1960年代から写真家として活動を続ける篠山紀信。そのキャリアを通覧する初めての回顧展「新・晴れた日」が東京都写真美術館で開催されている。
篠山紀信は1940年東京都生まれ。日本大学藝術学部写真学科在学中の61年に広告写真家協会展APA賞を受賞し、広告制作会社「ライトパブリシティ」を経て、68年よりフリー写真家としての活動をスタートさせた。66年には東京国立近代美術館の「現代写真の10人」展に最年少で参加。76年にはヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展の日本館に代表作家として選ばれるなど、キャリアの初期から高い評価を得てきた。
本展「新・晴れた日」は、1974年に『アサヒグラフ』誌で連載され、後に写真集にまとめられた『晴れた日』からタイトルをとったもの。篠山は次のようにその背景を語っている。
「(写真を)撮っている日はもちろん、風の日もあれば、雨の日もあれば、曇っている日もあるんですけど、でも、写真を撮りに行く、っていうときに僕の気持ちは、いつもこう、晴れているんですよ。晴れていて、その対象に向かって、それが人であろうが、風景であろうが、事件であろうと、何でも、そういうものに向かっていく気持ちは、エネルギーに満ちて、それに向かって、よし!撮ってやるぞ!っていう、そういう気持ちを持っていく。それが、僕にとっては写真家として、『晴れた日』の気持ちなんですよね。それで、長い60年間の写真展も『晴れた日』にしようと思って、『新・晴れた日』っていうタイトルをつけたわけです」(プレスリリースより)
展覧会は写真美術館の2フロアを使った2部構成。第1部は60年代を代表する作品のひとつであり、『カメラ毎日』に掲載された「誕生」や、「晴れた日」、あるいは1976年のヴェネチア・ビエンナーレにも出品された「家」など、60年代から70年代までの主要作品が並ぶ。
いっぽうの第2部は、1980年代以降に写真集で発表された作品が中心。バブル経済による都市の変貌をとらえた「TOKYO NUDE」から、92年からいまも『BRUTUS』で連載が続く「人間関係」、2011年の東日本大震災が残した爪痕を写した「ATOKATA」、そして東京オリンピックに向かって変化を続ける東京を撮った「TOKYO 2020」までを展示。大きな時代の変化を作品を通じて追うことができる。
篠山紀信のテーマや表現手法は多岐にわたっており、それをひとつの展覧会として見せるのは至難の業だ。篠山自身も「僕は東京都写真美術館でやる写真家ではなかったし、たぶんやらないだろうという感じもあった」のだという。
「いままでやった写真展には必ずテーマがあった。ここでやる展覧会は篠山紀信そのものがテーマで難しい。僕は60年ずっと、休みなく写真を撮り続けているし、写真のタイプも表現方法もテクニックも、テーマごとで全部違う」。しかしながら、今回の展覧会の提案を受けたときは「だからこそ面白いと思った」とも語っている。
いっぽう本展を企画した東京都写真美術館学芸員・関昭郎は「東京都写真美術館において篠山紀信は重点収集作家のひとり。いっぽうで美術館での個展はなかなかなかった」としつつ、「写真の可能性や力強さを届けるためには必要な人物」と評する。
116点の作品を通じてわかることは、篠山紀信という写真家の多彩な側面と、いっぽうで時代を克明にとらえようとする変わらぬ姿勢だ。60年という長いキャリアを一度で振り返ることができるこの機会を見逃さないようにしたい。