今秋モスクワで始まったイリヤ&エミリア・カバコフ「誰もが未来に連れていってもらえるわけではない」は、テート・モダン(2017年10月〜2018年1月、ロンドン)、エルミタージュ美術館(2018年4月〜6月、サンクトペテルブルク)からの巡回展だが、最終会場となるトレチャコフ美術館(モスクワ)の展示では、前2館の展示では希薄だった一貫した物語性が強調されている。
それは、苦痛や苦難の連続である日常をどうにか生き延びつつ、死後の運命を心配し、必死に救いを求める人間の物語である。その苦悩する人間像は、イリヤ・カバコフ自身の半生と避けようもなく重なってくる。
社会主義のなかで生み出された絵画
展覧会は、1960〜1980年代初頭にカバコフが描いた一連の実験的な平面作品によって始まる。安い素材の上にアッサンブラージュの手法でソ連の日用品を貼りつけ、社会主義国家の管理された日常を描写するテクストを描きこんだこれらの作品は、病的なまでに画一的であることを求められたソ連人の退屈で滑稽な生を主題としている。
カバコフは当時、50歳という年齢を越えてなお、文化統制により作品公開の自由すらなく、少数の仲間にしか作品を見せることができない状況に深く絶望していた。また、アンダーグラウンド作家として社会主義的な規範から外れた作品を制作している以上、自分も秘密警察に逮捕されるはずだという恐怖にとり憑かれ、KGBが自宅に踏みこむ瞬間を繰り返しドローイングに描かずにはいられない、逼迫した精神状態にあった。
本展の冒頭で展示された上記のペインティングは、そうした状況の中でカバコフが果敢に行った芸術実験であり、モスクワ・コンセプチュアリズムの特徴である「社会との距離感」のもとにソ連の生活を外部の視点からユーモラスに批判した作品群であるが、それと同時に、カバコフが自分の精神をどうにか平静に保ち、出口のない社会で生き延びるために必要とした対症療法的な作品でもあった。
総合空間芸術へ
1980年代半ば、ようやく西側で不特定多数の観客を対象に作品を発表する機会を得たカバコフは、ソ連という文脈、ソ連の空気感を表現するために、総合空間芸術(トータル・インスタレーション)の制作を始める。本展でもこの時期の代表作である《自分の部屋から宇宙に飛び出した男》(1985)、《16本のロープ》(1984/1994)等が展示され、カバコフの創作の軌跡が示される。
ソ連の劣悪な共同住宅を舞台にカバコフが描き出すのは、ソ連的な閉鎖空間から異世界へ飛び出すことを切望した男、「ゴミを捨てることは記憶を捨てること」だと考えてすべてのゴミにメモをつけて保存し、ソ連の平凡な人々の「声」を記録し続けた聖愚者のような男の物語である。ソ連をいかに表象するか、ソ連崩壊の熱狂とともに「なかったこと」にされ、急速に忘れ去られていったソ連人の日常をいかに記憶するかということが、ソ連を出国した80年代半ばから90年代末まで、カバコフの創作の最大のテーマとなった。
死んだ芸術家はどのように記憶されるのか
しかし、同年代のロシアの詩人や画家仲間が次々に世を去り、カバコフ自身も病魔に侵された2000年代、カバコフの創作のテーマは、「ソ連人はどう記憶されるか」という課題から、「死んだ芸術家はどのように記憶されるのか」という課題へと移行していく。本展では、この転換期の代表作であるインスタレーション《誰もが未来に連れていってもらえるわけではない》(2001)が展示され、無情にも一部の芸術家だけを乗せて未来へ去っていく電車と、線路の上に置き去りにされたカバコフの作品の対比によって、死後の忘却に対する恐れと、つねに「古い美術」を否定することによって発展してきた美術史への懐疑が暗示される。
赤い不吉なライトを放つ電車の脇を抜けると、隣室は《空っぽの美術館》(1993)だ。そこにあるのは臙脂色の壁と黒い長椅子からなるヨーロッパの伝統的な美術館の部屋を模した空間だが、「手違い」でまだ作品が届いていないために、壁は空っぽで、絵のあるべき場所には照明だけが当たっているという設定である。
壁の12ヶ所に縦長の楕円形の光が浮かび上がり、バッハの音楽が流れるその空間は、美術館であると同時に教会を、絵のあるべき場所に並ぶ楕円形の光は昇天するキリストや聖人の像を連想させる。あらゆる芸術家は、たとえ未来(美術史)に名を残すための電車に乗れなかったとしても、死後、昇天し、作品もまた永遠の生を生きるという願いがこめられているのか。
