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“Dirty”と“Clean”、2つの要素が近接する空間へ。中尾拓哉評 玉山拓郎個展「Dirty Palace」

ビビッドな色の壁や照明、椅子やキャビネットなどの日用品を用いて、構成的かつ夢想的な色調のコンポジションをつくり出してきた玉山拓郎。そうしたインスタレーションとリンクするような映像を含め、空間全体をひとつの作品として展示する個展「Dirty Palace」が東京・西麻布のCALM & PUNK GALLERYで行われた。非日常的な空間が展開される本展を美術評論家の中尾拓哉が論じる。

文=中尾拓哉

会場風景 Photo by Takamitsu Nii

モアレの迷宮

 空間そのものが、1つの作品である「Dirty Palace」では、3次元を染める6色のカラー蛍光灯(x)、およびそれらと対になり3次元に揺れる6(+1)色のジョーゼット幕(x, y)によって、空間(x, y, z)の色彩化が全面化している。ジム・ランビーが床面にビニールテープを貼りめぐらし、線形(x)に分解することで、切断面(x, y)であるかのように空間(x, y, z)を変容させるのに対し、これまで玉山拓郎は空間(x, y, z)そのものが界面(x, y, z)となるよう、ビビッドな色面で立体(x, y, z)を転調させてきた。それは、ホワイト・キューブに求められる“Clean”な空間を異化させる方法のひとつではある。

 「Dirty Palace」では、2つの要素が近接する。例えば、入り口から順に目に入る1組の鏡、2股のモップ、ペアの皿というように。鏡は、1つは円形、1つは半円と長方形で、垂直に並ぶ。モップは、その鏡をなぞるようなカーブで、垂直から水平へと2股に分岐する。そして皿は、同じ大きさの円形で、水平に並ぶ。それらは、垂直から水平へのトポロジカルな変化であり、鏡は床面に置かれ、モップは天井から吊るされ、皿は壁面に掛けられている。

会場風景 Photo by Takamitsu Nii

 こうした3つの不揃いなオブジェクトによって、トポロジカルに3方向(床面、天井、壁面)から、空間(x, y, z)の定位がずらされる。さらに鏡はキャビネットに設置され、モップの先は房糸ではなくウィッグに交換され、皿からはスパゲッティが落下している。鏡はイエローの照明/幕、モップはブルーの照明/幕、皿はレッドの照明/幕によって、それぞれの色に振り分けられる。光と影がパレットのように混ざるこの色空間は、まるで3次元的な「モアレ」とでも言うべきものである。

 グリーンの照明/幕の前に振り分けられたソファに座りながら、“HELLO”という文字が2つのモニターをまたいで、“HELL”と“O(スマイルマーク)”に分かれていく映像を鑑賞しているとき、そのソファに置かれたクッションに目が留まる。それはクッションのかたちを模したコンクリートであり、そこに歯ブラシが突き立てられている。

 “Dirty”と“Clean”、それらは対義語を通じて、吊るされたモップと床に落ちたスパゲッティ、および歯ブラシとコンクリートが持つ、慣習的なイメージに重なるのではない。ここでのオブジェクトは、例えばアッサンブラージュやデペイズマンではなく、2つの空間そのものに重なっているのではないか。

会場風景 Photo by Takamitsu Nii

 ゆえに、問題は異化ではなく界面である。天井から下がる2つのボール型ライトに照らされながら、ジョーゼット幕で仕切られた通路を進む。最奧の部屋では、リテラルなモアレがうごめく、ほうきやアイロン、清掃カートやコーヒーメーカーなどのレディメイドの画像が幾重にも重ねられ、コラージュ映像として流されている。

 コミカルなレディメイドのアニメーションから切り替わり、サスペンスなサウンドエフェクトとともに、窓へと近づき、窓から離れる、というようにゆっくりと進んでいくシークエンスには、慎重に何かを察知しようとする緊迫感が呼び覚まされる。ステディカムを用いたスタンリー・キューブリックによる映画『シャイニング』(1980)の一場面のような。

