• HOME
  • MAGAZINE
  • NEWS
  • REPORT
  • 江戸時代の「いにしえが、好きっ!」。『聆涛閣集古帖』を国立…
2023.3.7

江戸時代の「いにしえが、好きっ!」。『聆涛閣集古帖』を国立歴史民俗博物館で深掘りする

千葉・佐倉市の国立歴史民俗博物館に収蔵されている、考古資料、文書・典籍、美術工芸品などの歴史資料を記録した江戸後期編纂の『聆涛閣集古帖』。この図譜集に記録された古器物が「いまどうなっているのか」という観点で、その原品や複製・模造品等を集めて立体的に展示する「いにしえが、好きっ!-近世好古図録の文化誌-」が始まった。会場の様子をレポートする。

文=安原真広(ウェブ版「美術手帖」編集部)

展示風景より、《宇治橋碑》(復元 原品は大化2年[646]在銘)国立歴史民俗博物館蔵
前へ
次へ

 千葉・佐倉市の国立歴史民俗博物館が所蔵する、江戸後期に編纂された『聆涛閣集古帖(れいとうかくしゅうこちょう)』。この図譜集は、兵庫県の神戸・住吉の豪商だった吉田家が三代にわたり編纂した、いまでいう「図録」や「カタログ」に当たるものだ。考古資料、文書・典籍、美術工芸品など、様々なジャンルにおよぶ著名な歴史資料約2400件が、精緻な筆致で描かれている。

展示風景より

 同館で始まった企画展示「いにしえが、好きっ!-近世好古図録の文化誌-」は、この『聆涛閣集古帖』に描かれた古器物が「いまどうなっているのか」という観点で、その原品や複製・模造品等を集めて立体的に展示し、二次元で描かれていたその世界を三次元に再現することを目指すものだ。なお、本企画展示は国立歴史民俗博物館共同研究「『聆涛閣集古帖』の総合資料学的研究」(研究代表者:藤原重雄、2017~19年度)の研究成果となる。

展示風景より、エントランス

 江戸時代には「好古家(こうこか)」と呼ばれる、古いものを愛する人々が数多くいた。本展のキャッチーなタイトルは、この「好古」が表していた意味を現代的な言い回しにしたものだ。好古家たちは自分がコレクションした、あるいは目にした古器物をスケッチし「考古図譜」としてまとめていた。

展示風景より、手前は《画文帯四仏四獣鏡》(中国・晋代)京都国立博物館蔵

 本展の主役である『聆涛閣集古帖』も、この「考古図譜」のひとつだ。まずは全5章構成のうちの第1章「『聆涛閣集古帖』とはなにか」で、その内容に迫る。

展示風景より、《馬具 金剛輪寺出土》(古墳時代)公益財団法人白鶴美術館蔵

 模写や拓本を分類整理した『聆涛閣集古帖』は、全46帖+未表層20枚からなる。その分類の種類は地図、書、肖像、印章、甲冑や武器、敷物や文房具、楽器、仏具など30強にも及ぶという。会場では各ジャンルごとに『聆涛閣集古帖』に描かれた古器物の絵のパネルと、本館ならびに全国の美術館から集められたその実物が並んでいる。

展示風景より、《三鈷杵》(奈良時代か)関西大学博物館蔵

 例えば伝茨城県(将門城址)出土の《馬形埴輪》と、《樽形𤭯》(ともに古墳時代)は、「葬具」として同じ頁に記録されているものだ。本展では調査を経て、約150年ぶりに同一頁に書かれた実物が並ぶこととなった。ほかにも継ぎ跡までを忠実に記録していたことを伺わせる《白瑠璃碗》(古墳時代)など、当時の探求の眼差しの鋭さが伝わってくる文物が展示されている。

展示風景より、左から《樽形𤭯》、《馬形埴輪》(ともに古墳時代)
展示風景より、《白瑠璃碗》(古墳時代)
展示風景より、瓦

 注目したいのが、『聆涛閣集古帖』では現代の文化財研究では抜け落ちてしまったカテゴリーが、美術品と同列に扱われていることだ。例えば尺や枡といった度量衡関係の資料や、寺社に掲げられていた扁額などがこれに当たる。現代を生きる我々が当たり前のように受け入れているアカデミックな分類を、別の観点で考え直してみるという意図が展示からは伺える。

