都内からは車で約1時間ほど、高滝湖と森に囲まれた静かな環境に佇む市原湖畔美術館。カワグチテイ建築計画/川口有子+鄭仁愉がリノベーションを手がけたモダンな建築でも知られるこの美術館で、展覧会「更級日記考―女性たちの、想像の部屋」がスタートした。
『更級日記』はいまから1000年前の平安時代、当時13歳の少女・菅原孝標女が上総国(現在の市原市)で暮らし、京や源氏物語へ憧れていた少女時代から始まり、その後京へ戻り、現実世界に一喜一憂するひとりの女性の半生が描写された平安時代の日記文学。本展は、この世界観から着想を得ている。
参加作家は碓井ゆい、UMMMI.、大矢真梨子、今日マチ子、荒神明香、鴻池朋子、五所純子、小林エリカ、髙田安規子・政子、光浦靖子、矢内原美邦、渡邉良重の12組。美術館館長であり、瀬戸内国際芸術祭、大地の芸術祭などのディレクターを務めてきた北川フラムは、「私がディレクターを務める芸術祭のファン層は、30代後半〜50代の働く女性たちが多いんです。日本のアートを後押しするその層にも本展を楽しんでもらえたら」と話す。
本展の冒頭に展示されるのは、鴻池朋子が2014年より行うプロジェクト「物語るテーブルランナー」の一部だ。震災をきっかけに、東北の山村を歩き、人類学、民俗学、考古学への知見を得るための日々を過ごした鴻池は、個人の思い出を聞き、下絵を描き、それをもとに地元の人々が手芸を行う「物語るテーブルランナー」をスタート。本展には、秋田と珠州の人々による30点が集まっている。
その横に並ぶのは、五所純子が2010年にスタートした“日記”である「ツンベルギアの揮発する夜」。あるエッセイストが著書に記した「女性誌というのは、読みすぎるとバカになりますが、読まなすぎるとブスになる」という一節を発端とした本作について、五所は次のように話す。「女性はどのようにつくられるのか?という思いが根底にあります。バカにもブスにもならない女性誌の使い方をしてやろうと思い、日めくりカレンダーに日記を綴り、女性誌をコラージュしています」。
現在、ロンドンと東京を拠点とするUMMMI.は、遠距離恋愛中の知人カップルがInstagramのストーリー上で交わす交換日記をもとに、フィクションとノンフィクションが交差する作品《ROSE CITY》を発表。縦型のモニターが、スマートフォンのディスプレイを彷彿させる。なおROSE CITYとは、本作に登場する女性が生活をする町の名前だという。
《toi, toi, toi》とは、アーティスト・コレクティヴ「目」のメンバーでもある荒神明香が手がけたシャンデリアの作品。色とりどりのガラスが穏やかな光を発する本作の素材は、事故を起こした車のヘッドライトやフロントガラスの破片だという。高校時代、夜道で光るガラスの破片を発見して以来、何年にもわたり荒神が拾い集めてきた素材。忘れ去られ、ときに忌々しくもとらえられる破片が美しく光を放つ本作からは、大きな再生の物語が見えてくる。
荒神とおなじくガラスを素材とするのは、碓井ゆいの《空(から)の名前》。フランスの化粧品会社・ゲランが、日本人女性をイメージして1919年より発売するロングセラー香水「MITSOUKO(ミツコ)」。会場に並ぶ小瓶は、それらのラベルを模したガラス瓶だ。ラベルには「HAROUKO」(フランス語表記でハルコ)をはじめ、様々な日本人の名前が書かれているが、それらはすべて、太平洋戦争中に旧日本軍の従軍慰安婦として仕えた女性が母国での名前を奪われ名乗った源氏名だという。
『アンネの日記』に深い感銘を受け、作家を志したという小林エリカ。戦争下で「隠れ家」に潜むアンネ・フランクの日々が綴られた本作と、アンネと同じ年の生まれである小林の父が残した日記を対比的にたどる作品が《Your Dear Kitty, 2Diaries》だ。小林は、ふたりの日記を日々めくり、自身も日記を書いた書籍『親愛なるキティーたちへ』(リトル・モア)も2011年に発表しているが、既存の日記が異なる創作物やへとつながっていくという点において、《Your Dear Kitty, 2Diaries》は『更級日記』を起点とした本展を象徴する作品のひとつであるようにも見える。
その他会場に並ぶのは、幼少期から大切にしてきたもの、最近購入したものなどを組みわせた渡邉良重の《わたしがそれらにかえしたもの》、叔父・矢内原伊作と交流のあったアルベルト・ジャコメッティの銅像にまつわる矢内原美邦の《パラレル》。そして、朽ちた花がステンドグラスの光を浴びることで再生したかような色彩を見せる大矢真梨子の写真《10 flowers》や、お笑い芸人としても知られる光浦靖子の手芸作品《メイランド》他など。
本来は秘される日記や内面世界が昇華した作品が集まる本展。喧騒から遠く離れた静かな美術館のなかで、親密でありながらも開放感のある作品世界に触れてほしい。