「これは自分のやりたいことなのか?」
──まずはマークさんの生い立ちからお伺いできればと思います。1964年にリバプール近郊のバーケンヘッド生まれで、エルズミアポートのご出身ですよね。当時の英国では政治的、文化的に大きな混乱があるなかで自己形成期を過ごされたわけですが、どんなティーンエイジャーでしたか? ベン・ルークさんとのポッドキャスト番組のなかで、あなたは「14、15歳の頃の自分に戻ると精神的に安定する」と語っていますね。
エルズミアポートというリバプールの反対側にある街の出身なんだけど、最近、イギリスのとある新聞の「住みたくない街ランキングTOP10」みたいなランキングの7位にランクインしてしまったくらい、治安も悪くて住みづらいところなんだ。いわゆる工業地帯で、16歳で学校を卒業したら工場に就職するのが当たり前の地域だったんだけど、ちょうど僕が卒業する頃に地域の工場が全部倒産して就職先がなくなってしまい、将来に対する希望が見出せなかった。何もすることがなくて、仲間とつるんで警察沙汰になったりとか、結構荒れた10代を過ごしていたんだ。選択肢も少なかった。家も追い出されていたからね。そんあとき、ある人が「何か頑張ったほうがいいよ、絵が上手いんだからアートスクールに行けば?」って言ってくれたんだ。自分は労働者階級だったから大学に行くという考えすらなかったけど、住む家まで手配してくれる奨学金ももらえた。だからそれがいちばんいい選択肢に思えたんだ。実際に入学してみると周りは全然違うタイプの人間ばかりだったね。それまでは好き勝手をやっていたし、教育を受けてきた人たちのことを毛嫌いしていた。劣等感があったから、全然馴染めなくてね。だから大学ではアート作品がつくりたいというより、似たような感覚の人がいたらバンドを組みたいな、くらいの感覚だったかな。
──在学中はどんな活動をされていたのですか?
結局バンドも組めなかったし、学生の頃はほとんど何もつくれなかったんだけど、ひとつの作品が「New Contemporaries」という展覧会に選ばれて展示されて、自信をつけてしまったんだ。自分はすごくできるってね。それがダメで、卒業制作でいろいろやってやろうと思っても結局何もできず、落第寸前で単位をもらった。そこで思ったんだ、アーティストとしてはやっていけないって。当時はアートにいろんな思想が持ち込まれていた時代で、デリダなんかを読み砕くような知的思考が求められるのであれば、それは自分には向いてないなという感覚が強かったね。
──大学卒業後の1990〜99年頃、作品制作からいったん距離を置いてましたよね。何をされていたのか教えていただけますか? また、その時間は何をもたらしたのでしょうか?
美大を出た後は、ロンドンで生きていくためにいろんな仕事をしていたよ。洋服を売ったりね。自分ではとくに何もせず、誰にも出会えない時期が長く続いていた。ミュージックヴィデオ(MV)をつくりたかったけど音楽業界に知り合いもいないし、きっかけもつくれなかった。それで、どうせ落ちぶれるなら米国に行って落ちぶれようと思って、お金を貯めてまずはサンフランシスコに行ったんだ。そこで2年過ごして、ラスベガス、ニューヨークへと移り住んでいった。ニューヨークでは幸運にもいろんな人に出会えたんだけど、そのなかでもギャラリストのギャヴィン・ブラウンとロンドンのInstitute of Contemporary Arts(ICA)のキュレーターだったエマ・デクスターに出会ったことは大きかったかもしれないね。当時、僕はまだMVをつくりたいと思っていたんだけど、ちょうどエマが「MVの展覧会を企画しているから参加しないか」と声をかけてくれた。それでいろいろな企画を出したんだけど、結局「つまらないな」と思ってしまったんだ。これは自分のやりたいことなのか?ってね。そのかわり、自分にとって近い存在だったイギリスのダンスやサブカルの歴史を映像でまとめてみたいと思ったことが、今回展示している《Fiorucci Made Me Hardcore》(1999)につながったんだ。
──この作品がアートの世界に復帰するきっかけとなったわけですか?
