アジアの架け橋としての「PAN沖縄」
──今回の「PAN沖縄」を通じて実現したいこと、目指していることは何ですか? また、今後この施設がどのような役割を果たすことを期待していますか?
黒沢 オオタファインアーツはこの30年間、東アジアや東南アジア、中東に至るまで、アジア全体をつなぐ帯のような役割を意識してきました。PAN沖縄もアジアの多様性を尊重し、国境を超えた交流や相互理解の拠点となることを目指しています。沖縄の地理的な位置や歴史は、こうした多様な交流にふさわしい場所だと思います。
大田 ギャラリーを始める際に、どんなビジネスモデルにするか考えたとき、テレサ・テンのような存在が理想的だと感じました。彼女は台湾出身ですが、日本や香港でも大変な人気がありましたね。ブルース・リーも同様です。ハリウッドで成功を収めた後、自分の道を切り開きました。いまでいうと、BTSやNewJeansのように、アートを通じてアジア全体で共有できる何かをつくれたら素晴らしいと思います。ヨーロッパのように、隣国に行けば文化や食が違うけれども、同時に共通点も知っている──そんなアジアの形成ができればと考えています。
──今回のアートセンターの設立によって、沖縄のアートシーンやアートコミュニティにどのような影響を与えたいと考えていますか?
大田 正直に言えば、沖縄の作家の方々とはまだ多く会えていませんし、作家の数自体もそれほど多くないと思います。でも、これから沖縄にもっと多くの作家が移住してくると面白いなと思っています。例えば石川県では、多くの工芸作家が移り住んでいます。金沢21世紀美術館が工芸展を開催することが、若いつくり手たちを呼び込むきっかけとなったように、沖縄もそういった場所になってほしいです。
黒沢 データの面で言えば、沖縄で現代美術を鑑賞できる施設は、現時点では沖縄県立博物館・美術館や個人が運営するギャラリースペース程度です。「PAN沖縄」が沖縄県内で2番目の大規模な施設になるということは、とくに現地の学生たちにとって大きな意味を持つと思います。東京まで飛行機で行かなくても、那覇から車で1時間半ほどの場所でアジアの最先端の美術や文化にふれられることは、沖縄のアートシーンに重要な影響を与えるでしょう。
また、沖縄の作家たちとの交流を深め、これまで日本本土の学芸員が沖縄の作家を紹介するかたちが多かったですが、これからは沖縄自身が発信することができるような場をつくりたいと考えています。それが「PAN沖縄」のひとつの理念でもあります。
大田 今回のプロジェクトを通じて、まずは友人たち、とくに香港や上海の人々に来てもらいたいです。そして、ほかの画廊やプライベート美術館、研究者たちと連携して、出版や展示、ディスカッションの場を提供できれば素晴らしいですね。沖縄に来てもらうのは確かに大変ですが、それでもここでしかできない体験を提供したいです。沖縄には都会にはない魅力がたくさんあります。それを引き出せたらと思っています。
黒沢 私自身作家活動をしていたこともあり、公立美術館や日本国内の美術館での経験から、資金面や運営面での苦労をよく知っています。アジアの若いキュレーターやアーティストたちにもチャンスを提供できる場にしたいです。最近、アジアのキュレーターたちと交流する機会が増え、彼らの活動がどれほど多様であるかを実感しました。こうした新しい風を沖縄から吹き込むことで、アジアと日本のアートシーンに新たなダイナミズムを生み出したいと考えています。
また、沖縄という場所は歴史的に大きく複雑な背景を持っているため、その価値を広く紹介し、地元の方々にとっても希望を感じられる場所になることを願っています。さらに、学術的な企画や研究者を招いたイベントも行い、美術館では実現しにくいプロジェクトを通じて、別の視点からアートを考える場を提供していきたいと思います。
──ほかに補足があればお願いします。
黒沢 「PAN」には様々な意味が込められています。「パンアジア」のようにアジア全体を意識する意味もありますし、中国語で「希望」を意味する「盼(パン)」という言葉も背景にあります。このプロジェクトは、希望を象徴するものにしたいという思いが込められています。
また、カフェではビーガン料理を提供する予定です。地元沖縄の食材を活用し、地域の生産者とも連携しながら、アジアの食文化に根ざしたメニューを考えています。フレンチやイタリアンではなく、アジアの味を楽しめる場所になる予定です。
大田 このプロジェクトは大林組の土地を借りて進めています。長期間の契約ですので、そのあいだに様々な展開が期待できるでしょう。周辺には広大な土地があり、今後さらに開発が進む可能性もあります。アーティスト・イン・レジデンスや体験型観光施設の誘致なども考えられており、今後が非常に楽しみです。