展示風景より、《扁額「八幡大菩薩」》(正平21年[1366])
展示風景より、尺量

 第2章「『聆涛閣集古帖』を伝えた吉田家」では、『聆涛閣集古帖』を編纂した吉田家に着目する。灘の酒造業を中心とした実業に力を入れ、豪商として富を築いた吉田家。第17代当主の吉田道可(1734〜1802)、次代の粛(1768〜1832)、次々代の敏(1802〜69)と3代にわたり古器物を蒐集した吉田家だが、その学芸活動や地元での活動は、これまでほとんど明らかにされていなかったという。

展示風景より、第2章「『聆涛閣集古帖』を伝えた吉田家」

 会場では吉田家の事業や学芸活動、茶の湯への傾倒などをうかがわせる資料を展示。さらに『聆涛閣集古帖』が同時代において著名だった考古図譜を引用したり、ほかのコレクションを記録したことによって成り立っていたことも、吉田家の関連資料や同時代の図譜を展示することで明らかにしていく。

展示風景より、第2章「『聆涛閣集古帖』を伝えた吉田家」
展示風景より、左から《澱看の席錦絵図(『茶室おこし絵図集』第10集)》跡見学園女子大学図書館蔵、《銀閣寺東求堂起絵図(茶室・書院起絵図の内)》(江戸時代)国立歴史民俗博物館蔵

 第3章は「よみがえる聆涛閣コレクション」だ。吉田家は蒐集したコレクションを「聆涛閣」と呼ばれる文庫に収蔵していた。聆涛閣とは「波の音の聞こえる書庫」という意味で、実際に神戸の灘の海岸近くにあったという。本章では、国宝を含む、かつて聆涛閣に収蔵されていた貴重なコレクションの所在をできるだけ突き止めようとした、今回の研究の成果を見ることができる。

展示風景より、第3章は「よみがえる聆涛閣コレクション」

 本章で象徴的なのは『聆涛閣集古帖』の「鏡」に収録されている国宝《線刻釈迦三尊等鏡像》(平安時代)だ。住友家旧蔵の美術品を収蔵する泉屋博古館を代表するコレクションとして知られる本品だが、この度の研究によって『聆涛閣集古帖』に記録されているものと同一であることが明らかになったという。住友春翠(1864〜1926)が購入する以前の伝来が不詳だった本品だが、そのたどってきた道筋の解明が少しではあるが前進したことになる。

展示風景より、国宝《線刻釈迦三尊等鏡像》(平安時代)泉屋博古館蔵

 ほかにも茶道具や座敷道具としての書画や茶器のコレクションなど、その全容が少しづつ明らかになる聆涛閣を物語る銘品が会場には並ぶ。

展示風景より、《鰐口》(正安3年[1301])秋篠寺蔵

 第4章「正倉院宝物の『発見』」は、『聆涛閣集古帖』から少し離れた展示となる。江戸時代に幾度も行われた奈良の東大寺の正倉院の開封の儀と、それを記録した近世の『正倉院宝物図』をはじめとした考古図録に焦点を合わせて紹介。明治以降につくられた法隆寺宝物の模造も展示する。

展示風景より、第4章「正倉院宝物の『発見』」
展示風景より、《正倉院御物写》(幕末〜明治時代)東京大学大学院工学系研究科建築学専攻蔵
展示風景より、《檜和琴》の模造(明治8年[1875])春日大社蔵

 最後となる第5章「『聆涛閣集古帖』をとりまく好古家ネットワーク」は、研究により著名な好古家であったことがわかってきた吉田家が、様々な好古家とつながっていたことを紹介する。

 『聆涛閣集古帖』に強い影響を与えたという藤貞幹(1732〜97)による『集古図』や、寛政の改革で知られる松平定信(1759〜1829)が老中退任後に完成させた『集古十種』、吉田家を訪ねた記録もあるという探検家の松浦武四郎(1818〜88)にまつわる資料など、江戸時代の豊かな「いにしえ好き」たちのネットワークが明らかになる。

展示風景より、《鬼面鈴》公益財団法人静嘉堂蔵
展示風景より、《集古十種稿》(寛政12年[1800]序刊)慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション)蔵

 西洋からもたらされた「博物館」という概念がなかった江戸時代において、3代という、短期的な成果を求められがちな現代では考えられないほどの長い時間をかけて、考古を蒐集/記録してきた吉田家。その知見と興味を垣間見ることで、あらためて古来の文物から得る学びの豊かさをたしかめることができる展覧会と言えるだろう。