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2019.5.13

北緯38度線の分断から見えるものとは何か?
小田原のどか評「自然国家」展

韓国出身のアーティスト・崔在銀(チェ・ジェウン)による「Dreaming of Earth Project(大地の夢プロジェクト)」の構想を可視化する展覧会「The Nature Rules 自然国家:Dreaming of Earth Project」が、東京・品川の原美術館で開催されている。朝鮮半島を二つに分断する北緯38度線地帯を舞台としたDreaming of Earth Projectが日本で紹介される意義とは何か? 彫刻家で彫刻研究者の小田原のどかがレビューする。

文=小田原のどか

展示風景より、中央は崔在銀《To Cal by Name》(2019) 撮影=武藤滋生
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共産主義と資本主義の裂け目で

 1953年7月27日、朝鮮戦争休戦協定が結ばれた。協定は休戦を「最終的な平和解決が成立するまで、朝鮮における戦争行為とあらゆる武力行使の完全な停止を保証する」と規定する。しかし「最終的な平和解決」はまだ実現していない。停戦ラインの北緯38度線から南北に約2キロメートルずつ、DMZ(Demilitarized Zone)と呼ばれる非武装地帯の緊張はいまも続く。人々は引き裂かれ続けている。

 そして、250キロメートルに及ぶ帯状の緩衝地帯は、半世紀以上にわたり人の立ち入りが制限され、貴重な野生動物や原生植物の宝庫となった。現在、DMZには5000種を超える植物が生息しているという。渡り鳥の飛来もさかんだ。半島を二分した共産主義と資本主義の境界、近代の裂け目でこれほど豊かな生態系が育まれたとは皮肉なものだ。しかしいっぽうで、300万個ともいわれる地雷は依然として埋められたままである。2018年に軍事分野の合意が結ばれた現在においても、南北の緊迫した関係を如実に反映する場所であることに変わりはない(*1)。

 このようなDMZを舞台に、アーティスト・崔在銀(チェ・ジェウン)によるアートプロジェクトは構想された。生きとし生けるものすべての共生を願う「Dreaming of Earth Project(大地の夢プロジェクト)」だ。原美術館を会場とした本展では、崔の意志に賛同した建築家、文筆家、美術家、科学者が参加し、DMZでのプロジェクト実現に向けて様々な作品プランや設計の祖型が示された。

中庭に展示された坂茂《「竹のパサージュ」モックアップ》(2019) 撮影=武藤滋生

 ところで、DMZではインディペンデント・キュレーターの金宣廷(キム・ソンジョン)が主導する「リアルDMZプロジェクト」が2012年から継続されている。ソウル市内のアートセンターとDMZの境界に接する村の田園地帯を会場とする現代美術展が催され、併せて学術会議や出版などの多角的な取り組みが行われている(*2)。崔も14年開催の第3回展に参加しているが、同年、Dreaming of Earth Projectを構想した。

 筆者は「リアルDMZプロジェクト」を実見していないので、両者の差異を詳述することはできないが、崔が構想した本プロジェクトには彼女のアーティストとしての来歴が色濃く反映されているように思われる。休戦協定が締結した1953年にソウルに生まれ、76年に来日した崔は、当初、文化服装学院でファッションを学ぶも、草月流いけばなと出会い、華道に傾倒していく。草月流3代目家元で映画監督、草月アートセンター創立者でもあった勅使河原宏に師事し、のちにアシスタントを務めた。植物を用いた造形作品やインスタレーションを手がけるようになり、国際展にも多数参加している。

 85年には草月会館1階のイサム・ノグチの石彫に13トンの黒土を盛ったインスタレーション《Soil》を発表し話題となった。日が経つにつれて土に蒔かれた絹糸草の種が芽吹き、黒々とした土が産毛のようなやわらかな草原に変化していく。国外から持ち込まれた帰化植物と、腐敗した植物が含まれた農作のための土を使い、場所に固定された彫刻という制度に刷新を迫るような試みだ。

 そして2001年には映画『On The Way』を監督した。この作品は北緯38度線を収めた初めての映画である。撮影を経た崔は「人間社会の『閉じた境界』と生物界の『開いた境界』を同時に見せながら、次の世紀での共生をはかる道を探そう」(*3)と述べている。このように崔が長く取り組んできた諸要素によって本プロジェクトは構成されている。

