新型コロナウイルスの影響で、開幕が延期となっていたパナソニック汐留美術館の「ルオーと日本展」が6月5日、開幕を迎えた。
同展は当初、4月11日開幕予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大防止のため開幕を延期。約2ヶ月遅れの幕開けとなった。会期末は当初の予定通り6月23日となっているため、会期は1ヶ月にも満たない。
本展は、フランスの画家ジョルジュ・ルオー(1871~1958)と、近代から現代までの日本の芸術家の作品から、両者の影響関係を読み解くもの。会場は「プロローグ」「出会い ルオーと日本の相互発見」「影響 近代日本の画家たちにおけるルオーの受容」「評価 戦後の日本におけるルオー評価とコレクションの広がり」「エピローグ」の5セクションで構成。当初、海外から借用予定だった約30点の作品・資料は新型コロナの影響で出品されていないものの、それを補填するかたちで同館所蔵のルオー作品が展示されている。
ルオー作品が初めて日本にもたらされたのは1921年のこと。画家・梅原龍三郎がパリで購入した《裸婦》(1908)が最初だった。以降、三岸好太郎や松本竣介、難波田龍起といった洋画家たちはルオーから強い影響を受けていく。また1953年には東京国立博物館で「ルオー展」が、65年には国立西洋美術館で「ルオー遺作展」が開催され、日本でのルオーに対する関心は高まりを見せていく。
本展は、こうした日本におけるルオー受容の歴史をたどるものであり、ルオー作品はもちろんのこと、上述の三岸好太郎、松本竣介、難波田龍起といった日本人作家の作品に加え、日本人とルオーの間で交わされた書簡なども資料展示する。
なお本展会場となるパナソニック汐留美術館を運営するパナソニックは、1970年代後半から現在に至るまでルオー作品の収集を行っており、その点数は240点におよぶ。パナソニック汐留美術館内には「ルオーギャラリー」があるが、ルオーの名を冠した展示空間は世界でもここだけだ。
こうしたルオーと深いつながりがある美術館で、1921年から現在に至る100年間のルオーと日本の交流の軌跡をたどってみたい。