エコール・ド・パリを代表する画家、キスリング(1891〜1953)。ポーランドのクラクフで生まれたキスリングは、同地の美術学校を卒業後、19歳で渡仏。モンマルトルやモンパルナスで、ピカソ、ジョルジュ・ブラック、モディリアーニなど多くの芸術家と知り合った。
活動初期はキュビスムの影響も受けたものの、キュビストのように現実世界から離れることには抵抗し、すぐに主題を写実的に表すようになったキスリング。イタリアやフランドルの古典的な絵画を積極的に学びながら、1920年代の絵画に見られる秩序への回帰の動きに同調していった。
キスリングは、風景画、静物画、裸婦などにおいて独自のスタイルを発展させたが、とくに肖像画からキスリングの独自性がよくうかがえる。丁寧な筆致によって洗練されたレアリスムと、静謐なムードに満ちた官能的な色彩によって、キスリングはエコール・ド・パリの重要な芸術家として位置付けられている。
友人や妻、女優、モデル、少年、少女の肖像画を豊かな色彩で描いたキスリング。とくにフランスの女性小説家・コレットの娘を描いた《ベル=ガズー(コレット・ド・ジュヴネル) 》(1932〜33)は、透明感あふれる絵具の表情や写実的に描きこまれた細部、そして、憂いを含んだ大きなアーモンド形の瞳など、キスリングの肖像画のスタイルがよく表れている作品だ。
キスリングは、2度の世界大戦を経験するなど激動の時代を生き抜いた画家でもある。しかし、社交的で人望があり面倒見の良かったキスリングは、時代に翻弄されながらも家族や友人に恵まれ、絵の制作依頼も途絶えることなく、最後まで絵を描き続け、画家として幸せな人生を歩むことができた。
そんなキスリングの日本では12年ぶりとなる個展「キスリング展 エコール・ド・パリの夢」が、港区の東京都庭園美術館で開催。本展では、キスリングの滞米時代の作品を含む約60点によってその画業を振り返ることができる。