ディラン・ルーとローリー・シモンズの出会い
──今回が初のコラボレーションということですが、おふたりはもともと面識があったのでしょうか?
ディラン・ルー(以下、ディラン) もともとお互いに共通の知人がいて、ローリーを紹介されたんです。ウィリアム・J・シモンズという方なのですが、彼はローリーの昔からの友達ですよね? ウィリアムはあなたのことをとても褒めていましたよ! 僕もローリーと一緒に仕事をしたから、彼がローリーをあれほどまでに尊敬している理由が分かります。
ローリー・シモンズ(以下、ローリー) ありがとうディラン。そう言ってくれて嬉しいよ。ディランと私はじつはZoom越しにしか会ったことがないんです(パンデミックの時期にはいたって普通のことになってしまったけれど......)。私はヨーロッパには年に数回行っているから、もしかしたらいままでどこかで会っているかもしれないけどね!
ウィリアムは私の友人で、最初に出会ったときは、彼がまだハーバード大学の学生で、私が授業を持っていました。彼が抱えきれないくらいの私のフォトブックを持っているのを息子が見て驚いていました。どうやら彼は私から本にサインを書いてもらうチャンスを伺っていたみたいですね。最初私は気がつかなかったけれど息子がそれに気づいて、ウィリアムを連れてきたんです。それが彼との出会いでした。そこから仲良くなって、彼が私に「NAMACHEKOと何かコラボレーションしてみては?」と聞いてきたとき、私はすぐにイエスと返事しましたよ。
ディラン 今回は僕の個人的なオファーで、NAMACHEKOが刊行するエディトリアルのコラボレーションです。実を言うと、ローリーにセルフポートレイトを頼むのが怖かったんです。僕たちは知り合って間もなかったし、もしかしたら個人的すぎる頼みなんじゃないかと思って......
ローリー 私はもともとあるアイデアがあって、ディランにミニチュアサイズの服を送ってほしいと頼んだんです。でも、驚いたことにディランが私にNAMACHEKOの服を着てセルフポートレイトを撮影してくれないかと頼んできました。最初は絶対嫌だと思いましたよ。でも、しばらくして、NAMACHEKOのような若い男性に支持されている服を私のような年齢の女性に着て欲しいと頼まれて断るわけにはいかないなと思ったんです。
いまとなってはもうメンズ服を着ることはあまりありませんが、昔はボーイフレンドの服をよく着ていました。「ボーイフレンド・ジーンズ」という言葉が生まれる前の話ですね。
──おふたりは世代も違い、ファッションとアートという一見異なる土俵で活躍するアーティストだと思います。協業にあたりお互いのどのようなところが良いと思いましたか?
ディラン ローリーの作品はとても独特で、その本質を理解する作業は決して容易いものではありませんでした。ファッションデザイナーとしての仕事とはまったく異なりますし、「写真」という表現媒体で作品の魅力や個性をつくり出すのは難しいですよね。
ただ、僕はその作品の本質へ近づく過程がとても好きです。それにローリーの仕事が本当に素晴らしかった。
彼女の思考の深さは間違いなく一流ですし、確固としたコンセプトを、作品を通して表現していることがよく分かります。ただのユニークな写真ではなく、あくまで視覚的に認知のできるイメージはその作品のコンセプトに従属していて、本質は批評性にあります。僕が考えるアートの理想的なかたちです。
ローリー その通り! 私はよく作品を世界に出す前に3“P’s”を満たしてないといけないと言っています。
個人(Personally)、政治(Politically)そして、心理(Psychologically)、これらすべてが満たされたとき、初めてアートが成立します。ファッションの仕事をするときは心からデザイナーを尊敬してきました。ファッションの本来の姿は根深く社会や文化と結びついていること。何もないところからファッションが生まれたりしないし、デザイナーは衣服を通して、目で見てわかるような歴史の変化をつくり出すこともできますよね。ファッションデザイナーは、よくアーティストと呼ばれるのを少し嫌がっているんじゃないでしょうか? でも、私は彼らがアーティストだと思っていますよ。NAMACHEKOの服にはファッションとアートの歴史を両軸としたコンテクストが繊細なレイヤーとして何重にも存在していて、それが誰も見たことのない服をつくり出している。そんなブランドの感性に共感します。
ますます近づくアートとファッション
──近年、アートとファッションはますますその距離が近くなっていると感じます。この関係性について、おふたりはどう感じていますか?
ディラン 僕にとってアートはインスピレーション源です。アートをコレクションへのリファレンスとする僕の表現方法はキュレーターに近いのではないかと思います。一つひとつのコレクションを展覧会のキュレーションのように制作をしており、絵画や写真、映画、音楽など多くの異なるジャンルのアートからインスピレーションを得ています。ローリーはファッションからインスピレーションを受けることはありますか?
