2023.10.14

青森から始まり、青森へ帰る旅路。奈良美智40年の作歴を総覧する青森県立美術館「奈良美智: The Beginning Place ここから」

日本を代表する美術家として世界的な評価を受ける奈良美智。自身の出身地である青森県での大規模個展となる「奈良美智: The Beginning Place ここから」が、青森県立美術館で開幕した。会期は2024年2月25日まで。

文・撮影=安原真広(ウェブ版「美術手帖」副編集長)

展示風景より、《Midnight Tears》(2023)
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 青森市の青森県立美術館で、日本を代表する美術家として世界的な評価を受ける奈良美智の個展「奈良美智: The Beginning Place ここから」が開幕した。会期は2024年2月25日まで。担当学芸員は奈良と同じく青森出身の高橋しげみ。

展示風景より、左から《Mumps》、《The Last Match》(ともに1996)

 奈良は1959年青森県弘前市生まれ。愛知県立芸術大学美術学部美術科油画専攻に入学、同大大学院修士課程修了。88年にドイツに渡り、国立デュッセルドルフ芸術アカデミーに入学して絵画を学んだ。修了後の94年よりケルンに移り住んで制作を続け、2000年に帰国後、国内初の本格的な個展「I DON'T MIND, IF YOU FORGET ME.」を開催。横浜美術館を皮切りに国内5ヶ所を巡回し、以降も国内外の個展によって高い評価を受けてきた。

展示風景より

 青森県立美術館は98年より奈良の作品収蔵を開始。現在170点を超えるコレクションを有している。「奈良美智: The Beginning Place ここから」は、同館の奈良展としては前回開催された「君や 僕に ちょっと似ている」展(2012-13)以来、約10年ぶりとなる。会場には、これまで公開されてこなかった初期作品から、東日本大震災を経て東北地方に目を向け始めた10年代の作品、そして最新の絵画作品や本展のために制作された新作インスタレーションなどが並び、出身地である青森で作家の全容を明らかにすることを試みている。

展示風景より、《Peace Head》(2021)

 展覧会は「家」「積層の時空」「旅」「No War」「ロック喫茶『33 1/3』と小さな共同体」の5章構成。

 第1章「家」では、奈良の初期作品が紹介される。初期作品には三角屋根の一軒家が頻繁に登場するが、その家は煙が出ていたり人物を囲って締めつけていたりと、安住の地といった趣ではない。ここで描かれている家は、奈良の出生地である青森とも重なって見える。青森から旅立ち、新たな地で美術を学び、さらにドイツで研鑽を重ねようとしていた奈良。これら初期作品に描かれた家は、故郷への思いやしがらみに区切りをつけようという決意の現れにも見えてくる。

展示風景より、左から《Dream Time》、《Untitled》(ともに1988)

 本章の展示作品のうちもっとも制作年が古いのが、1979年制作の《カッチョのある風景》だ。これは奈良が学部生のときに描いたもので、「カッチョ」とは津軽地方の強風が激しいところに立てられている木製の防風柵のことだ。奈良が自身の出身地の風景を描いた作品だが、奈良は渡独の際、本作を美大の不要な絵画を再利用するスペースに置いてきたのだという。しかし、本作は再利用されず、奈良の後輩である杉戸洋が拾って持って帰り、現在まで所有していた。故郷への思いを断ち切るように手放されたかもしれない本作だが、この絵に惹かれた杉戸が保管していたことで、作品の舞台であるここ青森で初公開される機会が生まれた。

展示風景より、《カッチョのある風景》(1979)

 第2章「積層の時空」は、奈良の絵画と時間をかけて対峙したくなる空間だ。ここでは、奈良が繰り返し描いてきたモチーフである「女の子」の変遷を追うことができる。

展示風景より、《No Matter What》(2022)

 初期はサイズも小さく、また輪郭線が強調されていた「女の子」であるが、やがて作品は大型化、構図も角度がついたものから、次第に真正面から左右対称となるようにその顔をとらえるものへと変化してきた。

展示風景より、《I Want to See the Bright Light Tonight》(2017)

 とくに今年制作された《Midnight Tears》は、存在感のあるそのサイズもさることながら、色彩表現の豊かさに圧倒される。絵具を重ね合わせることで生み出された肌の向こうに血が通っているような質感や、輪郭線を極力排しながらも眼前に立ち上がってくるそのフォルムなどからは、来場者一人ひとりと対峙するかのような風格が感じられるはずだ。

展示風景より、《Midnight Tears》(2023)

 加えて、本展に学術協力として携わった横浜美術館館長の蔵屋美香は、記者会見にて本作を「淡い表現の輪郭と比して目の輪郭がはっきりとしており、まるで目だけがその場所で揺らぐことなくこちらを見つめ続けているような印象を受ける」と評した。これは奈良の絵画作品全般に言えることだが、たんなる「キャラクター」を描いただけの絵画とは一線を画した、絵具の積層から生まれる存在を肌で感じるためにも、ぜひ美術館で実物を目にしてほしい。

