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2024.2.25

国立新美術館前に出現した果物の庭。和田礼治郎《禁断の果実》が示唆するものとは?

国立新美術館のパブリックスペースを使った企画シリーズ「NACT View」。6月10日まで現代美術家・彫刻家の和田礼治郎によるインスタレーション《FORBIDDEN FRUIT》(2024)が展示されている。その制作意図について作家の言葉とともに紹介する。

文・撮影=王崇橋(ウェブ版「美術手帖」編集部)

展示風景より、手前は和田礼治郎《FORBIDDEN FRUIT》(2024)
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 「楽園の分裂、聖地を巡る人間的な争いが制作の動機」。現代美術家・彫刻家の和田礼治郎は、国立新美術館の小企画シリーズ「NACT View」として展示されている作品《FORBIDDEN FRUIT》(2024)について話している。

 国立新美術館のエントランス前のパブリックスペースに出現した円形の庭。なかには、ザクロやイチジク、レモンの果樹が生えており、中央には強化ガラスの構造体が放射状に配置。ガラスのあいだにはリンゴ、ブドウ、パイナップルなど、様々な果実が挟まり空中で静止しており、あたかも時間が止まっているように見える。

空中で静止しているように見える果実

 しかし、時間が経つにつれ、果実は徐々に萎んでいき、最終的にはガラスのあいだから滑り落ちてしまう。「生命が突然世界のなかに投げ入れられて存在し、突然落下する。生命が明滅する瞬間を果実に置き換えている」(和田)。

空中で静止しているように見える果実

 作品タイトルの「禁断の果実」といえば、旧約聖書『創世記』においてアダムとイヴがエデンの園で食べた知恵の樹の実を思い浮かべる人が多いだろう。リンゴ、ブドウ、イチジクなど、同作で使われている果物も宗教的または神話的な色彩が強い。

 作品の中央にあるガラスの構造体は、刑務所建築の全方位監視システムであるパノプティコン構造から着想を得ているという。その意図について和田は次のように述べている。

 「パノプティコンは、中心の監視塔から放射状に配置された監房が特徴で、囚人はつねに見られているが、看守は暗闇のなかで見られることはないシステム。いっぽうの(誰も見たことのない)神話の楽園では、神は不可視で声だけが存在する。神の姿が不在の楽園は、刑務所の看守がいるかいないかわからないがつねに見られているという構造に似ていると思う。この作品ではパノプティコンとパラダイスを掛け合わせようとした。作品の中心にある空洞もその不在の存在を表している」。

パノプティコン構造から着想を得たガラスの構造体

 果実が素材の同シリーズは、2006年にミラノで初めて発表され、これまで様々な場所で展示されてきた。今回の作品では、ブロンズ製の果実と生の果実が混在している。地面に散らばったこれらの彫刻をじっくり見なければ、腐っている果物だと思ってしまう。「空中に浮いているものと地面に落下しているもの、新鮮なものと朽ちたもの、自然のものとつくられたもの。つねに両極を合わせて共存させる」(和田)。

 作品で使われている果物は、上述の神話的なイメージがあるほか、手榴弾(grenate)と同じ語源を持つザクロ(pomegranate)など、暴力的な要素を持つものも多い。生命力を象徴する果実と死を連想させる武器、楽園と監視システムなどは、すべてこの両極性を反映している。

腐っている果実のように見えるブロンズ製の彫刻
腐っている果実のように見えるブロンズ製の彫刻

 同時に和田は、この作品がこうしたネガティブなイメージに焦点を当てたものではないことを強調している。時間の経過とともに地に落ちた果実は朽ちていくが、そのいっぽうで新しい生命も産み出される。庭に植えられたザクロやイチジクの果樹は緑の葉を増やし、会期が終わる6月頃にはガラスの構造体を囲うブドウも実を結ぶだろう。

 これはある意味、生命の循環や人類の発展の歴史も示唆している。人類の歴史は、民族・宗教・国家間の血なまぐさい争いや殺戮に満ちた戦いの歴史とも言える。しかし、様々な争いがあるにもかかわらず、そこには希望や喜びも満ちている。

実をつけた果樹
実をつけた果樹

 和田は、庭を成立させるのは、つくり手の意図ではなく時間であるとし「多次元の風景に関わる仕事をしていきたい」と話す。美術館周辺の桜が開花する頃には、この作品もまた違った表情を見せることだろう。和田はこう締めくくった。「楽園の分裂とは、この世界の裂け目のこと。自然/人為、秩序/混沌、包摂/排除、様々な境界によって分断された生命体。自然の力学によっていずれ個々の境界は消えていく。それが内包するもの、かつそれ自体は存在しない『時間』によって」。

和田礼治郎