 Dreaming of Earth Projectでは、DMZ内で行う具体的なプランを以下のように提案する。

1.空中庭園・東屋・塔の設置 
2.DMZ生命と知識の地下貯蔵庫 
3.弓裔(クンイエ)都城の森の治癒 
4.地雷除去

 本展「The Nature Rules 自然国家:Dreaming of Earth Project」は、主に上記の1、2、3を可視化したもので、朝鮮戦争の休戦協定やDMZ内の植生についての資料展示も行う。坂茂、チョウ・ミンスク、崔在銀、チョン・ジェスン、川俣正、キム・テドン、イ・ブル、李禹煥、スン・ヒョサン、スタジオ・ムンバイ、スタジオ・アザー・スペーシズ(オラファー・エリアソン&セバスチャン・ベーマン)が参加し、協力者として平野啓一郎や中村桂子らの名前がクレジットされている。

 「1」の基本設計を示したのが坂茂だ。そして坂が設計した空中庭園に点在する12棟の東屋をテーマにした作品提案として、李禹煥(リー・ウーファン)と川俣正はドローイングと模型を、スタジオ・ムンバイ、スタジオ・アザー・スペーシズは設計プランと模型、キム・テドンは写真作品、イ・ブルはドローイングを提示した。

展示風景より、川俣正のドローイング《Big Nest》《Big Nest on the Cliff》(ともに2019)と模型《Nest J-2》《Nest J-4》(ともに2014) 撮影=武藤滋生

 スン・ヒョサンは渡り鳥のための塔をインスタレーションの形式で提案し、チョウ・ミンスク、チョン・ジェスンは「2」の「DMZ生命と知識の地下貯蔵庫」の設計に携わった。これはアートのための施設ではなく、絶滅が危惧される植物の種を保存するシードバンクであり、図書館とは異なる後世のための書籍保存庫である。チョウはプランと模型をインスタレーションの形式で、チョンは論文「DMZ知識保管庫の設計、建築、運営に関するマニュアル」を発表した。

展示風景より、スン・ヒョサン《鳥の修道院》(2017) 撮影=武藤滋生

 そして本展を発案・構成した崔在銀は、映像作品、写真資料を用いた作品、鉄や鏡を用いたインスタレーションを展示している。各プランに共通するのは、現在のDMZにある素材を使うということだ。さらにスン・ヒョサンは「構造が一時的」であることを重視したと解説を寄せているが、それは本展のほとんどのプランにあてはまる。また、人間を地雷から守ると同時に、自然を人間から守るという点にも重きが置かれている。

 だがそれらのなかで、崔による飛び石をかたどった鉄のインスタレーション《hatred melts like snow》は、一見すると外から持ち込まれたもののように見える。しかしじつは、70年近くDMZを取り囲んでいた大量の鉄条網を溶かすことでつくられている。「かつては同じ民族だった者たちが、異なる理念の下に袂を分かち、刃を向け合うその憎しみを象徴している」(*4)という鉄条網であっても、人の手を介せば、用途も姿もその意味も変えることができる。本作はそのような憎しみの人為による転換可能性を示している。飛び石は境界を越え、人々の自由な往来を可視化する。

展示風景より、崔在銀《hatred melts like snow》(2019) 撮影=武藤滋生

 スタジオ・ムンバイが提案した《Tazia》は「聖人を祝福するための小型の文化的記念碑」(*5)であるという。細竹の内側に金箔を施された構造物は、職人によってデザイン画なしで制作されている。おそらくこのTaziaとは、予言者マホメッドの孫、フサイン・イブン・アリー(第3代イマーム)の殉教を記念するイスラムの祭典において見られる、木と紙でつくられた殉教者の墓を模型とした御輿を引用したものであろう。

展示風景より、スタジオ・ムンバイ《Tazia》(2019) 撮影=武藤滋生

 イマーム・フサインの犠牲を悼むことにおいては、シーア派とスンニ派の区別はほとんどないという。またべつの分断の渦中にありながらそれらを越境するものとして、本プロジェクトにTaziaは示されたのではないか。そして本作も含め、提出されたプランのほぼすべてが石造りや青銅製などではなく、簡易なものであることの意味を考えたい。記念碑や彫刻を永久設置するのとは異なる方法論が目指されているのだ。

