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小谷元彦がいま、カルト集団による催眠術とマインドコントロールを映像作品で表現した理由

ANOMALYでの個展「i n v a s i o n」において、新作映像作品《invasion》を発表した美術家の小谷元彦。彫刻をメインとしながらも、メディアを限定せずに作品を手がけてきた小谷が、現在の社会の空気とシンクロするような新作映像に込めた思いとは?

聞き手・文=中島良平

小谷元彦 invasion 2020-22

──今回発表された新作《invasion》(2020-22)は、非常に見応えのある映像作品でした。先行きが見えず、社会から隠された何かにすがりたくなる人々の姿を連想させました。「直感的に制作は2020年にだと感じた」とステイトメントにありましたが、制作までの経緯をお聞かせください。

 2020年は東京オリンピック/パラリンピックが開催予定の年で、その少し前ぐらいから、希望などポジティブな成果を人々に信じ込ませるような空気がありました。1964年の東京オリンピックや70年の大阪万博とまったく同じ、「リツイート」のような流れに怪しいものを感じたのですが、何が事実なのか、虚と実が混ざって捻じ曲げられた事実のようなものがSNSで発信され、2020年に新型コロナウイルスの感染が起こると、どの情報を信じたらいいのか誰もわからなくなってしまった。

 マインドコントロールや催眠術の本を読んでいたこともあり、そういうときに一番危ないのは、オカルト的な非合理的なものが有効になってくることだと直感的に思いました。SNSで復唱される言葉には一種の催眠効果があると感じてもいたので、オカルトや催眠術まがいのものが影響力を持って、大きな問題になっていくのではないかと。スタートするならいましかないと思い、2020年から映像制作に踏み切りました。

 ──作品をつくるきっかけとなった文章として、精神科医である岡田尊司さんの書籍から次の文章が抜粋されていました。「全体主義の亡霊が人々の心をとらえ、排除と戦争へと暴走させるのは、多くの人々が自分の頭で考える余裕をなくし、受動的な受け売りを、自分の意思だと勘違いするようになったときである。そのとき同時に見られる兆候は、白か黒かの決着をつけようとする潔癖性が亢進し、独善的な過剰反応が起きなるということである」(岡田尊司『マインド・コントロール 増補改訂版』文春新書、2016、p. 285)。小谷さんが2020年以降に感じた社会の空気を即座に連想させる内容です。

展示風景より、《invasion》(2020-22)

 新型コロナ以降には、感染症にどう対応するかによって分断や排除が生まれ、外国に目を向けるとロシアがウクライナに攻め入る戦争が起きており、日本では安倍元首相が銃撃されて旧統一教会の問題が注目されました。私の映像作品のキャラクターがカルト集団に入り、それと引き換えに社会から自分を抹殺する「社会自殺」のようなことを遂げる設定はすでに決まっていたのですが、ここまで現実とシンクロしてくることは想像していませんでした。制作自体はその事件前にほぼ終わってたので、発表時期が早まっていたら、また違う側面が立ちあらわれたような気がします。

 映像は5つのチャプターに区切っているのですが、これはカルト集団の手法に沿っています。まず入信し、そのあと修行を積み、ご褒美のように一度儀式的なことを行って上の方に持ち上げ、その次に叩き落とし、今度は救済するというサイクルをループさせ続けるのです。そうすると信仰にはまり込み、ずっと抜け出せなくなる。その途中で募金活動の場面も出てきますが、ループにはまらせることとはつまり、献金をしたうえに、さらに身体を捧げることも意味している。良くも悪くも信じている対象に身を捧げてしまうわけです。救済のためにそれが必要だとわからせるのがカルト集団の方法のひとつであって、マインドコントロールや催眠術で大衆を操作することとも非常に似通っているわけです。

展示風景より

──催眠術に用いられる渦巻きが作品のアイコンとなっているのは、そうしたカルト集団の信者をコントロールするループと催眠術とのつながりがあるのですね。そして「白か黒かの決着をつけようとする潔癖性」という言葉が前述の書籍に出てきますが、主人公が入信する集団でも、黒装束を着た主人公が白装束に昇格するような描写があります。

