ボナール、ヴュイヤール、ドニ、ヴァロットンなど「ナビ派」の画家たち、そして「ナビ派」に影響を与えたゴッホやゴーガンらが描いた子供に焦点を当てる「画家が見たこども展」が、東京・丸の内の三菱一号館美術館で開幕した。
同館の開館10周年を記念する本展は、南仏のル・カネにあるボナール美術館の全面協力を得て実現したもの。フランスのオルセー美術館やアメリカのワシントン・ナショナル・ギャラリー、日本の国立西洋美術館など、国内外の美術館や個人、そして同館の所蔵品から、「ナビ派」を中心とした約100点の作品を展示している。
本展は、「プロローグ 『子供』の誕生」「路上の光景、散策する人々」「都市の公園と家族の庭」「家族の情景」「挿画と物語、写真」「エピローグ 永遠の子供時代」といった6章構成。画家たちが子供に向けた眼差しを紹介することで、近代の都市生活や芸術と子供との関係性を探求する。
まずプロローグでは、ルノワールやゴーガン、ファン・ゴッホらによる作品のほか、モーリス・ブーテ・ド・モンヴェルの《ブレのベルナールとロジェ》(1883)とウジェーヌ・カリエールの《病める子供》(1885)に注目してほしい。
ブーテ・ド・モンヴェルは19世紀を代表する児童書の挿絵画家。本作は、のちにそれぞれ画家と作家になったモンヴェルのふたりの子供をモデルにしたもの。フランス中部のブレの草原を背景にした簡潔な構図は、子供の純粋無垢さを巧みに表している。
いっぽう、カリエールの作品では、自身の子供のひとりであるレオンが母親に抱きかかえられている様子を描いている。本作制作と同年に、病を患ったレオンは5歳で亡くなった。本作からは、子供の脆弱さや母親の苦悩が痛々しいほど感じられる。
ナビ派の画家たちは、そのほとんどが都市で生活していた。彼らは市街や公園を画題に取り上げ、そこで過ごしている人々、とくに生命力が豊かな子供たちが自然の光景と調和した作品の制作に挑戦した。このような試みは、第1章「路上の光景、散策する人々」と第2章「都市の公園と家族の庭」から見い出すことができる。
日本美術の影響を強く受け、「日本かぶれのナビ」と呼ばれるピエール・ボナール。その四曲屏風形式の作品《乳母たちの散歩、辻馬車の列》(1897)や、リトグラフの作品《学童》(1900)では、日本の浮世絵で見られるような構図が用いられている。
またナビ派の画家たちは、当時の子供のファッションにも敏感に反応。エドゥアール・ヴュイヤールは《赤いスカーフの子供》(1891)と《乗り合い馬車》(1985)で、赤いスカーフや斑点のスカート、カチューシャなどの流行の子供服を描いた。またモーリス・ドニは、《赤いエプロンドレスを着た子供》(1897)で実験的な点描風の技法を使用し、赤い格子柄のドレスを着た少女やその背後に咲く花々を対照的に表現。フェリックス・ヴァロットンの《公園、夕暮れ》と《リュクサンブール公園》(いずれも1895)では、当時流行のセーラー服を身に着けた子供の姿が描写されている。
第3章「家族の情景」では、子供たちと家族がともに過ごす愛情や親密さに満ちた情景に注目。例えばドニは、《入浴するノノ》(1897)などで乳児の入浴場面を洗礼などの宗教的儀式のように描き、《ノエルと母親》(1896頃)などでは母親が子供を抱く様子から無条件の愛を描こうとした。
ナビ派は子供を描くだけでなく、子供のための挿絵本の制作や、当時の新しい技術であるカメラを使って子供たちの姿の記録にも取り組んでいた。
第4章「挿画と物語、写真」では、ボナールが初めて制作した挿絵本《『小さなソルフェージュ』(クロード・テラス作曲)》(1893)や、甥や姪、友人、動物などを被写体に撮影した写真、そしてドニが家族や子供など身近な人々を窓辺や庭先で撮影した写真などが展示されている。
1900年以降、それぞれの道を歩んでいったナビ派の画家たち。そのうち、第二次世界大戦を生き延びた主要な画家はボナールだけだった。エピローグでは、39年に拠点を南仏のル・カネに移し、生涯の最後までそこで過ごしたボナールに注目する。
晩年のボナールは、終生関心を持ち続けた純粋な子供の魂に回帰し、自由闊達な画風で児童画を思わせる《雄牛と子供》や《サーカスの馬》(いずれも1946)などの作品を残した。これらの作品でボナールは、子供を自分の内面世界を象徴するものとして見出しており、生き物への深い愛を示している。
路上、公園、庭、室内など、様々な場面に登場した子供の姿をぜひ会場で堪能してほしい。