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建築家・吉村順三の功績を紐解く。ギャラリーエークワッドで「建築家・吉村順三の眼」がスタート

ギャラリーエークワッドで、日本とアメリカを行き来し、日本の建築文化をアメリカに伝えた建築家・吉村順三に焦点を当てた展覧会「建築家・吉村順三の眼 ーアメリカと日本ー」が開催中だ。会期は2024年3月28日まで。

文・撮影=三澤麦(ウェブ版「美術手帖」編集部)

展示風景より、「松風荘」(1954)に関する資料

 東京・東陽町のGALLERY A4(ギャラリーエークワッド)で、日本とアメリカを行き来し、日本の建築文化をアメリカに伝えた建築家・吉村順三(1908〜97)に焦点を当てた展覧会「建築家・吉村順三の眼 ーアメリカと日本ー」が12月22日にスタートした。

 本展では、吉村がアメリカで担当した作品から、国際的に活躍する芸術家らとの交流から生まれた日本の作品までを、スケッチや写真、映像を交えて紹介。その業績を明らかにするものとなっている。監修を務めた松隈洋(神奈川大学教授、京都工芸繊維大学名誉教授)は、「あまり多く語られることのない重要な建築家・吉村順三の功績を振り返るとともに、吉村建築を通じて、軽井沢で育まれてきた文化に改めて注目するものとなる。また、コロナ禍の混乱を経て、暮らしや生活にきちんと眼を向ける機会となれば」と開催意図について語った。

 幼い頃から建築、とりわけ「住宅」に魅せられていた吉村は、1923年に関東大震災を経験。美しい姿から一変してしまった東京を目の当たりにし、その再建の様子から、建築というものに対して強い印象を抱いたのだという。

展示風景より、「1章 吉村順三の歩み 生い立ちと出会い」

 東京美術学校の建築科に入学後は、帝国ホテルの建設にあたって、フランク・ロイド・ライトとともに来日したアントニン・レーモンド(1888〜1976)に師事。レーモンドの建築事務所でスタッフとして働き始めることとなる。1940年の日米関係が悪化する最中には、日米親交に尽くした斎藤博駐米大使の記念図書館の設計協力のため帰国したレーモンドのもとに渡米。約14ヶ月間の滞在のなかで、コロニアル建築の素朴な空間やニューヨークの摩天楼に至るまでを間近に経験した。

展示風景より、「2章 吉村順三とレーモンド夫妻 <戦前アメリカ> アメリカとの出会い」

 戦後、吉村はアメリカで経験したモダンライフを日本の建築に取り込むと同時に、日本の感性や思想を反映した「松風荘」をニューヨーク近代美術館(MoMA)の中庭に建設。日本とアメリカの建築文化が融合したような作品の数々を生み出し話題となった。会場には、当時の写真やプロジェクトの様子が掲載された『LIFE』誌、映像などが紹介されており、吉村が当時のアメリカ人の目にどのように映っていたのかを伺うことができる。

展示風景より、「松風荘」(1954)に関する資料
展示風景より、「松風荘」(1954)に関する資料
展示風景より、「ポカンティコヒルの家」(1974)の建築模型

 国内においても、前川國男や坂倉準三らとともに設計した「国際文化会館」(1955)や、外苑前につくられた音楽ホールとオープンスペース的なピロティを持つ「青山タワービル」(1969)など、吉村によるいままでの経験が活かされたインターナショナルな活動を見ることができる。

 また、吉村は、バイオリニストであった妻・大村多喜子が創設した「ソルフェージスクール」の建築設計を手掛けるとともに、ポスターやチラシ、教材も制作。「音楽」という側面からも、吉村のいままであまり語られてこなかった一面を垣間見ることができるのも本展の見どころと言えるだろう。

展示風景より、「国際文化会館」(1955)
展示風景より、「ソルフェージスクール」(1967)に関する資料
展示風景より、「ソルフェージスクール」(1967)に関する資料

 ほかにも、国際的に活躍した芸術家や文化人との交流から生まれた作品も紹介されている。画家・猪熊弦一郎の「猪熊邸」(1970)や、同じく画家の脇田和の「アトリエ山荘」など、住まい手に合わせて設計された住宅の数々、そして彼らとの交流がうかがえる手紙なども合わせて展示されている。

 会場奥では、吉村による建築を実際に使用している人々へのインタビュー映像も公開。使い手の目線から、吉村建築の特徴や心遣いに気づくことができるものとなっているため、こちらも見逃せないだろう。

展示風景より、「猪熊邸」(1970)
展示風景より、「猪熊邸」(1970)の建築模型

編集部

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