本作は、今回の巡回展ではトレチャコフ美術館でのみ展示されたが、前室の《誰もが未来に連れていってもらえるわけではない》との効果的な対置によって、カバコフの創作テーマが「いかに記憶されるか」という課題から、死後の浄化と救済の希求へと最終的に変化していく状況があざやかに提示されていた。
知られざるカバコフ
また、本展で重要な位置を占めるのが、イリヤ・カバコフの母親の自伝をもとに作家が制作したアルバムを長く薄暗い廊下に展示した《迷宮 私の母のアルバム》(1990)である。冷酷な夫との愛のない結婚生活、中絶、戦争、失業、貧困に倦み疲れ、一人息子を画家にするために身を粉にして働いた母親の自伝(母親は愛する息子のたっての願いでこの自伝を書いた)を読んだ観客たちは、「いままでカバコフの作品をよく知っていると思っていたが、彼の作品の源泉を何も理解していなかったことに気づいた」と語り合っていた。
《迷宮 私の母のアルバム》はテート・モダンとエルミタージュでも展示されたが、トレチャコフ美術館の展示では、折れ曲がる長い廊下を通り抜けて最後の扉を開けると、眼前に、インスタレーション《天使に出会う》(1998 / 2002)の巨大な模型が展示されており、その構成も本展に強いストーリー性を与えている。
《天使に出会う》は、ソ連に住む架空の平凡な人々の夢を保存する博物館として構想された巨大なインスタレーション《プロジェクト宮殿》(1998)に収められたプロジェクトのひとつであり、「絶体絶命の状況に陥ればきっと天使が迎えに来てくれる」と考えた男が、はてしなく長い危険な梯子を登りきったところで、望み通り天使に迎えられる場面を描写した作品だ。カバコフの母親の陰惨な人生そのものである暗い廊下を抜けると、眼前に両手を差し伸べた天使が待ち受けているというのは、カバコフが晩年に行き着いた希望の光景である。
本展ではカバコフの主要作品の多数の模型も展示されていたが、本展のテーマにも深く関わる象徴的なインスタレーション《人生のアーチ》(「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2015」で新潟県十日町市に恒久設置)の模型が、ひときわ存在感を放っていた。
5つの彫刻からなる本作は、人生の諸段階を表現しているとカバコフは語る。
ー「人生の始まり」を表す「卵」の形をした人間の顔
ー「人生に向き合うことを恐れる」少年の像
ー重荷を背負い歩き続ける「光の箱を背負う男」
ー人生から逃げようとする「壁を登ろうとしている男。あるいは永遠の亡命」
ーそして、重いものを背負ったまま地に倒れた男の像である「終末、疲れた男」
本作は、人間の普遍的な姿を描いた彫刻であると同時に、1980年代に西側に移住して世界的な名声を得た後も、旧ソ連出身のアーティストとして疎外感を感じ、重い病に苦しみ続けたカバコフの自伝的な作品でもある。
しかし、とりわけロシアのアートシーンでは、これまでカバコフはスーパースター的な存在として嫉妬され、パロディ化されてきた記号のような存在であり、なぜ彼がソ連を主題にする作品を制作せざるを得ず、彼のテーマが時を追ってどのように変化したかという内面や個人史について理解し、議論しようとする気運はほとんど見られなかった。それは、2004年にエルミタージュ美術館で開催されたロシア初のカバコフの大回顧展や、2013年にマルチメディア美術館(モスクワ)で開催された「ユートピアと現実? エル・リシツキー、イリヤ&エミリア・カバコフ展」の羅列的ともいえる展示にも一因があった。だが、様々な記憶や恐れに苛(さいな)まれてきた「苦しむ人」としてのカバコフの本質を初めて赤裸々に表現した本展は、これまで見過ごされてきたカバコフ像を提示することに成功している。
蛇足になるが、筆者が2015年夏、ドローイング調査のために、約1ヶ月、ロングアイランドのカバコフ邸の別棟で暮らし、作家の話を毎日聞き続けたときに感じたある種のもどかしさ(世界に対する作家の感覚、作家の人生観が、総体として他者に伝わっていないということ)は、本展によってかなり解消された。だが、もし次の大回顧展を企画するならば、それは、カバコフが自分の関心、恐れ、希望を日記のように描き続けた未公開の大量のドローイングを中心に行われるべきではないか。そのとき、イリヤ・カバコフの知られざる闇と祈りが、本展とはまた違ったかたちで姿を現すはずだ。