人間がその生命を維持するうえで欠かせない「眠り」。それは古今東西のアーティストたちの想像/創造を駆り立ててきたものでもある。
東京国立近代美術館の「眠り展:アートと生きること ゴヤ、ルーベンスから塩田千春まで」(11月25日~2021年2月23日)は、そんな「眠り」の表現にフォーカスした展覧会だ。
本展は、「陰影礼讃」(2010)、「No Museum, No Life?ーこれからの美術館事典」(2015)に続く、5年おきの国立美術館合同展の第3弾。絵画、版画、素描、写真、立体、映像など国立美術館の約4万4000点におよぶコレクションから、ゴヤ、ルーベンス、クールベから、河原温、内藤礼、塩田千春まで33人のアーティストによる119点の作品が一堂に会した(版画・写真を中心に展示替えあり)。
展覧会は、「序章 目を閉じて」「夢かうつつか」「生のかなしみ」「私はただ眠っているわけではない」「目覚めを待つ」「河原温 存在の証しとしての眠り」「終章 もう一度、目を閉じて」の7パートから構成。
本展を担当した東京国立近代美術館研究員の古舘遼は、「眠り」をテーマとして取り上げた理由についてこう語る。「眠りとは夢とうつつをつなぐ創造の源泉。これまで夢をテーマにした展覧会は多いが、眠りはほとんどなかった。本展では、眠りをテーマにすることで、夢をもそのなかに含み込む。またそこでは活動の休止や死をも示すことができる」。
展覧会の象徴的な存在がゴヤの版画だ。ゴヤの4大版画集のうちのひとつである『ロス・カプリーチョス』(「気まぐれ」の意味)のなかには《理性の眠りは怪物を生む》(1799)という作品が含まれる。これは眠りにつく芸術家の周囲にフクロウなどが集まり、芸術家に銅版画を制作するのに必要な針を渡すというもの。創造の源泉としての眠りを表しており、会場にはこの『ロス・カプリーチョス』から複数の作品が散りばめられている。
また「眠り」と一言で言ってもその表現は様々。序章では、見るという行為をやめ、視覚情報を遮断した無防備な姿=目を閉じた人物を描いた作品が並ぶ。あるいは第1章「夢かうつつか」では、夢(非現実)と現実をつなぐものとしての「眠り」が、マックス・エルンスト、瑛九、楢橋朝子、饒加恩(ジャオ・チアエン)などの作品を通じて紹介される。
また「永眠」という言葉があるように、眠りは死を象徴するものでもある。第2章「生のかなしみ」では、眠りに投影される死や、生きることのかなしみを思わせるような作品を見ることができる。
本展では唯一、河原温が単独のアーティストとして章構成された。第5章「河原温 存在の証しとしての眠り」では、「I Got Up」「Today」「I Am Still Alive」という3つのシリーズを取り上げ、河原温がたどった眠りと目覚め、生と死の関係を探る。古舘は河原温の作品を通して、「コンセプチュアルな側面から眠りと美術を考える場としたい」と話している。
なお本展では、その展示室の設計デザインおよびグラフィックデザインが重要なものとなっている。
デザインは、展示室をトラフ建築設計事務所が、グラフィックを平野篤史が担当した。展示室内にはカーテンを思わせる布や、布のようなグラフィックなどが出現し、夢やうつつをイメージした「微睡み」を誘うようだ。また展覧会タイトルや章などには独自の揺らめくようなフォントが使われており、「眠り」というテーマを巧みに表現したと言えるだろう。