2人の関係が築いたもの
──創作に関して2人はどのような関係にあったのでしょうか。
基本的に2人は別々に制作を行っていました。トイバーはオーベットが竣工した1928年に油彩画に取り組み始め、翌年には教職を辞して造形とフォルムの探求に打ち込むようになる傍ら、設計やデザインの仕事も継続しています。アルプは30年頃からちぎった紙片に偶発的イメージを見出すコラージュ「パピエ・デシレ」を始めるとともに、彫刻に取り組むようになります。

各々の関心に基づき表現を行ういっぽう、互いに影響を与え合っています。アルプはトイバー作品の構成の「明晰な静けさ」に影響を受けたと後に回想し、トイバーはアルプが始めた平面と立体を統合したレリーフ形式の作品を制作しています。リアルタイムで相手について語った言葉はあまり残っていませんが、刺激を与え合って理想も共有したパートナーシップだったと思います。

──7点のコラボレーション作品は本展の大きな見どころです。2人の協働について教えてください。
夫妻が作品をコラボレーションした時期は、3度ほどありました。知り合って数年後の1918年、36~37年、39年です。本展は、2人が39年に共作した5点の《デッサン(デュオ=デッサン)》と、他の画家と計4人でコラボレーションした作品などをご紹介しています。

即興的に2人が制作したと思われるデュオ作品は、曲線と幾何学的形態が混然となって調和し、どちらがどの部分を描いたかはよく分かりません。アルプは芸術の個人主義に否定的でしたから、あえて分からないようにしたのでしょう。一人の「個」では限界がある創作を、他者を巻き込む協働により超えていく意図があったと考えられます。

──確かに配偶者はどれほど親密でも「他者」です。島本さんは、2人のデュオ作品はどのようなところが魅力的だと感じますか?
一般的に作家同士のコラボレーションは、互いの技能を補い合ったり、一人では困難な大きさや手間が掛かる作品を実現したりするために行う傾向があります。ただ2人の場合は、手を動かして思いがけない形態が生まれる瞬間を一緒に楽しんだのではないでしょうか。作品のなりは小さくても、純粋で自由な創造の喜びが画面に脈打っているようです。
──30年近い2人の関係は、1943年にトイバーが53歳で事故死し、突然断ち切られました。
妻の急逝に大きな衝撃を受けたアルプは、4年間にわたり彫刻を制作せず、彼女を追悼するグワッシュの連作や詩を作りました。本展最終章では、死後のコラボレーションとも言うべき、トイバーのドローイングに基づいてアルプが制作したレリーフ作品や彫刻を紹介しています。


アルプは、トイバー作品のカタログ・レゾネ的な書籍の編纂にも関わりました。同書では応用芸術の要素は薄められて、絵画に注力した1930年代以降の仕事のほうが密度高く紹介されており、トイバーを美術領域の作家として歴史化しようとする意図がうかがえます。様々な方法で彼女の喪失と向き合った時期を経て、アルプは制作の比重を彫刻に移し世界的な評価を高めていきました。

──没後約80年たつトイバーは、今なぜ再評価されているのでしょう?
トイバーは、1954年にスイスのベルン美術館で、1964年にパリの国立近代美術館で回顧展が開催されるなど、過去も評価が低かったわけではありません。ただ、それらはトイバーを「美術家」と限定的に規定しての紹介でした。近年の再評価は、彼女の領域横断性をポジティブに受け止め、マルチかつ自由なクリエーションを追求したアーティストという、現代的な創作観、アーティスト観に基づいています。彼女の作品の一部、たとえばパフォーマンスは残っていませんが、そうしたエフェメラルな活動や着想力を含めて、2人がともに育んだ豊かな創造性を会場で感じていただければと思います。