19世紀末から20世紀のイギリスにおいて大人気を博した伝説のネコ画家、ルイス・ウェイン。その人生を描いた映画『ルイス・ウェイン 生涯愛した妻とネコ』が12月1日より公開される。監督・脚本を務めたウィル・シャープに、本作公開にいたるまでの軌跡と見どころについて話を聞いた。
コロナ禍でより重要なメッセージとなった
「人と人とのつながり」
──なぜいま、ネコ画家「ルイス・ウェイン」を題材に映画の制作を考えたのでしょうか。
ウィル・シャープ(以下、シャープ) この物語は、ルイス・ウェインの人生を描くとともに「人と人とのつながり」の物語でもあります。社会の規範から少し外れているひとりのアーティストが、ほかの人たちや周りの世界と「自分はどうやってつながっていったらいいのか」と模索する様子を作品を通して描いています。「コネクション」は時代に限らず、とても重要なメッセージだと考えています。けれど、ちょうど編集していたときに、コロナが流行しはじめていたんですね。それもあって、このテーマについて私たちが忘れないでいることは重要だと思い、気持ちを新たにしました。ルイス自身は、自分の作品を通して人とコミュニケーションは取れていたのですが、そのきっかけを与えたのは妻・エミリーとの出会いなのではないかと思います。コロナ禍の現在において、このテーマはタイムリーだと思いましたね。
──作中では「つながる」「コネクション」というテーマを、ルイスは「電気」と表現していたと思います。この表現の意図について教えてください。
シャープ 映画のなかでは「電気」をメタファーとして使っているのですが、そのメタファーの部分を他言語でどのように表現すればよいか、ずっと悩んでいました。英語に関して言うと、私たちが普通に電力として使っている電気という意味はもちろん持っています。しかしそれ以外にも、コンサートに行ったときの場の雰囲気や、人と出会った際に、日本語で言えば「電流が走る」みたいな表現の使われ方もしています。そのメタファーの部分がほかの国で上映されたときに、きちんと伝わるのかな、という不安はありました。映画で描かれている通り、ルイスには電気に関する自分なりの理論というのがあったんです。 当時、電気というテクノロジーはまだ比較的新しいもので、彼は自分のことをちょっと発明家みたいに思っている節があった。彼は良い電気と悪い電気が世界には存在していて、それが世界の働きを理解する鍵となるのだ、ということをセオリーとしてずっと思っていたわけです。
また、作中でも描かれていますが、ルイスは生涯メンタルヘルスの面でも苦しんだ人です。「自分の見える世界、経験している世界はどうしてこうも多様なんだ」「すごく美しいときもあれば冷酷なときもある」。そうした世界を理解しようとする手立てとして、電気における自身のセオリーを思いついたんじゃないかなと思います。作中では色々な意味で電気という言葉が使われていますが、そのなかでももっとも大きなメタファーは「愛」ですね。
ルイスが感じた妻・エミリーとの「電気」
──ルイスの人生においてもっとも大きな「電気」を感じた瞬間が、妻・エミリーとの出会いだったかと思います。その出会いからともに生きることを決意するまでの描き方にこだわりはありますか。
シャープ 表現については、やはりベネディクト(役=ルイス・ウェイン)とクレア(役=エミリー・ウェイン)の演技が大きかったんじゃないかな。リハーサルのときから、ふたりにはすごく自然なケミストリーがあることがわかっていました。通常ふたりでの会話シーンは、ふたりの顔が交互に映るカットバックという編集をするのですが、なるべくツーショットとなる画を撮ろうと意識しました。これらのシーンは、ふたりのプライベートな部分からなにかを分かちあうまでのひとつの道のりのようなシーンだったんです。そこにはちょっとしたユーモアもあるんですけれど。
エミリーが押入れに身を隠しているシーンは、彼女が仕事、あるいはその人生に囚われてしまってる自分をメタファー化したような状況なわけです。でも、そこにルイスが身を置くことによって、そこから彼女を解放することができる。 そして「電気」が走り始めるわけなんです。
『テンペスト』を観劇するシーンでは、幼き頃のルイスにとって悪夢であった沈む船に乗っていた感覚を思い出してしまって、自分の内側にある様々な不安があふれ出てしまうんです。でも、それに気づいたエミリーが会場を飛び出しトイレに向かう彼を追って、「どうしたんだ」と聞くわけです。あのシーンも、トイレのガラス越しにふたりが一緒に映っているのがポイントです。
ビビッドでおちゃめ、ちょっぴりダーク。
ルイス・ウェイン作品から生まれた映画の世界観
──画家がテーマの作品ということで、画面づくりにもこだわりを感じました。作中のアートディレクションについてもお聞かせください。
今回のプロダクションデザインをしているのが、マイク・リー監督の作品『ターナー、光に愛を求めて』(2014)や『ピータールー マンチェスターの悲劇』(2018)の美術を担当されているスージー・デイビスさんです。現場では、ルイス・ウェインの世界にどう命を吹き込むか、ということをよく話しあいました。実際にルイスの作品を見てみると、彼の両親が生地を扱う仕事をしていたからか、パターンや色彩がたくさん使われているんです。そもそも子供の頃からパターンや色彩に囲まれて育ってきたというのが興味深くて、この映画のトーンにも反映させようと思いました。ルイスの作風もビビッドでおちゃめなところがありつつも、その底流にはちょっとダークな雰囲気が感じられる。そういった点も、映画自体に反映されています。撮影方法についてもこだわりがあり、4:3のアスペクト比で撮影しています。映画だとワイドな画面比率が一般的ですが、本作では絵画で使用するキャンバスに近いかたちで撮影をしました。
それから、本作におけるアンサンブルキャストをどのような構成で撮るかという点も工夫しています。ルイスの作品でも、猫が何匹か集まってる作品は構図のバランスが本当に素晴らしく、それにもインスピレーションを受けました。そういった細部のデザインがエモーショナルかつ心理的なストーリーテリングのためのツールとなっています。色彩も物語が展開するのにあわせて、いろんな意味を帯びていくわけです。
──本作を制作するにあたって監督自身に新たな気づきはありましたか。また、制作秘話などがあれば教えて下さい。
彼の生き方に、僕自身がとてもインスピレーションを感じるんですよね。何度か挫折し、そこから立ち上がらなければいけなかった。ただ私が感じるのは、ルイスが世界に対して鎧をつけていたときのほうが、彼の人生というのは辛いものだったんじゃないかと思うんです。彼の人生において自分が自分であることができた時期が、エミリーと一緒にいたときや、鎧をつけずにありのままの自分で過ごしていた晩年だと思うんですよね。そこから読み取れるものを副次的にインスピレーションとして感じているし、鑑賞者にも同様に感じてもらえたらと願っています。
あと、制作秘話と言っていいかわからないですが、やっぱり猫と仕事をするのは大変で(笑)。とくにたくさんの猫が出てくるキャットショーのシーンは、本当に細かいところまで準備をしなければいけませんでした。数時間しか撮影ができないという状況だったので、登場する猫もある程度人に見られてることに慣れてる猫じゃなければなりません。ですから、いわゆるキャットショーや、コンペティションのような場所に出演する猫たちと、飼い主のいる猫とを混ぜて撮影を行いました。それぞれの飼い主には、エキストラ演じてもらったりもして、結構大変な撮影でした。