文化庁が主催する「新進芸術家海外研修制度」の成果発表の機会として、1998年から開催されてきた「DOMANI・明日展」。その22回目が、1月11日に国立新美術館で開幕した。
今年度、同展は東京オリンピック・パラリンピックを受けて国が展開するプログラム「日本博2020」に参画。「傷ついた風景の向こうに」をテーマに、2010年前後に海外研究を経験した作家を核とし、国際的に評価されている11人のアーティストによるグループ展のかたちで行われている。
本展では、20世紀以降、私たちが経験した天災や人為的災害によって生じた「傷痕」を、作家たちが写真や映像などの表現を用いて「傷ついた風景」へと変容させる。参加作家は日高理恵子、宮永愛子、藤岡亜弥、森淳一、石内都、畠山直哉、米田知子、栗林慧/栗林隆、若林奮、佐藤雅晴の11名。
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プロローグ「身体と風景」では、文字通り石内都による「身体」をモチーフにした写真作品と、米田知子が制作した「風景」写真が展示。本展の着想のきっかけである石内の「Scars」シリーズは、人の皮膚に浮かぶ傷跡を接写することで、身体がかかえる「過去の痕跡」を風景のように見せるもの。事故、事件、怪我、病気、戦争、自殺未遂など、被写体の過去の出来事における、消えることのない記憶を語っている。
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いっぽう、米田はサイパン島やノルマンディ、靖国神社、中国から北朝鮮を臨む国境の川・鴨緑江など、20世紀の戦争の歴史を刻印した場所を訪れて制作した、一連の繊細な風景写真を展示。いまでこそ平然と見える風景には、かつて起きた暴力や惨事の軌跡が存在する。
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第1章「傷ついた風景——75年目を迎える広島と長崎」では、藤岡亜弥が広島を「川」という視点でとらえた写真と、森淳一が故郷・長崎の中心部に位置する金比羅山をモチーフにした絵画や立体作品を紹介。長崎に投下された原爆は、金比羅山の上空で炸裂。森は彫刻作品《山影》(2018)で、原爆の瞬間を型取った閃光の鋳型をイメージし、歴史の影に光を当てることを試みる。
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本展の前半では、20世紀の大きな戦争に焦点を当て、後半では平成時代に起きた大災害にフォーカスしている。これらの時間軸をつなぐのは、第2章「『庭』という風景——作家の死を超えて」と第3章「風景に生きる小さきもの」だ。
第2章では、若林奮が90年代後半、東京・多摩で取り組み、最終的にはゴミ処分場建設のため失われた「緑の森の一角獣座」に関する模型やペインティングを展示。第3章は、「庭」などの風景を生きる「虫」に着目。世界的な昆虫写真家として知られる栗林慧と、その息子で現代美術家の栗林隆がコラボレーションしたインスタレーション《我々の宇宙》(2020)は、昆虫を接写した写真や映像によって構成されるものであり、圧倒的な存在感で迫る。
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昨年45歳で逝去した佐藤雅晴の未完成遺作となった《福島尾行》が、第4章「傷ついた風景をまなざす、傷ついた身体」では上映される。震災後、佐藤は半年かけて福島を4、5回取材していた。癌との闘病生活を続けながら制作した本作は、駅の横に積み上げられているフレコンバッグや、除染作業を行っている人々など、福島の日常をとらえたもの。映像の一部をアニメーション化することで、現実と非現実の境界を曖昧する。
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第5章「自然の摂理、時間の蓄積」では、芽吹き、葉が育ち、落葉するといった樹木が毎年生じる摂理に向き合った作品を紹介。日高理恵子は、1983年から現在までの作品を組み合わせ、樹木の成長から老化までの過程を示す。宮永愛子は、12万枚におよぶ金木犀の葉の葉肉をとって脱色し、それらの葉をつなげた長30メートルものインスタレーション《景色のはじまり》を、展示室の天井から吊り降ろして展示した。
毎年落葉する樹木には、再生と希望の意味が込められている。本展最後のエピローグ「再生に向かう風景」には、畠山直哉が2018年から約1年半かけて、宮城県や岩手県、福島県の風景をとらえた新しい写真シリーズ「untitled(tsunami trees)」が並ぶ。津波の刻印が残っているこれらの風景の中央には、いずれも樹木が大地に根を張っており、いかに条件が悪化しているなかにも、新たな可能性があることを象徴している。
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