展示風景より、《Midnight Tears》(2023)

 かねてより旅が好きだった奈良だが、2011年の東日本大震災を境に、自身のルーツやアイデンティティに紐づいた目的意識をもって旅をするようになった。第3章「旅」では、奈良の旅にまつわる創作の足跡をたどる。

展示風景より、《TAIWAN》(2015)

 亡き祖父がサハリンの炭鉱に出稼ぎに行っていたという話に関心をもった奈良は、2014年にサハリン島を旅して写真作品のシリーズ「SAKHALIN」を制作。以降、北の地への興味は深まり、北海道白老町の集落・飛生(とびう)で、手作りの木炭による子供たちのドローイング「トビウキッズ」シリーズを制作するなど、北の地に赴いての作品制作を続けている。

展示風景より、「トビウキッズ」シリーズ(2017)

 また、この章では「吉野町煉瓦倉庫」(現弘前れんが倉庫美術館)で2006年に開催された「YOSHITOMO NARA + graf A to Z」の際に制作された《アフガン小屋》が青森バージョンとして再制作され展示されている。内部では、青森バージョンとして再制作されたスライドショーの《カブール・ノート》が上映されており、当時の奈良が見たアフガニスタンの姿を、現在の世界情勢と照らし合わせたくなる。

展示風景より、《アフガン小屋(青森バージョン)》(2004/2023)
展示風景より、《カブール・ノート(青森バージョン)》(2002/2023)

 第4章「No War」は、中学生時代からロックやフォークといった音楽に影響を受け、暴力に対抗する手段としての音楽から多くを学んできた奈良による、メッセージ性の強い作品を展示する。

展示風景より、左から《台座としての「森の子」》(2023)、《I don't Mind,If You Forget Me.》(2001)

 2012年に描かれた絵画作品《春少女》を、奈良は反原発集会のステージに掲げられるバナーとして提供している。本展ではステージに掲げられていたバナーが展示されており、奈良がアクティビティに積極的にコミットすることを、自身の表現のひとつとしていることが伝わってくる。

展示風景より、《春少女》のバナー

 また、この展示室には自身のスタジオを模した《My Drawing Room》も設置されている。ごく個人的なドローイングルームを再現した本作は、奈良が幼少時から親しんできたサブカルチャーの要素を組み合わせた《平和の祭壇》と裏表を成しており、奈良というアーティストの「個」が垣間見える。作品を通じて自身の「個」のあり方を示すことで、「No War」や「No Nukes」といった大仰に思えるメッセージも、すべては「個」の行動から始まることを奈良は訴えているのかもしれない。

展示風景より、《My Drawing Room》(2004/2021)
展示風景より、《平和の祭壇》(2023)

 青森県は東通村に原子力発電所を、むつ市に使用済み核燃料の中間貯蔵施設を持ち、大間町では新たな原子力発電所が、そして六ヶ所村では核燃料サイクル基地が建設中だ。さらに三沢市には米空軍が使用する三沢飛行場も有している。本章は、原子力施設や軍事施設とともにある故郷・青森に対して、奈良がいかなる思いを持って向き合ってきたのか考える契機にもなるだろう。

展示風景より

 第5章「ロック喫茶『33 1/3』と小さな共同体」は、奈良のルーツとなったロック喫茶を美術館内に再現するというユニークな試みだ。

 幼少時から洋楽に親しんでいた奈良は、高校時代に地元のライブハウスに出入りし、シンガー・ソングライターの佐藤正樹と出会ってロック喫茶「33 1/3」の店舗づくりに誘われる。自らが中心的な役割を担って手づくりしたその店舗で、奈良はアルバイトをしながらスタッフや常連との関係性を深め、共同体をつくっていった。すでに閉店してしまったそのロック喫茶の店舗が、当時の記憶をもとに会場で再現されている。

展示風景より、《ロック喫茶「33 1/3」再現》(2023)

 小屋の外壁には、まるで長年そこにあったかのような風合いに仕上げられた本展のポスターが貼ってある。当時もいまも奈良のなかに息づくD.I.Y精神が、時空を超えて出会った結果生まれた、本展ならではの展示と言えるだろう。

展示風景より

 奈良美智というひとりのアーティストが歩んできた道のりをたどりながら、その出発点としての青森という土地を見直す契機ともなりそうな「奈良美智: The Beginning Place ここから」。奈良の作品のイメージが世界中で共有されているからこそ、改めてそのルーツをたどり、新たな座標を示すべきなのだろう。ひとりのアーティストの過去であり、そして未来でもある展覧会だ。

展示風景より