「高知の前衛 高﨑元尚と浜口富治」(高知県立美術館)レポート。地方の前衛の貴重な記録と、現代に持ち帰るべきもの
右が高﨑元尚《装置67》(1967)、左が《装置》(1964/1996)。比較すると高﨑の代表作「装置」シリーズが立体的に展開していったことがわかる 左から中村博《繊細教会》(1946)、山六郎《廃墟の高知市》(1946)。高知県展を立ち上げるために重要な役割を果たしたふたりの画家の作品。いずれも戦災で大きな被害を受けた高知市街の様子を題材にしている 左から高﨑元尚《朱と緑》(1959)、《かかし(A)》(1958)、《作品》(1958/2000)。赤と緑という補色関係にある2色を組み合わせた幾何学を描いている 左から浜口富治《裏町(朝)》(1950年代)、《出発》(1958)、《怒鬼》(1960)。年代を追うごとに抽象度が高くなっていっていることがわかる 左から《作題不詳》(1960年代)、《海の残骸》(1961)。現在は錆びて黒くなっているが、発表時は刃の部分が銀色に輝いていたという 0グループ「理由なくデモして街を歩く」(1961年7月、高知市帯屋町界隈でのパフォーマンス風景の記録写真)。上段左から浜口富治、堀槇吉、寺尾孝志、高﨑元尚、下段左から森田昭一、須藤康夫、坂田和 左から谷平務《切腹》(1964)、高﨑元尚《マリンスノウ》(1962)、浜口富治《ノアノア・ラ・メール》(1962)。いずれも前衛土佐派展に出展された作品 上段が『MES』の前身となった『POP』、中断と下段が『MES』。ローカルな批評の場としても機能しており、当時の高知美術の美術の動向をいまに伝える 右が浜口富治《足摺岬における「赤い岩礁による私的反抗」》(1961頃)、左の2点は《作題不詳》(1961頃)。高知から望む太平洋を作品のモチーフとしたもので、コンセプトはランドアートと異なるものの、類似する作品表現が先行して表れていることに注目 右の封筒と手紙が浜口富治《絵のない(意識の)画展─無意識のあそび 浜口富治個展─》(1961)。架空の展覧会のステートメントが書かれた紙と封筒で構成されている 浜口富治「動くオブジェ巡回移動展」のために制作されたオブジェ群と旗(いずれも1963)。中央のトランクに入れて持ち運ばれ、東京の様々な画廊でも展示された 右が高﨑元尚《装置67》(1967)、左が《装置》(1964/1996)。近づいて斜めから見ると方形それぞれが様々な表情を見せていることがわかる 高﨑元尚《装置》(1967)。方形部分に塩化ビニールを使用し、普段は高知県銀行協会ビルのエントランスに設置されている。方形キャンバスの剥がれという偶然性は規格化されたものになったが、空間との調和も生み出した 浜口富治の洋画展「現代美術 手とエスプリ展」(1972)の展示案内資料 左壁の写真が高﨑元尚の《プレゼント》(1972)の黒い構造物の写真、右の映像は構造物を楽しそうに壊す高校生たちの様子を記録したスライド 入交京子《作品》(1966)。第20回高知県美術展覧会に出展された作品 14 / 18
編集部