うーん、確かに《Fiorucci Made Me Hardcore》は10年のブランクを経てつくった作品ではあるけれど、そういう感じではないかな。サンフランシスコでも映像作品をつくっていたけど、いつもアートは距離が遠い存在だった。美大でアートを学んでいたときも、自然体で取り組むというより、自分をアートにフィットさせなくてはいけないという感覚だったんだ。でも、この作品をつくったことで、「自分の経験や知識をもとに作品をつくっていいんだ」ということに気づけた。そこで初めてアートと自分を隔てていた壁が消えたし、そのスタンスはいまも続いているよ。僕は、文化に対してすばらしい提案を投げかけたり、新しいアイデアを生み出すのではなく、自分の興味自体がどういう意味を持っているのかを自分で理解するために作品をつくっているし、だからこそ自分がつくる意味があるんだ。それまではアートは自分に合わないかもと疑っていたけど、この作品を通じて感覚が掴めた。だから《Fiorucci Made Me Hardcore》は重要なプロセスだったんだ。
──「Fiorucci」はファッションブランドですが、それがこのエスパス ルイ・ヴィトンで展示されている状況は非常に興味深いです。
「Fiorucci」という名前をタイトルに冠した作品が、フォンダシオン ルイ・ヴィトンのコレクションにあるのは面白い皮肉かもね。最近ではファッションブランドがアートに興味を持ち、展示するスペースを持っていることも多いし、コラボレーションを含めてアートとファッションの垣根を越える活動も増えているから。
──あなたの映像作品はほぼすべてYouTubeやVimeoで見ることができます。その背景には作品を特権的なものではなく、社会的に平等なものとして開いていくお考えがあるのでしょうか? また、それはギャラリーのシステムや作品を商品として流通させているアートマーケットの在り方と衝突することはありませんか?
その2つは両立すると思う。デジタルの性質は、そもそもそういうものじゃないかな。つまり、いろんなスケール・解像度で見られるということ。映像作品をコレクションしてもらうために、売るほうはエディションを与えたりしてユニーク性を担保するためのある種の“まやかし”を加えて、その価値に説得力を与えていた。でも、そのユニーク性はあくまでつくられたものだし、さらにはNFTが出現したことで、映像作品の価値づけの説得力がなくなったのかもしれない。
──マークさんは映像とサウンドの両方に精通した、いわば二刀流の編集者ですよね。私の師であるタシタ・ディーンは、撮影まではほかの人に任せられるけれども、編集だけは必ず自分の手でやらないと気が済まないとよく言っています。編集の過程でマジックが起こる、と。ご自身で編集されているマークさんの場合はいかがでしょう?
僕も編集にフェティッシュを感じるというのはよくわかるよ。仕事の快感に身を浸すような感覚になることもあるし、何か別のところに自分が解放されるようなエクスタシーも得られる。もちろん、そこに到達するためには試行錯誤もあるけどね。これはサイバネティックとも呼ぶべきもので、機械と自分のやりとりがループで続く感覚は飽きないよ。まるでガーデニングみたいにね(笑)。
神的な存在となったフィリックス・ザ・キャット
──奇しくも「猫の日」に開幕した本展ですが、《Felix the Cat》(2013)は他の作品とどのように関係しているのでしょうか? 今回の展覧会タイトルにも含まれていませんし、天井と壁のあいだに挟まるように展示されているので、些か遠ざけられているように感じました。
Instagramにフィリックス・ザ・キャット(以下、フィリックス)のバルーンがぺたんこになったものを投稿したんだけど、見たかな? この作品をつくってから彼がとてもインスタ映えする存在になってしまったことが自分のなかではしっくりこなくて、彼をぺたんこにすることで「殺す」ことにしたんだ。でも、この展覧会のために彼は蘇ってしまったから、いちばん上のスペースに押し込めたのさ(笑)。マンガやアニメのキャラクターを自分の作品に取り込むと、自分がやろうとしていることよりも存在が大きくなってしまうんだ。占領されてしまうような感覚だね。大衆文化であるものを作品にしようとすると、それはつねに自分よりも大きい存在として、僕を包み込んだり圧倒したりする。この作品から、それを学んだよ。もちろん、フィリックスに対する興味は変わらないけどね。
──フィリックスの中に入ったあなたの目だけが見える《Noon Portrait of Felix Head》(2016)という写真作品がありますよね。マークさんにとってフィリックスは、センス・オブ・ワンダーの尽きない自己像のような存在なのでしょうか?
