20世紀を代表する建築家、ル・コルビュジエ(1887~1965)。その1920年代の活動「ピュリスム(純粋主義)」にフォーカスした初の大規模展覧会「ル・コルビュジエ 絵画から建築へ―ピュリスムの時代」が、東京・上野の国立西洋美術館で開幕した。
スイスに生まれたル・コルビュジエことシャルル=エドゥアール・ジャンヌレは、現地の美術学校で学んだ後、1917年よりパリを拠点に定めて活動。翌18年末より、同年代の画家のアメデ・オザンファン(1886~1966)とともに、本展タイトルにある「ピュリスム(純粋主義)」の運動を開始する。
このピュリスム(純粋主義)とは、芸術に普遍的な規則を求め、比例と幾何学によって明快な構成をつくりあげるというもの。1920年には雑誌『エスプリ・ヌーヴォー(新精神)』を創刊し、機械文明の進歩に対応した「構築と総合」の理念を、芸術と生活のあらゆる分野に浸透させることを訴えた。ジャンヌレがペンネームである「ル・コルビュジエ」を使い始めたのはちょうどこの頃。『エスプリ・ヌーヴォー』に「ル・コルビュジエ」のペンネームで建築論を連載し、1922年には従弟のピエール・ジャンヌレと共同の事務所を開き、建築家としての活動を本格化させていった。
本展は、こうしたル・コルビュジエの活動の流れを「ピュリスムの誕生」「キュビズムとの対峙」「ピュリスムの頂点と終焉」「ピュリスム以降のル・コルビュジエ」の4章によってほぼ時系列に俯瞰するものだ。
展覧会はル・コルビュジエが設計した国立西洋美術館の象徴的な場所である「19世紀ホール」から始まる。このホールは回廊状になった国立西洋美術館本館の中心となる場所であり、ル・コルビュジエが提唱した「無限成長美術館」というコンセプト(展示空間が螺旋状に展開され、展示スペースを無限に増築できる構造)を体感できる場所。高い天井と十字の梁、そして自然光が特徴的なこの空間には、20代のジャンヌレが第一次世界大戦後の復興のために考案した住宅システム「メゾン・ドミノ」をはじめ、複数の模型が並ぶ。
世界遺産でもあるこの建築の中心部を体感したら、本館2階へ。同階を回遊するように1〜4章は構成されている。
ジャンヌレ(ル・コルビュジエ)とオザンファンの作品が対比された第1章「ピュリスムの誕生」。ここでは、食器や楽器などありふれた対象を安定感ある構図で描くことで、時代を超えた秩序ある構成を追求しようとした二人の姿勢が提示されている。
同館副館長の村上博哉はこの二人に作品についてこう語る。「よく似ていますが、オザンファンが平面的であるのに対し、ジャンヌレ(ル・コルビュジエ)は三次元的に空間を表現することに関心がありました」。
こうした二人の作品と「キュビズム」との関係を見ることができるのも本展の大きな特徴だ。本展に並ぶのは、パブロ・ピカソ、ジョルジュ・ブラック、ファン・グリス、フェルナン・レジェといった画家たちの作品。村上はキュビズムがピュリスムに与えた影響について、「キュビズムは純粋なかたちによって構成されています。これを受けて、ル・コルビュジエは建築も幾何学的なかたちによる構成を目指すべきだと主張しました」と話す。「キュビズム作家たちとの交流は重要な要素となったのです」。
このようにキュビズムから影響を受けたジャンヌレ(ル・コルビュジエ)。しかしピュリスム終焉以降の1925年頃からは自然の有機的なかたちに興味を示し始め、1928年には「人間と自然との調和」が新たなテーマとなる。
また同年から絵画作品に「ル・コルビュジエ」のサインを入れるようになった。積極的な公開は1925年以降止めていたものの、絵画は変わらずル・コルビュジエにとって重要な芸術であり続け、その探求の成果は様々な建築へと反映されていったのだ。
本展を見れば、建築家としてのル・コルビュジエがいかに形成されてきたのかがよくわかるだろう。しかもその過程をル・コルビュジエ自身が設計した美術館で見ることができるのはここだけだ。
通常より壁が明るく照らされ、コルビュジエが本来意図した自然光による空間に近い雰囲気を目指したという会場。壁に並んだ絵を見るだけでなく、絵と建築の関係を体験してほしい。