日本のアート界は変えられる。寺田倉庫代表取締役社長・寺田航平が見据えるもの

寺田倉庫がアート事業を加速させている。そのキーパーソンが、2019年より寺田倉庫の代表取締役社長を務める創業家出身の寺田航平だ。かつてはIT企業を起業・一部上場させ、現在は経済同友会副代表幹事を務めるなど財政界とも太いパイプを持つ寺田は、日本のアート界に何をもたらそうとしているのだろうか?

聞き手=橋爪勇介(ウェブ版「美術手帖」編集長)

寺田航平

日本のアート市場規模、2000億円にするために

──寺田社長は1999年三菱商事を退社し、同年に寺田倉庫に入社。その後IT企業ビットアイル代表取締役社⻑CEOを経て、2018年寺田倉庫取締役に就任し2019年6月より現職です。最初に寺田倉庫に入社されたときと比べ、19年時点では寺田倉庫はアート事業が主軸のひとつになっていますね。寺田社長はアート業界のプロパーではないがゆえの視点をお持ちかと思いますが、寺田倉庫の事業、あるいはアートの世界をどのように見ていらっしゃったのでしょうか?

 僕は寺田倉庫に戻ってくるまで、美術館もあまり行かないような人間でした。だからアートについてはほとんど知識がない状態で、この世界に入ってきました。ただ、寺田倉庫自体は前社長・中野善壽の時代から画材ラボ「PIGMENT TOKYO(ピグモン トーキョー)」やTERRADA ART COMPLEX Ⅰをオープンさせるなど、「アートの種」を蒔いてきた。

 僕は一部上場企業を創業した経験もあり、いまも投資家で経営アドバイザーです。ビジネスモデルを考えるとき、そのビジネスの概況全体を俯瞰し、市場規模にどの程度の成長余力があるか、どう差別化要因をつくるのかをひたすらアドバイスしてきました。アート事業においては美術館、ギャラリスト、アーティスト、コレクターなど様々なステークホルダーと対話を重ねるなかで、「これは面白い」と思ったんです。

画材ラボの「PIGMENT TOKYO(ピグモン トーキョー)」 Photo by AYA KAWACHI
寺田倉庫のグループ会社TERRADA ART ASSIST社の美術品輸送サービス

 世界のアート市場規模は9兆円ほどで、アメリカが約4兆円、中国でも1兆4900億円ほど。いっぽう日本はわずか900億円です。アメリカと日本の人口差は3倍もないのに、マーケット差は大きすぎる。そこには住宅事情や教育など様々な要因があるでしょうが、それにしてもマーケットサイズはあまりにも小さい。そのボトルネックになっているもの全部書き出し、どうしたら解決できるだろうと考えた結果、今後の10年で日本の美術市場は約2000億円まで大きくなりうると予測しました。

──そのボトルネックとはなんでしょうか? 課題解決にはアート界の構造そのものを変える必要があると思いますが。

 国会議員、財務省、文部科学省を中心として、様々な方々とのディスカッションを進めていますが、例えば様々な法的規制の改革や緩和、学芸員の方々の給与制度の問題、美術館の作品寄贈受け入れとそれに伴う作品売却の可能性、そして贈与や公的鑑定制度なども議題に上がることがあります。

 また批評家の方々が国内で食べていける、そしてどんどん海外に出ていけるような環境づくりや、ギャラリーの海外進出サポート、そしてアーティストの制作環境の充実など、様々な課題がリストアップされている。それを変えていこうとしています。できることは全部やる。いまのアート業界で足りないピースをすべて埋めるつもりです。これらをすべて実行して初めて、先ほど申し上げた市場規模(2000億円)に到達するであろうと試算しています。

 では我々寺田倉庫は何ができるのか。我々の会社のアートに関わるドメインは、「保管」が中心にあり、そこに関わる小さい事業を展開してきましたが、僕はそれを大きく転換し、人々の生活にアートを届け、暮らしを豊かにするということを主目的に変えました。そのために、①天王洲を世界一のアートシティにすること、②「保管しているもの」にどう光を与え、コレクションの価値を高めること、③デジタルを活用したアートと人のマッチング、の3つをテーマに掲げ、様々なサービスを展開しています。

天王洲には象徴的な壁画も
Tennoz Art Festival 2019 / Art Work by ARYZ /Photo by Shin Hamada
天王洲の運河沿いに浮かぶ4隻の水上ホテル「PETALS TOKYO」
寺田倉庫が提供する「TERRADA ART STORAGE」は個人のアートコレクターやアートファンに向けた保管サービス

 僕たちにとっての理想は、アーティストの売り上げが3倍になり、ギャラリーの売り上げが3倍になるような状況。そして寺田倉庫としてはアートの保管事業で収益を上げ、アートと融合したまちづくりで不動産の価値を上げることです。

 どうすればそうなるかを日々考えている立場なので、旗振り役になれればと思います。慣習に縛られず、まっさらなところから考えられるという意味では、僕の経歴はともかく、外から来た人たちにはそれなりの役割と意味がある。もちろんこれまでの歴史や現在の環境を無視したビジネスは成立しづらいので、そこは理解しながら、全員の利益を追求し、達成できる方法を考えられる人が必要です。しかしいずれにせよ、僕たちだけでできることは限られており、大きなムーブメントは全体でつくらなければいけません。

アーティストもアートファンも「ステップアップ」する街に

──いまや天王洲はアートの街としての認知度が上がっています。寺田倉庫はこの場所をどう発展させていきますか?