自分としてはむしろ、フィリックスに飲み込まれた自分という感覚かな。フィリックスは、1928年にアメリカの放送局NBCが世界で初めてテレビの試験放送を行った際に、そのフィギュアが映されたというエピソードがある。つまり、世界で最初にテレビを通じて流布したイメージだというのがとても面白いよね。《The Long Tail》(2009)というレクチャーパフォーマンスでも放送されるイメージのアバターとして使ったこともある。僕にとっては大きな存在だよ。
──サイズや素材の判断基準についても教えてください。《Felix the Cat》はメイシーズのパレードに出てくるバルーンのようでもあるし、美術史的な系譜だとアンディ・ウォーホルやジェフ・クーンズ、鳥光桃代らのバルーン作品との関連性も見受けられそうですが。
戦略的にやろうとしたことはないよ。アイデアが浮かんだらほかの人につくってもらい、出来上がったものを見て初めて、それが自分にとってなんだったのか気がつく。いまとなってはそれが良かったのかもしれないね。結果として、短絡的につくってもらった大きなネコにこちらが飲み込まれているわけだから。ただ、確かにクーンズからの影響や関連性は見出せるかもしれない。
サイズについて言うと、フィリックスを神のような存在に見立てるためには、巨大化させることが効果的なんだ。以前展示したときはプレートやボウルを前に置いて、鑑賞者がお供えできるようにしたこともあったよ(笑)。まさに信仰の対象だね。
もうひとつ、なぜフィリックスなのかについて付け加えると、《The Long Tail》に彼を登場させた2009年頃は、インターネットやテクノロジーの発展がどういうものなのかがクリアに見えてきた時期、物理的な世界では考えられないようなことがたくさん起こっていた。もともとフィリックスは、いろんなものに形を変えたりする不思議なキャラクターだから、その現実世界の論理が通用しないという存在が、インターネットの在り方と重なるような気がしたんだ。つまり、デジタル世界の象徴だね。
──2005年から09年までフランクフルトのシュターデルシューレで映画学の教授を務められていましたが、学生にはどういったことを教えていたのでしょうか? また、表現活動や制作で悩んでいる若い世代に何かアドバイスがあれば聞かせてください。
あまりいい先生じゃなかったかもしれないけどね(笑)。ただ言えるのは、僕が《Fiorucci Made Me Hardcore》を通じて学んだように、自分のやりたいことや経験をどう語るかさえわかれば、作品はつくれるということ。とくに若いと自分を疑ったり、作品について不安になったりするかもしれないけど、その気持ち自体と向き合うことが大事なんだ。アート界に対して懐疑的になることも必要だし、むしろそれは健全なことだよ。アートは自分を惹きつけるものであると同時に、拒絶してくるものでもある。その繰り返しだと思う。学生や若いアーティストに思想的な話をしたことはほとんどなくて、不安を乗り越えて作品化するための自分なりの方法を獲得してほしいと伝えてきた。不安で身動きが取れなくなるのではなく、時には自分を騙すような感覚でもいいから、不安を乗り越えて作品をつくれる自分なりのマインドセットを知ることが大事。僕はいまでも映像作品をつくるときは、アートではなくMVをつくるつもりで編集するんだ。そうすると感覚が自由になるからね。