「Dirty Palace」で上映されたアニメーション

 主人公ジャック・ニコルソンが演じるジャック・トランスの一人息子、ダニーが三輪車をこぎながらホテルの通路を進むシークエンス。ステディカムがゆっくりと彼を追い、角を曲がったところで双子の亡霊と対面する。ダイアン・アーバスが撮影した双子へのオマージュとされる双子の亡霊、その異質な存在に呼吸を乱すダニーの脳裏に流れ込んでくるのは、同じ場所で別の時間に惨殺された同じ双子の姿である。落ちている斧、そして窓のカーテン、壁紙、床のカーペットに飛散した血の海が映し出される。カーテンは2つのカーテンに、壁紙は2つの壁紙に、カーペットは2つのカーペットに、双子は2つの双子に重なり合おうとする。

 そうした2つの空間の接合は、最終的に「Dirty Palace」の最奥の部屋で映し出される映像の中の鏡によってなされる。それは、入り口に置かれていた鏡と同形である。混成された音の重なりとともに、その映像の鏡の中に、既視感のある部屋の窓が映り込む。続いてシンメトリックに反転した同形の部屋の窓へとゆっくりと近づいていく。さらにその窓の中に、同形の鏡が一瞬だけ映り込む。その再びシンメトリックに反転した同形の部屋の奧にはまた窓がある。

 このとき「Dirty Palace」の最奥は入り口に、すなわちコンピュータ上で混成され、入れ子状に映り込む映像の中の鏡(x, y)は、実空間にある同形の立体の鏡(x, y, z)に重なり合おうとする。​

会場風景 Photo by Takamitsu Nii

​ 1色だけカラー蛍光灯とペアになっていない(+1)色が、この映像とペアになり(わずかにダークな)レッドカーテンとして掛けられている。しかし、そもそも「色」とは、空間(x, y, z)の値としては存在しない別の次元にあるものにほかならない(それゆえ4次元空間(x, y, z, w)を視覚化するために、色を用いて図示する方法もある)。

 入り口へと引き返しながら、マゼンタ(M)/グリーン(G)/レッド(R)/ブルー(B)/イエロー(Y)/シアン(C)の照明/幕が、通路をつくっていたことに気づく。すると、この空間における光と影は、6色(RGBCMY)のカラー蛍光灯とジョーゼット幕の6組、すなわち色光(RGB)となる照明、および色料(CMY)となる幕の光と影へと2重(RGBCMY/RGBCMY)に振り分けられていたことになる。

 「Dirty Palace」は、トポロジカルに変形した1組の鏡、2股のモップ、ペアの皿が持つ、双子が宿す2つの時空間と、光と影に分かれた2重の色空間、そして映像と実空間をまたいで2組となった鏡、それらがつくり出している複層的な界面(x, y, z)に接しているのである。ゆえに、正常(Clean)な二次元と三次元の規則的なイメージに入り込んでくる——スパゲッティのソースが、キャンバスに塗られた絵具でもあり、血のしたたりでもあるような——歪み(Dirty)が——キューブリックのシークエンスのように——鑑賞者の脳裏に流れ込んでくることになるのだ。

「Dirty Palace」で上映されたアニメーション

 既視感のあるオブジェクトと見覚えのない空間が混在するこの「Dirty Palace」は、オブジェクトと色を同等に、実空間と色空間へと分岐させ、それらが規則的に重なり歪んだまま結びつく、モアレの迷宮となって鑑賞者を誘い込む。

 このヴィジュアル・パターンに、どこまで入り込むことができるか。玉山がつくり出す空間は、絵画の空間化ではなく、絵画の表層を界面として開くように、隣り合う次元を感知させる場を形成するのである。

会場風景 Photo by Takamitsu Nii

編集部

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