村上誠・渡の兄弟と山本裕司の3名が協働で行った、美術制作のプロジェクト「天地耕作」の軌跡をたどる展覧会「天地耕作 初源への道行き」が静岡県立美術館でスタートした。会期は3月27日まで。担当学芸員は植松篤(静岡県立美術館学芸員)。
天地耕作では、山中などの野外を主なフィールドに、木や縄、石や土などの自然物を素材として、大規模な作品を制作。この制作を試みるにあたっては、民俗芸能や遺跡などのフィールドワークを行い、その土地の習俗や歴史といった根源的なテーマにせまってきた。しかし、それは野外作品であるがゆえに公開期間やアクセスが限定的であったため、大衆の目に触れる機会はそう多くはなかった。
本展は、そんな旧引佐郡(現・浜松市)を拠点に、1988年から2003年にかけて活動した天地耕作の軌跡をたどるものとなる。開幕式には、メンバーの村上誠・渡、山本裕司らも出席。本展の開催について、村上誠は「本展に携わってくださった関係各所にお礼を申し上げたい。3年前から綿密な計画を立ててくださった学芸員の植松氏、そして我々が天地耕作として活動する前から取り上げてくださっていた静岡新聞社(本展では主催)には不思議な縁と、喜びを感じている」と語った。
会場では、3人の初期作品から、天地耕作以前の活動、浜松市内あるいは海外での活動、そして野外作品を舞台としたパフォーマンスの様子などが、研究資料や写真、スケッチなどを通じて紹介されている。
展示室の各所には、大きなオブジェが3つほど天井から吊り下げられている。これは「白蓋(びゃっけ)」という遠州奥三河に伝わる伝統芸能「花祭り」から着想を得たインスタレーションで、祭りにおいては神が宿る場所とされているものだ。それぞれの色や形状には違いがあるため、比較して鑑賞してみてほしい。
天地耕作の活動は、2回ほど海外でも展開されている。1992年、オーストラリアパース市立現代美術館の展覧会に招聘された3人は、同市に流れるスワン川の上流でフィールドワークと制作を実施。制作後のパフォーマンスでは、村上兄弟が生の儀式、山本が死の儀式を執り行ったのだという。
天地耕作の活動は、必ずしも公に対して開かれたものであったわけではない。1997〜99年、元の拠点での活動を再開すると、活動は一部の関係者のみに公開された。この頃村上兄弟は地下住居を思わせるような《水の家》や、石を積み上げた柱形の「依代」を制作。いっぽう山本は、木のオブジェや石を空間に配置し、パフォーマンスを行うことに重点を置いていった。「天地耕作 五」で紹介されているものは、彼らのみで実施された「見せない」プロジェクトの一部である。
本展の開催に際し、美術館の裏山には、未完となっていた2003年の野外作品のプランが3人の再集結によって実現した。村上誠は、この野外作品について「美術作品であると同時に、我々のパフォーマンスの舞台でもある」と語っている。天地耕作のプロジェクトを実際に見ることができる貴重な機会でもあるだろう。
会期中には、関連イベントとしてワークショップのほか、この野外作品を舞台としたパフォーマンス「遊芸」も実施予定。「芸術とは何か」。その問いに還ることができる天地耕作のプロジェクトをぜひ現地でたどってみてほしい。