 白と黒に潔癖性が投影されることがあると思うのですが、潔癖性は進めば進むほどに意見の異なる相手との対立を深めると思うんですね。そう考えてモチーフを探したときに、最初に気になったのが虚無僧の姿なんです。虚無僧の腰の帯のところには、「明暗」という文字が書かれています。この映像作品でもそれを引用しているんですが、子供の頃からずっと気になっていて、大人になってふと調べてみたのですが、その由来がよくわからないんです。自分なりに考えると、黒がいて白がいる、光があって影があるみたいな対立概念があって、影である黒が上位に向かうと白になるという設定が当てはまると思い、虚無僧が腰にまとっていた「明暗」の文字から、カルト集団での黒から白への昇格のようなイメージが生まれました。そこには、教団から認められて忠誠心が高まるような変化もあり、よりのめり込んで自身の体を捧げることも示唆しています。

展示風景より、《invasion》(2020-22)
展示風景より、《invasion》(2020-22)

──冒頭のSNSをスマートフォンでリツイートする場面に始まり、後半にはレトロな軍用電話機が登場するなど、電話も印象的に描かれます。

 マインドコントロールや催眠の次にキーワードとして思い浮かんだのが、エジソンの霊電話(霊界通信機)というものでした。エジソンは死者と通信できる電話のようなものをつくろうとしていたといわれていて、科学者なのにオカルトみたいな話ですよね。しかし、いま多くの現代人の生活の中心にはスマートフォンがあって、通話よりもSNSが中心かもしれませんが、電話を使用した世界が、その人自身をつくってしまう状態のように思えます。そう考えると電話ははずせません。

──映像は現代のカルト集団の描写に始まり、後半のチャプター4と5では、時代を超えた場面が登場し、電話でつながります。

 いわゆる命令系統であったりコントロールを試みる人間であったりというのは、ある時代に限定してではなく、時空を超えて出現すると考えています。現代の2023年、世間が怪しく動き始めた2020年、第二次世界大戦が終わった1945年、天下分け目の関ヶ原の戦いが起こった1600年という場面をつくり、つなぐことでそれを描こうとしました。マインドコントロールする人間の象徴的な存在を考えると、将軍という存在が浮かんできます。戦後に生き残ってもマインドコントロールが解けていない兵士もいただろうし、未来にもマインドコントロールする人がいる。それが、一般的な回線とは異なる秘密裏の存在「軍用電話」というものでつながることを象徴的に描いたのです。

──カルト集団に読み取れる現代的な日本であったり、甲冑を身につけて樹海を彷徨うかつての日本であったり、魔術や救済の話が日本的な要素を用いて描かれていることも感じました。

 自分が京都で生まれ育ったこととも関係があるのですが、もともと仏像などはすごく好きで、山岳信仰や庚申信仰などの話にもすごく興味がありました。山岳修行をしていた役行者(えんのぎょうじゃ)という山伏が、雷みたいなものに打たれて突然変化して、それが日本独自の仏、蔵王権現になって修験道が始まった。それが古来の神道と結びついていくようなのですが、神秘的ではあるけど怪しい要素も感じますよね。しかし、そうしたところから信仰が始まることがすごく興味深くて、個人的にはずっと惹かれています。考えれば、日本人のメンタリティに、そういう非合理的なものを認識し、感覚する力があるような気がします。そのような日本人の意識の奥底にある何かへの興味も、マインドコントロールや催眠術の本を読むきっかけになったのかもしれません。

展示風景より、《invasion》(2020-22)
展示風景より、《invasion》(2020-22)

──登場人物に感情移入させる要素があるかというと、そうでもなく5つのチャプターを通して鑑賞者を突き放すように無感情な印象を登場人物たちが発しています。しかし、場面や時代ごとのつながりをストーリーとして鑑賞者に想像させるので、これまでの体感型の映像作品とはだいぶ趣の異なる作品だと感じました。

 今回はシンプルなシングルプロジェクションによる映像作品なので、彫刻的な身体に訴えかけるものではありません。アートフィルムと映画の構造で気になる箇所を私なりに抽出しながら、まともに映像と正対してみました。「彫刻と向き合うなら石や木のカービング」というような感覚で、「映像と向き合うならシングルプロジェクション」と考え、映像制作と向き合いました。アートフィルムでよく見るテロップやナレーション方式は採用せず、最低限の物語はわかるように意識し、とはいっても、商業映画ほど物語や要素は噛み砕かない。

 容易に鑑賞者の理解の手ほどきをしているわけではなく、要素や記号をオーバーフロー気味に扱いながらも細かく場面転換をするカット編集をしました。意図的に、簡単に全体を掴めず、事態をのみこめないようにしてあります。SNSで例えると、情報が錯綜するタイムラインみたいなものかも。だから、ただ流れる映像を見ているでもいいとは思っています。セリフも過去に誰かが言っていたセリフを採用し、それを復唱しているだけのリツイート状態ですから。