 紀元前23年に刊行された『歌集』(カルミナ)のエピローグとして、古代ローマの詩人・ホラティウスは「私は遂に記念塔を/完成せしめた、青銅より/歴史の残る記念塔を....../エジプト王を記念する/ピラミッドよりも高い塔を....../それは雨にも犯されず、/年月がたち、時を経ても、/手のつけられない北風にも、/この記念碑は崩れまい。/私が死んでも、残るだろう。」(*6)と記している。

 ここでうたわれたのは記念碑の永続性ではない。「この記念碑は崩れまい」とは物質を伴わない詩のことを指している。記念碑は永遠にその場所にあることを前提として建立されるが、青銅製の記念碑も石造りのピラミッドもかたちあるものは姿を変え、いつかは消える。詩人によって2000年以上前から指摘されていたように、記念碑は永遠ではないのだ。だからこそ人は様々な方法を試みてきた。そして、第2次大戦後のドイツに顕著なように、モニュメントという仕組みをとらえ返すことによる厄災の記憶の保存と記念については、すでに一定の蓄積がある。そのような系譜に本展も位置づけられるだろう。

展示風景より、崔在銀《hatred melts like snow》(2019)の部分 撮影=武藤滋生

 崔が来日し東京に居を据えた1976年、朝鮮戦争再開が危ぶまれたある事件がDMZの板門店で起こっている。国連軍監視所の視界を遮るとポプラの木の剪定を行った米軍将校2人が、朝鮮民主主義人民共和国初代国家主席・金日成(キム・イルソン)が植えたものだという理由から剪定を拒否していた北朝鮮軍によって殺害されたのだ。3日後、国連軍は小隊と戦闘機を配備すると同時に朝鮮半島沖合に空母を展開し、DMZの外側には韓米両軍の装甲車両を待機させ、ポプラの木を伐採した。「ポール・バニヤン作戦」が実行されたのである。

 緊張状態のなかで木は根本から切り倒される。幸い武力衝突は回避され第2次朝鮮戦争は避けられたが、この出来事は「ポプラ事件」と呼ばれ、これ以降、共同警備区域内にも軍事境界線が引かれることになった。1本の木が禍根のもとになったいっぽうで、非武装地帯の植物たちはいっそう繁栄していく。本展はこの対比についての感慨も覚えさせるものだった。

 アメリカ民話に登場する巨人の木こりにちなんで名づけられたポール・バニヤン作戦。これに韓国軍司令部として参加したのが、現大統領の文在寅(ムン・ジェイン)だ。そして、昨年4月27日、文大統領と北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長は、南北の軍事的緊張緩和や朝鮮半島の完全な非核化が示された「板門店宣言」に署名した。1本の木をめぐって流れた血と、切り倒された木に深く関わった両者は、同地で握手を交わす。それから1年、朝鮮戦争終戦宣言と平和体制構築のための会談実現の見通しは立っていない。非核化と非武装地帯解消の道は平板ではない。

展示風景より、崔在銀《To Call by Name》(2019)の部分 撮影=武藤滋生

 そんななか、Dreaming of Earth Projectは実現への歩みを進めている。ところで、本展タイトルの「自然国家」とは、人間ではなく自然が治める国を指しているという。本展では設計やプラン展示のほかに4ヶ所でテキストの朗読音声が流れているが、その多くは人間中心主義を反省する内容だ。国民国家という区分の限界やほころびが様々なところで見え始めた昨今、それでも本展に「国家」という呼び名が用いられていることは何を意味しているのか。

 境界線を引くこと、国を建てること、争うこと、記念すること、詩を読むこと、名付けること、それらは人の営みだ。だからDreaming of Earth Projectのミッションは、人間中心主義を省みて自然に還ろうという単純なものではない。人間を主体としない国家ははたして可能か、可能であるとすれはどのようなものか、いまはまだ答えのないそれらの問いを来場者とともにひらいていく試みだ。そして注目すべきは、本展が日本で開催されていることである。

