バックパックひとつでヨーロッパの美術館巡りをしたふたり
山本理恵子(以下、山本) 彩ちゃんは3歳と、かなり幼い頃から絵が好きやったよね?
伊藤彩(以下、伊藤) そうそう。幼稚園に入る前から絵画教室に入って、小学5年生まで週1回、通ってたよ。
山本 そんなに小さな頃から。どういうところが面白かった?
伊藤 絵だけでなく、陶芸や紙粘土、テンペラなど何でもさせてくれる教室で、その日に何をやるか、自分で選べるのが楽しかった。学校とは違う友達ができたのも嬉しかったけど、結局やり始めたらひとり黙々と集中していたかな。
山本 テンペラまで? 子供が扱うにしては本格的だね。美大に進んだのも、絵画教室の影響もあったのかな。
伊藤 美大は、姉の影響が大。私は5人きょうだいの末っ子で、10歳離れた3番目の姉が大阪芸術大学に通ってたんだ。あるとき学園祭に行ったら、めちゃくちゃ面白いやん!って。2番目の姉も短期大学で美術を専攻していたし、父の夢も、じつは「画家」だった。アートに触れる土壌が家庭に転がっていたことは、いまにつながっていると思う。りえちゃんは?
山本 子供の頃にドイツで暮らしていたとき、美術館や教会を多く訪れる機会はあったんだけど。小さい頃の経験が潜在的に作品に表れることってあるのかな? コロナ禍に実家で過ごしたときに、当時のスナップを整理して。そのスナップを元に個展もした。プルーストのようなノスタルジーがテーマの展覧会にしたかったんだけど、それは、絵が常に過去を表すものだという風に感じてきたからかもしれない。彩ちゃんも来てくれたね。
伊藤 子供のころに描いた風景画を、スプレーを使って模写していたよね。
山本 そうそう。9つの頃に描いた絵を。幼い頃からお互いに絵は好きだったみたいね。
伊藤 京都市立芸術大学(以下、京芸)では、みんなで作品の話をよくしていたし、先生や先輩ともすごく距離が 近かったよなぁ。
山本 小さな規模の大学だから、みなすぐに仲良くなったし、食堂や東門ピロティにも、よく集まっていたね。
伊藤 京芸を出た後も、院生の頃からゼミで仲良くなった作家の友人で集まって読書会をしていたよね。
山本 そう。修士課程を出たあとは、大学構内の共同アトリエという環境から離れて、それぞれが個人でアトリエを借りたりして疎遠になってしまうから、月ごとに集まろうって。仕事や生活が忙しくなってからも断続的に続けて、ちょうど10年が経った年の夏に、互いの作品のレビューを載せた『二光年』というフリーペーパーをつくった。
伊藤 レビューをもらう機会って稀だから、信頼できる人からフィードバックをもらえるのは、ほんとうにうれしい。今年の7月には、メンバーの佐々木ひろこちゃんの個展を目指して、久しぶりに新しい号を出すよね(メンバーの個展を目処に刊行)。
山本 もう8号になるかな? アーカイブの『二光年』、きょう持ってくればよかったね。そう言えば、修士の頃、彩ちゃん、ロイヤル・カレッジ・オブ・アート(RCA)に留学していたね?
伊藤 学部のときに大学院の交換留学制度を知って、どうしても行きたくて、それで修士を受験したよ。その頃、彫刻で交換留学に来ていた学生たちと仲良くなって、私もRCAに行ってみたいと強烈に思って。実際、めちゃくちゃ楽しかった。英語は全然喋れなかったけれど、作家が仲良くなるには「作品」が一番の手段だと思っていたから。ずっと作品をつくっていたら、周りが話しかけてくれたり手伝ってくれたりした。
山本 喋れなくても、作品で伝わるっていいね。
伊藤 70歳を過ぎたリチャード・ウェントワースというプロフェッサーがとてもよい人で、休日には散歩に連れ出してくれた。あと、彫刻科のみんなとドイツの芸術大学でグループ展をした。ドミトリーに5日間、寝泊りしたんだよ。その教授も一緒にね。
山本 え、先生も一緒にドミトリーに?
