美の預言者「ナビ派」が追求した
新たな美の世界

現在、三菱一号館美術館で「オルセーのナビ派展」が開催されている。19世紀末のパリで、伝統に反発し新たな美の創造を目指した「ナビ派」。近年、再評価の動きが高まりつつある彼らの歩みを、今回の展覧会でも見ることのできる重要作を通してたどる。

文=verde

エドゥアール・ヴュイヤール 八角形の自画像 1890頃 厚紙に油彩 35.9×28.1cm © Musée d'Orsay, Dist. RMN-Grand Palais /Patrice Schmidt / distributed by AMF

美の預言者(ナビ)たちの世界を覗く ―「オルセーのナビ派展」から

 三菱一号館美術館で現在「オルセーのナビ派展 美の預言者たち―――ささやきとざわめき」が開催されている。

 19世紀末のパリにおいて、ポスト印象派の巨匠ゴーギャンや日本美術の影響のもと、新たな美の創造を目指した若い芸術家たちのグループ、ナビ派。近年、19世紀と20世紀の美術をつなぐ存在として注目され、評価が高まっている。「写実」を重んじる美術の伝統に反発した彼らは、何気ない日常生活の一場面や目に見えない存在を、平坦で装飾的な画面構成によって描き出した。そこには20世紀の美術運動の予兆とも言うべき要素が多く含まれている。

 今回の展覧会は、日本においてナビ派を総合的に紹介する初めてのものとなる。ナビ派の収集において世界随一の質と量を誇るオルセー美術館から、ナビ派結成のきっかけともなったポール・セリュジエの風景画《タリスマン(護符)、愛の森を流れるアヴェン川》を含む81点もの作品が出展される。本記事では、そのなかから3点を選び、その魅力を紹介する。

1. 始まり―1888年、ブルターニュ地方ポン=タヴェンにて

ポール・セリュジエ タリスマン(護符)、愛の森を流れるアヴェン川 1888 板に油彩 27×21.5cm
© RMN-Grand Palais (musée d'Orsay) /Hervé Lewandowski / distributed by AMF

 1888年夏、休暇を利用し、画塾アカデミー・ジュリアンで学監を務めていたポール・セリュジエはブルターニュ地方ポン・タヴェン村を訪れる。そこで出会ったのが、当時ポン・タヴェンに集まった画家たちの中でリーダー的存在となっていたポール・ゴーギャン(1848~1903)だった。

 ゴーギャンは印象派の色彩から多くを学んだが、印象派の技法に限界を感じてもいた。「自分たちの眼の周囲」の描写にとらわれるあまり、思想的な深みを欠いているとして、反発するようになったのだ。彼はその問題への答えを求め、プリミティヴな文明の残るブルターニュ地方へと向かった。そこで若い画家たちとの交流の中で新たな技法を模索し、それらは後に(1889年)、総合主義として結実する。

 セリュジエがゴーギャンと出会い、教えを請うたのはその前年にあたる。地元の人々から「愛の森」と呼ばれる場所で、ゴーギャンは若い画学生に次のようなアドバイスを与えた。「これらの木々がどのように見えるかね? これらは黄色だね。では、黄色で塗りたまえ……」。同じように、影は青(ウルトラマリン)、葉は赤(ヴァーミリオン)、と目に見えた色彩をそのままではなく、心象に従って描くように彼は勧めた。それは、「写実」を重んじるアカデミーの教えとはまったく異質なものだった。その結果、縦横ともに30センチにも満たない小さな画面の中には、いままでセリュジエ自身が見たことのない不思議で魅惑的な世界が広がっていた。

