印象派とポスト印象派の殿堂として知られる、イギリス・ロンドンにあるコートールド美術館。そのコレクションから選りすぐりの名品を紹介する大規模展覧会「コートールド美術館展 魅惑の印象派」が9月10日、東京都美術館で開幕した。
本展は、コートールド美術館が昨年9月から改修工事に入ったことで、日本での開催が実現した。コートールド美術館絵画部門のキュレーター、カレン・セレスは、本展の開催目的についてこう語っている。「日本の皆様にすばらしい印象派のコレクション、そして実業家であったサミュエル・コートールドがどのような人だったのか、さらに、コートールド美術研究所の新たな研究成果を紹介したいと思っています」。
コートールド美術館は、1932年にロンドン大学の附属施設であるコートールド美術研究所の美術館として開館。その中核となったのは、レーヨン産業で莫大な富を築き上げた実業家であるサミュエル・コートールド(1876〜1947)が収集したコレクションだ。
美術や美術史を勉強したことのないコートールドは、1920年代から印象派作品の収集を始めた。当時のイギリスでは、印象派やポスト印象派の作品が高く評価されておらず、美術館にも収集されていなかった。セレスは、「コートールドにとって、印象派は誰もが理解できるもの、誰もが親しむことのできる、もっとも民主的なムーブメントだと感じていました」と述べている。
本展は、「画家の言葉から読み解く」「時代背景から読み解く」「素材・技法から読み解く」の3章構成で、60点の作品と24点の資料を紹介。それぞれの章には、「収蔵家の眼」というセクションが設けられており、セザンヌ、ルノワール、ゴーガンの作品を集中的に紹介している。また、会場には、これらの作品がコートールドの家に展示される様子を表す巨大な写真や、注目作品の制作背景や技法を細かく説明するパネルも設置されている。
画家たちがどのような風景を見つめ、何を考えながら作品を制作したのかを明確にするのは、1章「画家の言葉から読み解く」だ。本章では、ファン・ゴッホやモネ、セザンヌらの作品を展示しながら、彼らが画商や家族、友人に書き送った手紙による言葉も紹介。画家の日常や芸術観などを伝えてくれる。
ファン・ゴッホは《花咲く桃の木々》(1889)について、1889年4月にポール・シニャックに宛てた手紙にこう書いていた。「庭、畑、庭、木々、山々でさえまるで日本の風景画のようだ。だから、私はこのモチーフに心惹かれたのだ」。いっぽうモネは《アンティーブ》(1888)について、こう記した。「私がここから持ち帰るものは、甘美さそのものだろう。白、ピンク、青、すべてがこの夢のように美しい空気の中に包まれている」。
また、本章で注目したいのは、コートールドが作品をもっとも多く購入した画家、セザンヌの作品を大量に紹介する「収蔵家の眼:ポール・セザンヌ」セクションだ。
1922年、コートールドはセザンヌの《プロヴァンスの風景》(1879頃)と出会い、翌年から11点の油彩画や水彩画を購入していった。本章では、コートールドが購入した最初のセザンヌの作品である《キューピッドの石膏像のある静物》(1894頃)や、南仏の景色を描いた一連の風景画、フランスの労働者の男性の姿を描いた《パイプをくわえた男》(1892〜96頃)や《カード遊びをする人々》(1892〜96頃)、そして晩年のセザンヌが画家のエミール・ベルナールに宛てた手紙など重要な資料が展示されている。
産業化が急速に進んだ19世紀のパリでは、町並みや人々の生活が著しく変化し、新しい都市の景色が生み出された。「時代背景から読み解く」では、汽車や工場の煙突が描かれた新しい風景画や、劇場やミュージック・ホール、カフェで娯楽を楽しむパリの近代生活に注目する。
ピエール=オーギュスト・ルノワールの《桟敷席》(1874)は、パリの近代生活を描いた作品のひとつ。当時、絵画に劇場の桟敷席を描くことはまだ新しい試みであり、ルノワールの《桟敷席》以前に絵画に描かれた例はなかった。本作では、関係性が明確に示されていない男女を細かな表現で描写している。
また、本展の目玉でもあるエドゥアール・マネが死の前年に描いた《フォリー=ベルジェールのバー》(1882)も、本章で見ることができる。パリのミュージック・ホールであるフォリー=ベルジェールの様子を描いた本作では、鏡に映っている観客が粗い筆致で描かれるいっぽう、手前の大理石のカウンターにある酒のボトルやオレンジ、そして表情が読み取れない女性が丁寧に描写されている。
コートールドが1932年に設立したコートールド美術研究所は、美術史や美術保存を教えている場所として、世界において重要な役割を果たしている場所だ。コートールド美術館では、X線などを利用した調査や研究を通し、制作の背景や過程、画家の試行錯誤などを明らかにしてきた。「素材・技法から読み解く」では、画家が残した制作の痕跡に焦点を当てる。
エドガー・ドガの《傘をさす女性》(1870〜72頃)やセザンヌの《曲がり道》(1905)など未完成の作品では、画家の制作時の心境をうかがうことができる。モディリアーニの《裸婦》(1916頃)をX線で調査することで、顔と身体の筆づかいが異なることが判明している。ドガの没後に発見された蝋による彫刻をもとにブロンズに鋳造した《右の足裏を見る踊り子》(1890/1923)は、ドガの指や使用した道具の跡などを忠実に再現している。
20年ぶりに来日するコートールド美術館の名品。セレスは、「おそらくサミュエル・コートールドも、今回、自分が集めて愛した作品を日本で大勢の皆様に見てもらうことを、大変喜んでいると思います。彼は、芸術は多くの人と共有するもので、それによって人々の生活が豊かになることを信じていました」と語る。