伊藤 そう。「えらい先生があんなことしたらあかんよなぁ」とか言いながら、学生と同じことをしてくれて、嬉しかった記憶がある。
山本 そういうのって嬉しいね。私も彩ちゃんの留学中に遊びに行ったな。ヨーロッパへも一緒に旅しに行ったよね。修行僧みたいに電車とバスで美術館を渡り歩いて。
伊藤 ご飯代を抑えるために、朝、ユースホステルの朝食の余りでサンドイッチをつくって、美術館の庭でこっそり食べたり。
山本 美術館もフリーで入れるんやから、かなり恵まれた環境よね。テートモダンにあったマーク・ロスコの絵を見て、私も大きな絵を描き続けたいって思った。
伊藤 学生の頃はバイトしては長期休みに海外を旅してたなぁ。ミュンスター彫刻プロジェクト(10年に1度、夏の間に開催されるアートイベント)と、ドクメンタ(5年に1度開催される世界最大級の現代アートの祭典)と、ヴェネチア・ビエンナーレも印象的だったな。
山本 ロンドンやニューヨークのギャラリー巡りもね。彩ちゃんがダブリンに移住したのは、海外で制作活動がしたかったから?
伊藤 なんか引っ越したいと思って。当時は実家のある和歌山に住んでいたんやけど、「引っ越すならどこにしよう?東京じゃなくてもいいかも。日本じゃなくてもいいかも!」と思って引っ越したのがダブリンだった(笑)。ほんまはロンドンに行きたかったけど、ビザが取れなくて。ダブリンはいつも定員割れしているから。最後のワーキングホリデーで、29歳のときだったな。
山本 よくビデオ通話ですてきな景色を見せてくれたね。デイヴィッド(伊藤のパートナー)との出逢いもあって。
伊藤 ダブリンは、和歌山と同じように空気が美味しいし、水も美味しいし、自然も多くて、とてもよかったんだけど 政治が不安定だった。いまは和歌山で安心に制作できている。りえちゃんは、アーティストであり、先生であり、さらにもう一度、学生として研究をはじめた理由ってなんなん?
山本 いま、京都精華大学で芸術学部の導入教育に携っているけど、10代後半の学生さんの、作品に対するコメントを聞いたり、それに対してフィードバックしたりすることから、新しく知ることがほんとうに多いよ。博士への進学は、共感を求めるための「わかったふり」じゃない言葉の力が、アカデミーに残ってる気がしたから。作品は、アーティスト自身が本来はプレゼンテーションできるものじゃない。彩ちゃんのよく言う、「うんちはしなきゃ死んでしまう、私にとって制作することはうんちと一緒」って、これ大好きなんやけど。なんか嘘がなくて。
伊藤 うんちはしなきゃ、体調は悪くなるし、不機嫌になるし、ずっと出なかったら死んでしまうでしょ。肥料にもなるし、食べては出しての循環がある。作品に対して我が子のように、自分の分身としている作家も多いけど、私はどうも共感できなくて......。つくることが私にとって欠かせないことだから。
山本 私もそうだな。絵が暗いと言われることがあるけれど、毒を体内に含んでいることが、つくるときのモチベーションにもなることもある。自分の身に起こることはすべて、芸の肥やしになると思ってる。だから絵の中においても、日々の暮らしでも、冒険し続けていたいな。
学部時代から続く、互いが互いの「身近な批評家」
山本 彩ちゃんは、紙のドローイング、陶器の立体物、布、家具などでジオラマをつくって、その中に入り込んで撮影した写真をもとに絵画や立体作品を制作している。この「フォトドローイング」という独自の方法は、かなり初期から続けているよね。
伊藤 大学院に進学する寸前、「あとひとつ、何かなくては」と搾り出してつくった(笑)。
山本 そのときのことはよく覚えてる。すごい発明家やなと思った。誰かに教わったり真似したりするのではなくて。箱庭のジオラマをつくってライティングもするから、陰影が生まれ、立体感が出るよね。やから絵の画面も豊かになって、どんどん描くスピードも速くなって。すごいなぁと思った。先生にも「一生の方法を見つけたな」と言われていたよね。
伊藤 うん、4回生最後の学内展で初めて提出したときに先生にそう言われて、「自分がしたかったのはこれなんや」と、気づいた(笑)。
山本 私はどちらかというとインスピレーションを重視するほうで、途中でガラリと絵の内容を変えたり、抽象画の向きを変えたりとかよくやって、それで破綻することもあって。独自の方法を見つけた彩ちゃんが羨ましかった。
伊藤 学生時代からりえちゃんの絵は、モノの境界を自在にストロークが超えて、ベタ塗りもあって、色も強かった。理恵子の絵として確立されていたと思うよ。でも、どんどん対象も、描き方も、変化させていくじゃない? コラージュ的に切り貼りをしたり、スプレーを使ったりを同時につぎつぎと試していく。キャンバスの上で様々なことが展開し続けているのは、強いなと思う。
山本 ありがとう。画風に縛られるのがいやで、いつも驚き続けていたいから。でも、たまに不安になって、彩ちゃんに「これどうかな?」と途中経過の感想を聞くよね(笑)。
伊藤 そうそう、一筆加えるごとに送りあったりするよね(笑)。ほとんど一緒に見えることもある。そういうときは、一言「いいね。」と返信してる。
山本 大体いつも褒めてくれるね(笑)。でもよくないときには、客観的な指摘もしてくれるやん。完成したこの作品も、ずっとお互いに途中経過を画像で見せ合っていたもんね。離れながらも、制作中にビデオ電話をつないでいると、アトリエで喋ったり意見を言い合ったりしながら描いていたことを思い出す。
伊藤 お互いの気配を感じながら描けるからね。
山本 彩ちゃんのこの《THE DELUSION AROUND WEB SEARCHING》は、送ってくれた画像で見たときは、ちっちゃいと思っていたけど、意外に大きいんやね。この大きいキャラクターの「妄想くん」は菩薩みたい。菩薩のような温かい目で、この男の子を見守っている。
伊藤 妄想くんは2011年につくった立体作品で、いまもたまに登場するね。
山本 安らいでいる感じもあるけれど、色の使い方がいい感じに不気味。もう一枚の《Many 2 of everything》やけど、ちょっとおっぱい、硬すぎへん?(笑)
伊藤 そうやね。これは昔、登り窯でつくった陶芸作品がみかんに埋まっているという絵です(笑)。
山本 みかんは彩ちゃんのご実家で生産しているもんね。彩ちゃんにとっては大事なモチーフだよね。和歌山での時間は、作品に影響しているとあらためて思う?