 パリに帰ったセリュジエは、さっそく学生仲間であるピエール・ボナールやモーリス・ドニ、ポール・ランソンらに作品を見せ、ゴーギャンの言葉を伝えた。従来の技法に飽き足らず、新たな道を求めていた若者たちにとって、それはまさに神からの啓示に等しいものだった。グループを結成した彼らは、その呼称としてヘブライ語で「預言者」を意味する「ナビ」という単語を選ぶ。預言者とは、神から授かった啓示や言葉を人に伝達し、時にはそれに解釈を加える、「仲介者」の役割を担った人物を指す。このことからは、新たな美の世界を追求していこうとする彼らの意気込みが感じられる。そして、この新たな世界における指針、始まりの象徴とも言うべきセリュジエの風景画は、仲間たちによって「タリスマン(護符)」と名付けられ大切に扱われていく。グループには後に、ヴュイヤールやケル・グザヴィエ=ルーセルなど画塾外の仲間も加わり大きくなっていった。

2. 日本美術からの影響 ―ピエール・ボナール 連作《庭の女性たち》

 1890年、ナビ派にとって、ゴーギャンからの啓示と並ぶ重要な出来事があった。パリの国立美術学校(エコール・デ・ボザール)で、「日本の版画展」が開かれたのだ。そこには、歌麿や鳥居清長など多くの浮世絵が集められていた。

 浮世絵がモネをはじめとする印象派の画家たちに愛され、影響を与えたのはよく知られている事だろう。ゴーギャンも、鮮やかな色彩の平面によって構成された平坦な画面やモチーフの大胆なデフォルメなどの要素を浮世絵から取り入れている。「新しい美」を追求していたナビ派の芸術家たちにとっても、従来の西洋美術の約束事である遠近法や陰影によらない、立体感を排除した日本の美術はまさに斬新なものだった。

 彼らのなかでも特に日本美術に傾倒し、「日本かぶれ(ジャポネール)のナビ」と呼ばれたのがピエール・ボナール(1867~1947)だ。1891年に描かれた、4枚のパネルからなる連作《庭の女性たち》には、彼が日本美術から取り込んだ要素が散りばめられている。例えば、4枚のパネルはすべて同じ大きさだが、縦が極端に長い画面は、日本の掛け軸を連想させる。ボナールは当初はこれらを屏風に仕立てる予定だった。また、《白い水玉模様の服の女性》での、上半身をひねってこちらを振り返るポーズは、「見返り美人図」を想起させる。

 ところで、この絵における主役は、タイトルになっている「女性」たちだろうか。彼女たちは画面に合わせて縦に長く引き伸ばされ、顔立ちも単純化されるなど、はっきりとは描かれていない。絵の前に立つ側にとって鮮烈な印象をもって映るのは、水玉やチェック柄など、彼女たちの纏うドレスの模様や色彩だ。それは4枚のいずれにおいても画面の中心を大きく占め、周囲に配されている植物の様式化されたフォルムや色彩と共鳴して明るく輝きながら、同時に画面全体の平坦さ、装飾性を強調し、特徴づける役割も担っている。描かれてから100年以上が経過した現代でも、「装飾パネル」として部屋に飾ってみたい、そのように思わせる作品でもある。

ピエール・ボナール 格子柄のブラウス 1892 キャンバスに油彩 61×33cm 
© RMN-Grand Palais(musée d'Orsay) /Hervé Lewandowski / distributed by AMF

 「庭の女性」というテーマは、ボナールの他にも後で紹介するモーリス・ドニも好んで取り上げている。このように、物語性のない、何気ない日常の一場面は、西洋美術よりもむしろ浮世絵でよく扱われたモチーフだった。ナビ派の中でも、ボナールとヴュイヤールは、生涯にわたって家族など身近な人をモデルに、何気ない「日常」の一場面を、親密さを込めて描き続けた。そのため彼ら二人を総称して「アンティミスト(親密派)」と呼ぶこともある。

3. 神秘的なものへの眼差し

モーリス・ドニ ミューズたち 1893 キャンバスに油彩 171×137.5cm
© Musée d'Orsay, Dist. RMN-Grand Palais /Patrice Schmidt / distributed by AMF

