文字を必要としない「書」
クイックターン・ストラクチャー(以下、QTS)という独自のモティーフをもとにした大山エンリコイサムの新作に心を奪われた。その理由を会場で求めてみても正直わからなかったのだが、家に帰り、模写をしているうちにわかった。それは、新しい書(カリグラフィ)だったのだ。
文字が隠されていることがわかったなどと言いたいわけではない。強いて言えば「潮」という文字の構造に近似しているとは思ったが、そこはあまり重要ではない。もちろん、端部の尖りが、書における起筆と終筆を想起させるというようなことでもない。
理由は2つある。①距離が発生する「空間」のつくり方と、②その空間の中での線の移動の記録方法だ。以下、字数の許す限りでの説明を試みよう。なお、本論の書の理解は、石川九楊の一連の著作、とくに『説き語り 中国書史』(新潮選書)に多くを拠っている。
まずは①から。大山のQTSが三次元的な空間を強いイリュージョンとして生成させようとしているのは、色を白と黒に限定していることや線の交差のさせ方を見れば一目瞭然だ。興味深いのは、もっと奥行きを生成できるはずなのにそうしないことである。それはきっと、イリュージョンである以上、奥にいけばいくほど距離は不明になり、結果、速度もまた不明=計算不可能になるからだろう。奥行きを浅く保ったままで水平に拡げたほうが速度は感覚しやすくなる。この、浅い奥行きのなかで速度を水平方向に展開させる在り方が、書と酷似しているのは言うまでもない。
次に②について。重要なのが速度の生成であることが示唆するように、大山が採用するスタイルは、そこに文字がなかったとしても、草書体である。QTSは空間や制度に限定されないということを考えれば、文字が無限に連続する可能性を見せる狂草体だと言ったほうがよいかもしれない。そう思ったとき、私が思い出したのは、中林悟竹の《寒山詩》のなかの「微風」や、顔真卿(がん・しんけい)の《送裴将軍詩》の二度目の「將軍」あたりである。
狂草体は基本的には紙に書かれ、石に刻まれることはない。だが忘れるべきでないのは——日本の書の発展を語る際には、中国との関係のことがどうしても前景化してしまうので忘れられがちなのだが——書は、紙に書くこと(書法)と石に刻むこと(刻法)とのあいだの影響関係により発展してきたということだ。
書法と刻法がイコールの状態になったのが楷書である。それに対して、草書体も狂草体も、それを石に刻むことはほとんど不可能である。言い換えれば狂草体は、紙と筆を使う場においてのみ成立する身体感覚に限定すればこそ、スピードを最大にすることができた。
そして、この「限界」を打破しようとしているのが大山である。
そもそもQTSの制作自体は全然クイックではない。最初の線(プライマル・フロー)を、肩、肘、手首の可動性を利用しながらスピーディーに描いた後は、そこから三次元性を生じさせるために、二本の線を引いていく。パラレル・フローと呼ばれるこれらの線の描き方は、プライマル・フローと比べるとはるかに遅い。しかも、映像で見るとわかるが、まさに刻んでいる。
つまりプライマル・フローが書法に、パラレル・フローが刻法に相当するわけだ。言い換えれば、彼は、書のなかでも最速といえる速度の脱・身体化を図っている。この「脱・身体化」を「絵画化」と言い換えてもよいだろう。
文字を書いていないのに彼の作品を書の理論で分析するのには問題があるだろうか。だが、文字を使うことが書のグローバル化を妨げてきたこと、そして非漢字圏において書を提示した瞬間にはどうしてもオリエンタルな眼差しが発生してしまうことは認めなければならない。森田子龍のような試みもあったが墨の滲みやはねのもたらす雰囲気が最大の魅力となってしまっている時点で、形式の探求を重視する現代美術からの逸脱は必至なのである。
大山は、グラフィティの方法論を援用しながら、文字を必要としない「書」を構想している。グラフィティを援用しての絵画の更新ということでは、ほかにシャーリーン・フォン・ハイル(Charline von Heyl)のような事例もあるが、絵画の特性である装飾性と雑食性に頼っていないという点で、大山はよりラディカルである。