伊藤 地元の有田は夕日がとっても綺麗で。その夕日をほぼ毎日見ているから、私の中に刻み込まれて、夕日から連想する温かなものが作品に滲み出てしまうのではないかとはよく思う。そういえば、りえちゃんの《a swell tree IV》はいつの間に進めた? 画像で見せてもらったのと随分と変わったよね。
山本 ちょっと描き変えた。昨晩。
伊藤 早い......!
山本 そうかな? 木や植物が、放射状に、上昇しながら流れていくイメージが好きで。扱うストロークは、どれも死なせずに、生かしたいと思ってる。
伊藤 緑色の部分はすごく勢いがあって、スプレーの使い方もいいね。
山本 《untitled(butterfly)》は、とくにモチーフがあるわけではないけれど、オレンジの形が描き終えたあと蝶に見えた。緑色の広がりを持ちながら最後まで描けたから、気に入ってるよ。
12年ぶりの2人展で見えたもの
伊藤 昨年(2022年)の2月に京都のギャラリー「光兎舎(こうさぎしゃ)」で二人展をやったじゃない?
山本 タイトルは「I O I O」。12年ぶりやったね。
伊藤 そう。私がりえちゃんに企画を持ちかけたのに、妊娠してつわりがひどく、一度は諦めかけたけれど、「準備手伝うから、やろう」と言ってくれて。ありがたかった。
山本 ギャラリストの方も、「妊娠中に展覧会なんてなかなかできることじゃないから」と背中を押してくれて、手伝ってくれたね。結果的に彩ちゃんは展示作業には参加できなかったけれど、会期中に見に来れてよかった。
伊藤 展示会場の写真を送ってくれたとき、「こう展示されるのか」という気づきがすごくあった。
山本 「I O I O」のタイトルは、赤ちゃんがお腹にいる「十月十日」にもかかっていて、即決やった。流れの中にある自分たちの状態を最大限に活かしたい。という思いがあったよね。あるがままの状態をそのままに表す数字の最小単位として、1と0という数字を使うことに。二進法の1010、回線のオンオフ、量子コンピューターの表すワンゼロ……。
伊藤 1と0は、どの瞬間にも、自由にどこにでも行ける数字でもあるもんね。ギャラリーの方が、エネルギッシュな軽さ残る楽しい展覧会、と会期が終わってから評してくれたこともうれしかった。やってよかったよね。りえちゃんは今後どうしていく?
山本 博士では、GoProで筆の動きを撮り溜めて、論文を書くための記述法自体を考えたり。自作の正当性を主張するものじゃなく、制作者が論文を書く意味を問うようなものがつくれたらと思ってるよ。最近、プロセスにAIを取りいれてみてるんだけど、AI自動生成と人のつくるイメージとの違いがどこにあるのか?ということにも興味がある。これからもずっと創り続けるための駆動力になるものをつくれたらな。
伊藤 工程を見させてもらってるけど、ホント面白いわぁ!応援してる。
山本 彩ちゃんは今後、どうしていくの?
伊藤 直近だと北京と台湾で個展があるので、それを頑張る。それから、家の横の長屋を改装してアーティスト・イン・レジデンスにしようかと。海外の人に和歌山を知ってもらう機会にもなればいいなって。あと、3歳の息子が6歳になったらオランダに引っ越す予定。りえちゃん、和歌山にもオランダにも遊びに来てね!