(ラ)オルド+ローン『ルーム・ウィズ・ア・ヴュー』について
──まずは(ラ)オルド+ローン『ルーム・ウィズ・ア・ヴュー』について聞かせてください。公演を見て、どのような感想を持ちましたか。
岡田 率直に言ってあまり感銘を受けませんでした。地下の採石場のような、文字通りアンダーグラウンドな場所を舞台に、クラブ・ミュージックがかかって、ダンスが展開する。初めにある種の閉塞状況があって、それが解放されていく。一体感が生まれていく。そういう物語の流れがあるんですけそういう物語の流れがあるんですけど、それであればそこにあるべきグルーヴのようなものが、マルセイユ国立バレエ団のバレエダンサーの身体性からは感じられなかったんですよね。
──ダンサーが持つ本来の身体の不在、というのは非常に重要な指摘だと思います。岡田さんはご自身が演出されるとき、役者の身体をどのように表現しているのでしょう。
岡田 役者の身体性をつくり出すテクニックは、僕にはありません。ただ、その人の身体が備えている味わい、その素材感を殺さないようにすることは意識しています。演出家が役者やパフォーマーが持っている「素材」の良さを殺しちゃうのは簡単です。リハーサルの過程で、自分が良かれと思って施した演出によって役者の身体の素材感が死んでしまったと感じたら、その演出はやめます。
──『ルーム・ウィズ・ア・ヴュー』は大規模な舞台美術が施されており、またストーリー性があるという、コンテンポラリー・ダンスでありながらも、同時に演劇的な作風を志向した作品ではありました。
岡田 本来であればダンスは、演劇性なんか取り込まなくたってダンスをしていれば紛れもなくダンスになりますよね。盆踊りもブレイキンもダンスですから。ではなぜダンスは、とくに舞台芸術としてのダンスは、演劇的要素を持とうとすることがしばしばあるのか? ダンスに演劇的なアプローチがあってももちろんいいけれど、それによってダンスが死んでしまう、ということが得てしてあると思うんです。それは避けるべきでしょう。それでは、演劇的な要素によってダンスをより豊かにするには、どうしたらよいのか? ダンスと演劇の関係というのは、つねにちゃんと考えておきたい問題です。