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2017.5.26

「パフォーマンスのための空間」を生み出す、アガサ・ゴス=スネイプに聞く

パフォーマンスを中心に、様々な手法を用いた作品で国際的に注目を集めるアガサ・ゴス=スネイプ。森美術館「MAMプロジェクト」での個展を機に、インスタレーションとパフォーマンスが呼応し合う、その独自の作品世界について話を聞く。

文=島田浩太郎

展覧会会場にて 撮影=川瀬一絵
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美術館の内外をつなぐ「窓」 即興的パフォーマンスを導く「楽譜」

 シドニーを拠点に国際的に活躍するアーティスト、アガサ・ゴス=スネイプは即興的パフォーマンスを中心に、テキストと音声を用いたパワーポイントのスライドショーや視覚的なスコア(譜面、指示書)、参加型ワークショップなど、言語そのものが持つ記号的/象徴的意味や構造とともにその連関や運動、パフォーマティヴィティを内包させた作品で知られる。現在、森美術館で開催中の日本初個展での新作《オー・ウィンドウ》は、同館モットー「アート&ライフ」に着想を得て、六本木ヒルズ内で作家が発見した日常的な生活風景をモチーフとしている。同展において美術館の内と外の間を様々な「窓」でつなぎ、ひとつの楽譜として提示してみせた作家に話を聞いた。

森美術館での「MAMプロジェクト023:アガサ・ゴス=スネイプ」展示風景
撮影=椎木静寧 写真提供=森美術館

 「このプロジェクトは約2年前にキュレーターの熊倉晴子さんから依頼されて始まりました。当初から美術館の内と外の関係性について考えてほしいと伝えられていたこともあり、『窓』のような作品を検討していました。また今回が日本で初めての個展で、これまでの私の多くの作品が言語(=英語)を用いたものだったので、日本のように英語圏ではない場所で作品を制作発表すること自体が私にとっては大きな挑戦でもありました。《オー・ウィンドウ》の“オー”は、つい声に出てしまう“ため息”や“驚き”のようなものです。それ自体は意味を持つ言葉ではありませんが、『窓』のないこの展示室にはそうした両義的な意味合いを持つ“感覚”のようなもの、ある種の“崇高さ”が必要だと思いました」。

アガサ・ゴス=スネイプ 修辞学的コーラス(LW) 2015 「パフォーマ15」(ニューヨーク)でのパフォーマンス風景
Photo by Joe Jagos Courtesy of The Commercial Gallery, Sidney

 《このくねくねとした手つき1&2》《おおおおおおおおおおおお・PPTX》《まだら日光が領域を塗りつぶす》《幻のようなうねりをまつ》《スクリーントーン(あいまいな言語)》《肌色(CMYK)》《ステージ(掃く、ブラッシングジェスチャー)》《スクリーン(彼の柔らかいグリップ)》《黄昏時のためのマテリアル》《だんだん、こう・PPTX》《このくねくねとした手つき3》─ゴス=スネイプの作品世界は詩のような作品タイトルと楽譜のような空間構成によって立ち現れる。ゴス=スネイプは同展において「窓」を美術館の内側にある“アート”と美術館の外側にある“ライフ”の2つの領域をつなぐ場所としてとらえ、窓のない展示空間にいくつもの仮想的な「窓」をつくり出す。

パフォーマンスを視覚芸術に持ち込む

 「私はパフォーマンスや演技のトレーニングを受けた後に絵画を学びました。若い頃からパフォーマンスを習っていましたが、本格的に学び始めたのは大学に入ってからです。舞踏のほか様々なパフォーマンスを学びました。視覚芸術を学び始めた当初から、そうしたパフォ ーマンスの方法論やプロセスを視覚芸術のフィールドに持ち込むことを考えていました。実際、私の作品には常に即興やコラボレーションのようなプロセスが含まれています。それらの素材や要素がひとつの空間の中に展示されるとき、いかに展示室内でオルタナティヴなパフォーマンスとして展開しうるかを考えています。というのも、私は展示室が“パフォーマンスのための空間”となることに興味を持っているからです」。

アガサ・ゴス=スネイプ ヒア・アン・エコー 2015-16 「第20回シドニー・ビエンナーレ」でのパフォーマンス風景
Photo by Rafaela Pandolfini Courtesy of The Commercial Gallery, Sidney

 楽譜と図面はよく似ている。前者は時間的に、後者は空間的にそれぞれのイメージを膨らませつつも、あふれ出ては消えていく、流動的な時間と空間をそこにつなぎとめようとする。しかしながら、いずれも作品そのものではなく、対象や過程を記号系列として表示/指示する働きを持つのみで、その抽象性の高さと完全/不完全さにおいて近似する。また音楽はあらゆる解釈可能性の契機として(演奏の)一回性が強調され、建築は「凍った音楽」とも呼ばれる。パフォーマンスはどうだろうか。

 「『楽譜』はおそらく私の方法論の中核をなすものです。長い間、『楽譜』というアイデアとともに仕事をしてきました。それらはとりわけ言語を用いたものでしたが、明示的/暗示的なパフォーマンスのための説明書や指示書のようでもあり、また『楽譜』を読むという行為はある意味でパフォーマンスでもあります。しかしながら、今回はいつもと違ったものを提示しています。それがうまくいくかわかりませんが、各々のファウンド・オブジェクトが展覧会全体をつくるための『楽譜』となり、またいつもとは違う協働者たちがこのプロジェクトに入っていく入り口となるための『楽譜』にもなりました」。

森美術館でのパフォーマンス風景 撮影=御厨真一郎 写真提供=森美術館

 「窓」と「楽譜」──いずれも方法であると同時に装置でもある。待機の空間。それは静的な修辞学から動的な光景へと変貌しうる力を持ちながらも、いまここで、いまここから、いまここへ、そのときがくるまで静かに息を潜めつつ、まさにその瞬間を待つ。「開/閉」と「演奏」、あるいは「上演」─内と外の関係性を流動させる、あるいは圧縮されたプログラムを解凍し再起動させることで、解き放たれた時間と空間はいまここでまた新たな運動を始める。ゴス=スネイプは多様な「窓」によって構成された「楽譜」的風景をつくりだすとともに実際にパフォーマンスを上演することで、この複雑になりすぎた都市の中で私たちが出会う私的/詩的な風景やそのパフォーマティヴィティと向き合う方法を提示する。この即興的パフォーマンスのための「楽譜」は、“開かれた窓”の如く修辞的な遊戯を始めるのだ。

『美術手帖』2017年6月号「ARTIST PICK UP」より)