人類共通の問題を追求するための南極ビエンナーレ
アレクサンドル・ポノマリョフ(1957年生まれ)は、水夫としての経歴を経てアーティストとなり、水や海をテーマに制作を続けてきたロシアの作家である。瀬戸内国際芸術祭2016(秋会期)で、塩飽(しわく)本島の漁師の生活にインスピレーションを受けた大作を制作し終えた今、彼はコミッショナーとして世界初の南極ビエンナーレを開催するという夢の実現に向けてラストスパートをかけている。
順調に準備が進めば、南極への航海は、2017年3月27日、アルゼンチンからスタートする予定であり、約100名の参加者が研究船に同乗して12日間を船上でともにする。「約25名のアーティストの他、詩人、哲学者、南極や海を研究課題とする自然科学の研究者らが参加し、各々の活動に取り組むと同時に対話を重ねる」のだとポノマリョフは語る。
様々な分野の人々を招待する理由は、「人類共通の問題を解決するための新しい原理を求め、多様な方法論が出会う場を設けるため」だという。「それらの中心にいるのが芸術家です。芸術家は世界の全体像を俯瞰することができるからです」。
航海の間、作家たちは組立てと移動のしやすさ、環境問題に配慮した作品を海上や氷山に設置するが、南極を離れる前にすべて撤去し、後には何も残さない。航海の全行程は記録し、持ち帰った作品とともに世界各地の美術館や、2014年にポノマリョフらがヴェネチア建築ビエンナーレ会場に設立した南極パヴィリオンで展示する。しかしポノマリョフは、それらの展示、あるいは南極への航海そのものも、南極ビエンナーレのもっとも重要な本質ではないと言う。「私は南極ビエンナーレをプロセスのビエンナーレであると考えています。これは動きであり、冒険、旅なのです。南極への航海が南極ビエンナーレの核であることは確かです。でもより大切なのは、南極や海、宇宙といった人類共通の問題、1つの国だけで研究、解決できない普遍的な問題について、国や分野を超えて人々が集まり話し合うための場をつくることなのです。私たちは今まで時間をかけてそのための機構をつくり、同じヴィジョンを持つ同志を探してきました。その意味で南極ビエンナーレはもう始まっているのです」。
それにしてもなぜ南極なのか? ポノマリョフが個人の作家としての制作のために南極や北極海への航海を重ね、「驚くほど大きいその景色」に魅了され、それを他者と分かち合いたいと思ったとき、この計画は自然に生まれたのだという。「最初、これは私のプロジェクトでした。でも今では皆のプロジェクトなのです」。
そして南極が時間と空間、国家という枠組みを越えた空間であることに大きな意味があるとポノマリョフは語る。「南極はすべての子午線が集まる場所であり、そこには時間がありません。南極を航海することは、日常の時間から離れて今を生きるという体験を私たちに強いるのです。南極の航海は、時間と空間の境界を越えて複数の次元を同時に生きることです。1959年に結ばれた南極条約により、南極はどの国にも属していません。南極は人類全体の関心に基づく創造のためにふさわしい場所なのです」。
特定の国に常設パヴィリオンを建てて行うヴェネチア・ビエンナーレとはまったく異なる南極ビエンナーレを、ポノマリョフは「さかさまのビエンナーレ」と呼ぶ。初回の航海には、ハニ・ラシッド、トマス・サラセーノ、蔡國強、マシュー・リッチー、公募によって選ばれた若手作家らが参加する予定である。「さかさま」の白い大地に立ったとき、彼らは何を語り合うのだろうか。詩人でもあるポノマリョフは南極に捧げた詩の中で次のように書いている。「彼らはたがいの間に横たわる距離を乗り越え、孤独を克服する。涯の彼方から自分自身と自分の感情を眺める」、「さあ、空間の受難者として名乗りを上げよう」と。
(『美術手帖』2017年1月号「INFORMATION」より)