不自由展再開、日時は決定せず
「表現の不自由展・その後」の展示再開を目前にした「あいちトリエンナーレ2019」で、同トリエンナーレ実行員会と検証員会が主催する国際フォーラム「『情の時代に』における表現の自由と芸術」が愛知芸術文化センターで開催された。
シンポジウムは1部のプレゼンテーションと、2部のディスカッションで構成。登壇者は第1部が山梨俊夫、曽我部真裕(ヴィデオ出演)、横大道聡、デイビッド・マクニール、第2部が津田大介、ペドロ・レイエス、モニカ・メイヤー(Skype)、小泉明郎、藤井光、アライ=ヒロユキ、横大道聡、デイビッド・マクニール。司会進行は林道郎が務めた。
まず1部では、「あいちトリエンナーレのあり方検証委員会」で座長を務めた国立国際美術館館長・山梨俊夫が「表現の不自由展・その後」の中止に至る過程と検証委員会の立ち上げについて説明。5日時点では、不自由展再開について時期が決定していないことを明かした。
また愛知県が採択を目指す「あいち宣言(プロトコル)」については、参加作家とキュレーター・チームが中心となり原案と草案を作成。今後パブリック・コメントを募集し、最終的には10月14日の会期末日での採択を目指すという。山梨はこの「あいち宣言」の普及効果について、海外のアーティストや美術館、地域の芸術祭だけでなく、渦中の文化庁に対しても影響を与えうると言及した。
続く曽我部はヴィデオ出演し、表現の自由の重要性の裏付けとして、ヨーロッパ人権裁判所の1976年の判決を参照。表現の自由が「民主的社会の本質的基礎」であり、「国家や一部の人々を傷つけたり驚かせたりするようなものにも、表現の自由は保障される」と法的な立場から説明。
同じく法的な見地から、横大道は現在の国家が表現の自由に対して関与する場合、「場所を貸さない」「援助をしない」といった対応によって表現の機会を奪っていくことが現代型の表現の自由の問題だと指摘。行政が「お金を出すのであれば口も出す」という状況への対処方法について、憲法学の議論では行政との間に専門機関を挟み、分離するのが主流だと話す。これは、「あいちトリエンナーレ」実行委員会会長を愛知県知事が担うという構造には一定の問題があることを示唆している。
理論より行動を
2部では、「表現の不自由展・その後」展示中止を受けて自身の作品内容を変更したモニカ・メイヤーが《平和の少女像》には様々な解釈が可能だとし、「何千もの女性が失踪したり人身売買されたりするメキシコの女性にとっては、連帯の象徴」としながら、物事は白と黒で二分されるのではなく、「グレーエリア」があり、かつそれは社会ごとに異なることを理解する必要性を説いた。
いっぽう、同トリエンナーレのキュレーターのひとりでありながら、海外作家とともに展示ボイコットを求める声明に名を連ねたペドロ・レイエスは、「キュレーターとして、私はアーティストに寄り添わなければならない。だからステートメントに署名をした」とその理由について説明。その一方で、展示中止の一連の動きはチャンスでもあると語った。「危機は会話のきっかけになる。日本の現代美術シーンにはそういう会話がない。危機は皆にとって議論の始まり。本当の価値とは議論を続けることであり、非常にナイーブなかたちではあるが、そのスタートを切っている」。
この日は飛び入りで、「表現の不自由展・その後」参加作家である安世鴻(アン・セホン)と金運成(キム・ウンソン)も発言。安は、これまでの検閲の歴史があるうえで「あいちトリエンナーレ2019」の状況がつくられたとしながら、この日のシンポジウムを受けて「理論を検討するよりも、表現の自由を守る行動こそが大事」と指摘。
またキムは、表現の自由は「与えられるものではなく、勝ち取るもの」だと強調。「(表現の自由が)公的な場で議論されなかったことがいまの不自由展の状況をつくっている。自主規制の積み重ねによって、いつの間にか表現の自由が守られなくなっている」としながら、「表現の不自由展・その後」がほかの参加作家と同様の条件で再開されることを要望した。