アレッサンドロ・シャッローニ『ラストダンスは私に』について
──いっぽうのアレッサンドロ・シャッローニ『ラストダンスは私に』は、イタリアの伝統的なフォークダンス「ポルカ・キナータ」を、楽曲をミニマル・ミュージックにしたり、尺を長くしたりといった演出を加えていましたが、ほとんどオリジナルのまま使用した作品でした。
岡田 じつは『ラストダンスは私に』でもっとも感動してしまったのは、カーテン・コールの後にダンサーの2人が踊ってくれた、オリジナルのポルカ・キナータでした。これを言ってしまうと身も蓋もないのだけど、伝統的な音楽とともに踊るフォークダンスは本当に素敵なものだと思いましたし、ダンスそのものの面白さもはっきりと感じられた。
だからこそ、作中ではなぜ音楽をミニマル・ミュージックにしてしまったのかと思ってしまいましたし、2人が親密になっていくプロセスが描かれるような、ある種の演技性がこの作品にもありましたが、それは僕には、このポルカ・キナータというダンスの魅力をスポイルしてしまっていると感じられました。
──伝統的な演目をどのような態度で再演すべきなのか。非常に難しい問いですね。岡田さんは、現代における歌舞伎演目上演の可能性を発信し続けている木ノ下裕一による「木ノ下歌舞伎」の『桜姫東文章』で、脚本と演出を担当されています。歌舞伎という伝統芸能を現代において演出するにあたって、どのようなことを心がけましたか。
岡田 ひとことで言えば『桜姫東文章』というテキストをリスペクトすることを心がけました。もっともぼくがここで言う「リスペクト」はかなり曲者ですけど。
例えば、あのテキストには差別的な視点や倫理的にダメなところがあります。それは200年以上前に書かれたからかもしれないけれども、原作者の鶴屋南北はそれをわかっていてあえてやっているところがあるとも言われている。でも僕は、原作のそういうところをごまかしたりぼかしたり書き換えたりということはしませんでした。忠実に、現代の言葉に置き換えるということだけをしました。テキストの責任を僕は引き受けない。その責任は原作者にある。それが僕の言うリスペクトです。