 文化的な交流が進むいっぽう、日韓の関係は悪化の一途をたどっている。従軍慰安婦問題と韓国最高裁が新たな見解を示した旧朝鮮半島出身労働者(「徴用工」)問題、海上自衛隊の哨戒機に対する韓国海軍駆逐艦からのレーダー照射、そして文喜相(ムン・ヒサン)韓国国会議長による次の発言は記憶に新しい。「一言でいいのだ。日本を代表する首相かあるいは、私としては間もなく退位される天皇が望ましいと思う。その方は戦争犯罪の主犯の息子ではないか。そのような方が一度おばあさん[元慰安婦]の手を握り、本当に申し訳なかったと一言いえば、すっかり解消されるだろう」(*7)。

 これに対し日本政府は「不適切な部分がある」として謝罪と撤回を求めている。しかし政府は「不適切な部分」について、それが昭和天皇を戦争犯罪の主犯と呼んだことにあるのか、それとも上皇の謝罪を望んだことなのか、具体的には明らかにしていない。平成から令和に変わり「新しい時代」などとかまびすしいが、いったいどこに新しさなどあろうか。日韓のあいだには、変わらず深い溝が横たわっている。

展示風景より、チョウ・ミンスク《DMZ 生命と知識の地下貯蔵庫》(2019) 撮影=武藤滋生

 「私は、南北が対峙している韓国の非武装地帯を訪れる度に、複雑な感慨に耽る。〔…〕私は深い根のところで、ここが私を呼んでいる声を聴く。だが私はどうにも自然と一体にはなれない。距離の自覚の中で、私は悲しみ人間の明日を思いめぐらす。向こう側でこちらを眺めている人がいる」。

 館内の展示を見終えたあと、前庭で李禹煥《透明茶房》と相対し、このステートメントに息をのんだ(*8)。

 本展が改元という切断を内包して開催されたことの意義は大きい。予告された改元と新しい時代が祝われるなかで、元号が変わろうともゆらがない歴史にふれることの重要性が、いまあらためて問われているからだ。その意味でやはり、本展はこの国において見られるべきものである。朝鮮半島内の分断とともに、日本国内の分断と、日本と朝鮮半島の分断に目を向けるために(*9)。「向こう側でこちらを眺めている人」とは私たちではなかったか。

前庭に展示された李禹煥《透明茶房》(2019) 撮影=武藤滋生

*1ーーそのじつ、DMZ内の板門店は観光地となっており、ソウル発着のツアーが人気を博している。また、昨年の合意に基づき、DMZ周辺に遊歩道を設けるなど整備し、段階的に観光スポットとして開放されることが発表されている。
*2ーー「リアルDMZプロジェクト」は板門店の観光地化とともに『ゲンロン3』(ゲンロン、2016年)で詳しく特集され、金宣廷(キム・ソンジョン)のインタビューが掲載されている。
*3ーー崔在銀「三八度線初の映画撮影をして」『中央公論11月号』114巻(中央公論新社、1999年)。
*4ーー本展会場配布資料より。
*5ーー本展作品キャプションより。
*6ーー鈴木一郎訳『ホラティウス全集』(玉川大学出版部、2001年)。のちに、デルジャービン(1743-1816)やプーシキン(1799-1837)もホラティウスを参照し、「わたしは自分に永遠の記念碑を建てた」から始まる詩作を行っている。
*7ーー2019年2月7日に行われたブルームバーグによる文国会議長のインタビューより。[ ]は筆者による補足。
*8ーー李の作家としての来歴に照らすと、この記述はより詳細に見るべき価値があるが、紙幅の都合もあるのでここでは詳しくは立ち入らない。また、本稿ではふれていないが、日韓関係と記念碑に関連する話題として、通称「慰安婦像」(正式名称:平和の少女像)の存在を無視することはできない。いずれも稿を改めたいと思う。
*9ーー日本国内の分断の地、すなわち、東京電力福島第一原子力発電所の事故に伴う帰還困難区域内では、見ることのできない展覧会「Don't Follow the Wind」が開催されているが、これは本展の取り組みおよび「リアルDMZプロジェクト」と直接的に響き合うだろう。