 僕たちが対象にしているのは、アートのファンのみならず、アートにそこまで馴染みのない方々、もしくはアートは「見るだけ」だと思っていらっしゃる方々も含まれます。そうした方々が作品を買い、飾り、幸せなライフスタイルを手に入れるという一連の流れをつくりたい。そのための施設として、若手作家に出会える「WHAT CAFE」、その次のステップである「TERRADA ART COMPLEX」、そしてコレクターのためのミュージアム「WHAT MUSEUM」を整備し、そこを回遊していただくという構造をつくりました。例えば、「WHAT CAFE」で新しく絵を購入した方々の7割が初めての作品購入です。こういう様々なマッチングが生まれる状況をつくりながら、鑑賞体験も育み、自分にとってのベストなアートに巡り合う場であればいいなと思います。

 天王洲は都心に比べ、相対的に付加価値がまだ低い。そこにアートに関係する人々が集う場を形成するとともに、アートだけに縛られないエンタテインメントに関わる人流(例えばマンガやアニメの展覧会)も生み出すことで、裾野を形成し、付加価値を上げていけると考えています。

若手作家たちの作品が集まるWHAT CAFE
TERRADA ART COMPLEXには多くのギャラリーが入居 Photo by AYA KAWACHI
コレクターの作品を鑑賞することができるWHAT MUSEUM

──WHAT CAFEやTERRADA ART AWARDなど、アーティストのキャリア形成に応じたステップアップが用意されていますね。

 そうですね。僕たちはアートファンやコレクター、アーティスト、あるいはギャラリストにとって「最初の入口」を切り開いていく。その立ち位置ではこの天王洲がベストです。そして様々なもの・ことを掛け算するということも重要です。コレクターの方々と保管を掛け算することで、コレクターズミュージアムができた。さらにそこに一般の来場者を掛け算することで、購入を体験できる場所へとつないでいく。そうした方々を地域周辺の飲食業と掛け算することでエリアが活性していくのだと思います。

──近年の都心の大規模再開発では、アートがそれを特徴づける要素として取り入れられるケースが多いです。こうした状況をどうご覧になられますか。

 極めてポジティブですね。欧米では日々の生活のなかにアートがあり、美術教育でも「つくる」ではなく「見る」に主眼を置くことで自分の美意識を確立し、それを自然とビジネスに生かしている。大規模都市開発は様々なアートに関わるものを取り入れることで空間の価値を上げようとする動きは、日本の現代アート業界全体にとっても、人々のライフスタイルにとってもプラスです。ただもう一言付け加えると、例えばアメリカや台湾のように、都市開発をする際にはその予算のうち1パーセントを文化予算にするというルールがあればベターかもしれません。

──アジアという視点では、香港がひとつ大きなアートハブです。そしてソウルも「フリーズ・ソウル」の上陸でさらにアートの街として加速しています。アジアのプレイヤーとして、東京のポテンシャルをどう見ていますか。

 中長期的にはポテンシャルはあります。いまは香港や韓国、台湾などのアート市場が拡大しているのは必然で、税制問題も富裕層の規模感も全然違う。何千万、何億円の作品を購入できる人間がどれだけいるかが海外ギャラリーや大規模アートフェアの進出基準にひとつであることは間違いない。そういった面では、日本はまだクリアしなければいけないハードルがたくさんあります。

 ただ、最近の世界のアートフェアは動向が変わってきており、数が多くなりすぎたがゆえに、コレクターの方々のアートフェアに行くモチベーションは減少傾向にあります。つまり、国や都市そのものに魅力がないフェアには人が集まりづらくなっている。いっぽうで東京は他の都市と比べてもポテンシャルはとても高い。様々なボトルネックをいくつか解決すると、日本におけるアートフェア市場はもっと活性化する可能性があるでしょう。とはいえ、海外の富裕層が日本のフェアに来る比率はごく一部にとどまる。やはり日本のアートを支えるコレクター層を形成していくということが、非常に重要な要素になるのは間違いありません。

TENNNOZ ART WEEKでは国内外のコレクターが集まった Photo by AYA KAWACH

新たな地方展開へ

──最後に今後の展望についてお聞かせください。現在の寺田倉庫は天王洲を中心としたビジネスモデルかと思いますが、これを他の地域に広げていく構想はありますか?

 これまでも天王洲以外では広島県竹原市など、様々なプロジェクトに関わってきました。今年は主体的な取り組みとして、京都での活動を準備しています。

 京都は非常に魅力的で人を惹きつける街であり、そして何よりも日本で突出して美術大学が多い。つまりアーティストたちも多く住む街です。それは現代アートという観点でも非常に大きな意味を持つと言える。京都においてはアーティストを中心に据えたプロジェクトを展開するのがベストであり、アーティストが制作活動をしやすい環境づくりが重要です。制作活動の提供という点では天王洲だけでは限りがあるので、京都でもアーティストのサポートをしていきたい。東京は地価が高く、アーティストにとってベストな環境は提供しにくい面があります。京都をひとつの契機として、制作環境を提供していくようなプロジェクトをいくつも手がけていきたいですね。

天王洲にはアーティストが使える制作スタジオも完備

編集部

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