョナリー)としての建築者(デミウルゴス):3.11以後の列島の〈水位〉」(『現代思想』2020年3月臨時増刊号[総特集=磯崎新]、青土社)。
*3──椹木野衣「美術と時評64:再説・『爆心地』の芸術(30)終わらない国際展 ー Don’t Follow the Wind近況(1)」ART iT
*4──本稿は公式カタログといくつかのネット上の記事を参照して書かれている。現地に赴くことができないなかで本展について書くことの意義は、「信じる」という態度の素朴な表明を超えなければならないと、自戒を込めて記しておく。また、2019年4月から7月まで原美術館で開催された「The Nature Rules 自然国家:Dreaming of Earth Project」展のレビューにおいて、筆者は自然国家展とリアルDMZプロジェクトとDFWの関連にふれた。DFWの展示エリア同様、現在ではDMZもまたCOVID-19からもっとも安全な場所となっている。このような事態からは「見に行く」ということは媒介することなのだということがよくわかる。