アートと音楽の交差点で活動し、70年代より実験的なサウンド・アートや聴覚と視覚の結びつきを探る作品などを多数発表してきたアーティスト、クリスチャン・マークレー。その日本国内初となる大規模な展覧会「クリスチャン・マークレー トランスレーティング[翻訳する]」が、東京都現代美術館で開幕した。
レコードやCD、コミック、映画、写真など、幅広いファウンドメディアを再利用しつつ、マークレーはこれまで、パフォーマンス、コラージュ、インスタレーション、ペインティング、写真、ビデオなど多様な形態の作品を生み出してきた。
本展では、その作品の多くに見られるサンプリングという技法、すなわち既存のイメージや音を抽出し、再利用することで、ある領域から別の領域へと言語を変換する「翻訳」行為に焦点を当てる。コンセプチュアル・アートやパンク・ミュージックに影響を受けた初期作品から、イメージと音の情報のサンプルを組み立てた大規模なインスタレーション、さらにはパンデミックなど現代社会に蔓延する不安を映し出した最新作までが紹介されている。
展覧会の開幕にあたり、マークレーは本展のタイトルについて次のように話している。「言語をコミュニケーションの手段として使うと、自分のことを表現することが難しくなり、その正確性も求められるようになる。アートやイメージの世界では、言葉によって規定される正確性から少し解き放たれて、言葉にできないことも表現できるような機会があると思う」。
また、「翻訳」というキーワードについてマークレーはこう続ける。「『トランスレーティング』をキーワードに私の作品にアプローチするのは非常に面白いやり方だ。それにより自分の過去作品を別の角度から見つめ直して、そういった作品も『トランスレーティング』という考えを反映させるものとしてひとつの会話に組み込んでいくことや、音とイメージという私が行ったり来たりしながら創作しているものを大きくとらえ直すことができた」。
展示作品には、文字通り「翻訳」を行っている作品とより広義で「翻訳」をとらえた作品が含まれている。前者の一例としては、最初の展示室の壁に並ぶ長い文字列の作品《ミクスト・レビューズ》(1999-)が挙げられる。
同作は、新聞や音楽雑誌に掲載された演奏やレコードなど音楽にまつわるレビューから音楽に関する記述をサンプリングし、マークレーが言葉の音楽として構成したもので、展示されるたびにその国の言語に翻訳される。1999年、東京のオペラシティ アートギャラリーでの展覧会ではドイツ語から日本語への翻訳が展示されたが、今回はカタロニア語から翻訳されたテキストが使われている。
マークレーは、「この作品は非常に不安定で完成というかたちのないものだ。こうした進化を続ける作品に非常に興味がある。翻訳を重ねるなかで言語の本来の意味が失われていくかもしれないが、そのような進化自体を楽しむことができる」と述べている。
オノマトペもマークレーの作品において重要な要素のひとつ。《サラウンド・サウンズ》(2014-15)は、マンガから切りとったオノマトペの文字が渦のように鑑賞者の四方を囲む没入型の映像インスタレーション。この無音の空間ではオノマトペの音響的な特性がいっそう強化され、鑑賞者は視覚を通して音に関する記憶を呼び起こし、想像上のシンフォニーに浸ることができるだろう。
子供の際に読んだマンガ『タンタンの冒険』でオノマトペと初めて出会ったというマークレーは、「オノマトペ自体は音の翻訳だが、それは実際に起こった音を正確に表せているのではなく、音を想像させるヒントとなるような点が非常に面白い」としている。
活動の初期にパンク・ロックに影響を受け、当時の社会問題に作品を通して反応していたマークレーは、近作においてもトランプ政権やコロナ禍、気候変動への不安などの社会的なテーマに取り組んでいる。
コロナ前に制作された「叫び」シリーズ(2018-19)は、主に日本のマンガから叫んでいる人の顔のイメージを切り貼りし、それをコラージュして再構成したもの。作品の根幹には、「自由が奪われ、民主主義が脅威にさらされている現在の状況や人種差別の問題など、時代に対する恐れにアーティストとしてどう反応していくか」という意識が表れているという。
昨年ロンドンでの隔離期間中に制作した「フェイス」シリーズ(2020)は、コミックから叫ぶ人の顔のイメージを切りとり、オノマトペによる不協和音やノイズなどとコラージュした小型の作品だ。
そのほか、映像作品《ビデオ・カルテット》(2002)も本展の必見作。古今東西の映画から音にまつわるシーンを4つの連続する画面に集めた同作では、それぞれのスクリーンに登場人物が楽器を演奏する音をはじめ、叫び声やノイズ、モノの立てる音などがコラージュされ、次々と映し出されている。選ばれた素材は、様々な音楽の形式のインデックスであると同時に、映画の断片や文化史のサンプルでもある。
「ボディ・ミックス」シリーズ(1991-92)は、ロックスターや指揮者など支配的かつ偶像的に現れる男性の上半身と、無名の女性たちの下半身のパーツをコラージュしたもの。ジェンダーを組み合わせたキメラ的なイメージへと変換することで、音楽が持つ性的な政治性を探る。
マークレーは、「私の作品には時代に対して説教臭くメッセージを伝えようという意図はない。すべて観客に開かれていて、観客の皆さんがそれぞれの作品を自由に解釈できるオープンな状態で届けられることを重要視している」と語る。イメージと音の分野を横断しながら、革新的な活動を続けているマークレーの多様な実践をぜひ会場で堪能してほしい。