──たしかにカットの転換速度が速く、情報量の多さに圧倒されました。体感型のインスタレーション作品とは異なるものの、情報とヴィジュアル表現が身体に迫ってくるように感じました。

 これだけカットを短くつなぎ、どんどん場面を切り替えて同時並行でいくつもの場面が流れる映像は、現代美術ではあまり見ないタイプの作品かもしれません。

──オーバーフロー気味の情報量に圧倒されるものの、主人公の男が臨死体験のエピソードを流す番組が流れるテレビの前で、色々な投稿をスマートフォンでリツイートする場面に始まり、カルト集団に入信して修行に励む様子など、展開の鍵となる要素が視覚的にも強く印象に残ります。あらかじめ細かなプロットを準備していたのでしょうか。

 大まかなストーリーの流れは最初の段階で確定していて、まず起点となるポイントをピックアップして撮影していきました。主人公がカルト集団に入信するシーンやラスト、修行の場面、湖の儀式、後半に登場する甲冑を着て樹海をうろうろしているシーンなども2020年に撮っていたので、大まかな流れは撮影し始めたときから変わっていません。しかし、スタートからあまり不可解な要素や記号ばかりで描いてしまうと、長尺だと鑑賞者が作品に入ってこれないかもと不安があり、後半で時代を超えた関係性を描き、混乱を生じさせる状態にまで鑑賞に耐えられないと感じました。制作段階でそうした気づきがあり、冒頭のSNSで何かを見てツイートする場面などは、導入部分に後半とのつながりを暗示させる要素が必要だと思い2021年に入って部分的に撮影していきました。

展示風景より。《invasion》の隣では、ブランクーシが撮影した《空間の鳥》の写真にインスパイアされ、陰茎骨のモチーフを映画《メトロポリス》のマリアのように扱った映像作品を上映

──マインドコントロールや催眠術に関する本が出発点となって、具体的な場面の描写と大枠のプロットが同時並行で思い描かれたのですね。

 睡眠を妨げるためにホワイトノイズを流し、ストロボ発光を繰り返す環境にグローブやサングラスを着用させて拘束することは、マインドコントロールの遮断実験として実際に行われたことですし、本を通してリサーチした事実に基づいた場面も多く登場します。

 ひとつ参考にしたのは、以前デヴィッド・リンチが何かの本で、映画をつくろうと思ったら、単語カードみたいなものにアイディアを60個ぐらい書き留めて、それをつなぎ合わせれば作品が完成するといったようなことを書いていたんですね。なるほどと思い、コラージュのように重要な要素を貼り出して、そのあとの編集作業で足りない箇所をつなぐために撮影する場面を考えるというプロセスで制作を進めました。

──これまでの小谷さんの作品では、コンセプチュアルに明確な作品制作のプロセスと最終的な作品のリンクが象徴的でしたが、《invasion》では氾濫するような情報量に圧倒されます。新たな方法論に着手されたような強い印象を受けました。

 3年前のANOMALYの個展は大きなきっかけになりました。開催時期が、自分が死の際まで行った直後だったんです(注:2018年、小谷は心筋梗塞で心臓の半分が壊死するほどの大病を患った)。三途の川を逆方向に泳いで生き返ったわけではありませんし、ましてや三途の川自体を見たわけでもありませんが、死に至る際の痛みのようなものはなんとなく理解しました。そして命を取り留めましたが、自分のなかで死に近づいた体験を理解し、クリアにしたいんだけど整理できず、結局整理できないままで作品をつくって「Tulpa -Here is me」という個展で発表しました。

 それまで、頭のなかで整理してつくったものでなければ発表すべきではないと思っていましたが、実際に整理できないまま発表しても、受け取ろうとする人には受け取ってもらえると思えるきっかけになりました。自分で飲み込み切れていなくても、その可塑的な思考状態を表現にしても良いのではないかと思って今回の映像は手がけました。リサーチや制作を行い、そうしたプロセスで自分が興味を持っていた仏像や密教とか本地垂迹説みたいな根源的なものと向き合えるようになったのは、前回の個展を経てからの作品制作を通して生まれた過去の自分からの大きな変化です。そうして制作に携わることで、今後はより、複雑化した何かをつくれるのではないかと感じています。

展示風景より

編集部

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