 ナビ派が取り上げたのは日常の一場面だけではない。彼らは、精神性、宗教、夢などの神秘的なもの、「目に見えない世界」にも強い関心を持っていた。それは印象派が、「目に見えるもの」にこだわり、追い求めるなかで失ったものでもあった。

 

 神秘的なテーマに目を向け続けたメンバーの一人が、モーリス・ドニ(1870~1943)だ。彼はグループでは最年少だったが、随一の理論家でもあった。1890年、20才のときに発表した論文の中では、次のような言葉を述べている。

 「絵画とは……本質的に、ある秩序のもとに集められた色彩で覆われた平坦な表面である事を思い起こすべきである」。

 テーマやモチーフとして何が描かれているか、という事よりも画面全体の装飾性に重きをおく、ナビ派の考えをよく表した一文と言えるだろう。

 

 また、彼はボナールやヴュイヤールと異なり、日本美術よりもむしろ、イタリアの初期ルネサンス美術のプリミティヴな表現から大きく影響を受け、宗教的画題も多く手がけている。特に敬虔な人柄と画風で名高い15世紀の画家フラ・アンジェリコには、ドニ自身が敬虔なカトリック教徒だったこともあって、特に大きな関心を抱いていたようだ。

 そんな彼の作品《ミューズたち》を見てみよう。「ミューズ」とは、ギリシア神話に登場する芸術の女神たちの総称。全部で9人おり、それぞれに音楽や詩など異なるジャンルをつかさどっている。しかし、この作品において、ドニは女神たちに古代風の衣装ではなく、現代風のドレスを着せている。手前に配置された3人のうち、左側に座っている女性の手元を見ると、なんと鉛筆を削っているところだ。足元の落ち葉が降り積もっているはずの地面も、まるで文様の織り出された絨毯のようだ。そして少し離れた場所からこの作品を見ると、くっきりとした輪郭線がより鮮明に浮かび上がる。まさに「ある秩序のもとに集められた色彩で覆われた平坦な表面」の中から、優美な曲線によって女性たちを、そして画面の下から上へと伸びる直線によってマロニエの木々を、それぞれ切り取り、その存在を画面に浮かび上がらせているのだ。色彩についても、茶色や黄色など落ち着いた色合いの中で、人物の肌の白や落ち葉の赤が程よいアクセントを添えている。全体を見るとまるでステンドグラスのようとも言えるだろう(実際にドニは装飾芸術にも関心を持ち、晩年には礼拝堂のステンドグラスのデザインも手がけている)。

 しかし、この絵の秘密はそれだけではない。手前の3人の女性をよく見てみると、同じ顔をしている。彼女たちはすべて、ドニの最愛の妻マルトがモデルなのだ。彼女の存在はドニにとっては創作の源、ミューズと呼ぶべき存在であり、この《ミューズたち》以外にも多くの作品に登場する。また、この作品の舞台となっているのは、マルトとの結婚式を挙げたサン=ジェルマン=アン=レー城のテラス、ドニにとっては特別な場所なのだ。このように、神話の女神という伝統的な主題を扱いながら、彼はそこに現代的な感性を融合させ、まさに新しい時代の「聖なる絵画」を生み出していった。

 日常性と神秘性。相反する要素を持ち合わせていたナビ派。1900年代に入ると、メンバーはそれぞれに独自の道を進んでいき、グループは自然消滅する。しかし、美の世界における「預言者」として、彼らが生み出した作品には、抽象絵画の先駆ともいえる作例や理論、フォーヴィズムにもつながる明るい色彩など、20世紀の主要な美術運動の萌芽をそこかしこに見ることができる。その源流のひとつに、日本美術の存在があったという事実も興味深い。

 

 フランスを筆頭に、近年ナビ派への注目、再評価の動きは高まりつつある。この機会に是非、いままで知らなかった、新たな美の世界に触れてみてはいかがだろうか。

編集部

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