ローリー 私はつねにファッションに興味があるし、ファッションとアートのクロスオーバーにも強く関心を持っているよ。何年か前まではアーティストにとっていわゆる「コマーシャル・ワーク」をすることを良しとしない風潮がありました。私がまだ若手の写真家だったころ、ニューヨーク近代美術館で見るような写真より、デボラ・ターバヴィルやヘルムート・ニュートン、ルイーズ・ダール=ウォルフ、トニー・フリッセル、フランシス・マクローリン=ギル、マーティン・ムンカッチなどのファッション・フォトグラファーにより影響を受けていましたね。
──昨今、ファッションブランドとアーティストのコラボレーションなどが増え、ローリーのいう「コマーシャル・ワーク」によりファッションのファンにもアートへの興味がより浸透しているように思います。今後もこの流れは続くと思いますか? また、「コマーシャル・ワーク」によりアートとファッションの関係性にどのような変化が生まれると思いますか?
ディラン そうですね......難しい質問ですね。私は異なる業種の人々がコラボレーションをして何かを生み出すというのはつねにいいことだと思っています。
ファッションデザイナーとしての僕の観点から言うと、アートのファンとは異なる人々をターゲットにしていますし、「ファッション的な方法」はアートのそれとは異なります。ファッションはとにかく情報が浸透するのが早いですから、もしかするとアートよりも強い影響力を持っているのかもしれません。それを「コマーシャル」と呼ぶのかもしれない。それに、コラボレーションによってアーティストが自身を正確に表現できるのであれば、それはどちらかいっぽうのみでは成し得ないクリエイションが可能になります。
いまだから言えますが、私の周りの同年代の女性は今回撮影してもらったローリーのポートレイトを見てとても興味を持っていますし、尊敬しています。ローリー、 面白い話なんですけど、僕の日本の友達が母へのプレゼント用にローリーがポートレイトで着ていたNAMACHEKOの服を欲しがっていましたよ! そのお母さんが今回の写真を見てたみたいで。その方は50代で、しかもNAMACHEKOはメンズコレクションなのに! 年齢も性別も関係がないと思った瞬間でしたね。
ローリー 本当に! とても嬉しいよ! じつは今回の撮影でNAMACHEKOを着ようと決めたのは私と同年代の女性に着飾ることはとても楽しいことだと伝えたかったからなんです。私がNAMACHEKOを着ることで、服と私の三つ編みのヘアスタイルがどれだけ私のペルソナに影響を与えられるのかと思って楽しかった。時々、電車に乗っていて男性のように足を乱暴に開いていることに気づくこともあるし......。昔ながらのセーターを着て椅子に座っていると自分が小さな子供のように思えてくることもあります。
撮影をしているときは、着ている服が自分のパーソナリティーに影響しているという事実に気付きませんでした。ファッションは自分自身に対する感覚を一瞬で変えてくれる力を持っていると思います。ファッションデザイナーは昔からアーティストに影響を受けてきたように感じます。いっぽうで多くのアーティストは長い間、「アート」と「コマーシャル」であるものとの交わりは作品の価値を下げてしまうと考え、避けてきました。最近になってやっと多くのアーティストがファッションに対する興味やリスペクトを認められるようになってきましたね。私は、アーティスト側もファッションが持つ洗練された感覚が必要で、そのためには自分たちのフィールドから一歩外に出ることが必要だったと思います。2000年代初頭、村上隆とルイ・ヴィトンのコラボレーションに対して、アーティスト側はどう評価していいものか戸惑っていましたよね。いまはアートのフィールドでもずっと寛容になっているし、ファッションのオーディエンスを取り入れることに抵抗がなくなってきているように感じます。
いまの世界でアートとファッションができること
──世界中がコロナ禍にあるいま、アートもファッションも含め、クリエイティブセクターへの影響は甚大なものがあります。おふたりはこの状況をどうとらえていますか?
ディラン 私はただ恐れている時間ではなく、何か、大切な事に気づくことができる、価値のある時間になればいいと思っています。いまの状況を切り抜けることができれば人類の成長へとつながるチャンスとなるのではでしょうか。私たちにとって非常に厳しい時期ではありますが、成長の前には必ず困難が立ちはだかります。それに、パンデミックによる時代の変化が無数の問題を浮き彫りにしましたね。いままで、直視せずに済んでいた社会の歪みが他人事ではなくなった、皆が目を背けきれなくなかったわけです。行動することが求められている時代へ突入したと肌身に感じます。
ローリー 私にとっては、社会的、精神的な覚醒、広義での学びを経験した重要な時期でした。それは、知識の蓄積、思考、行動という続けざまのプロセスの確立が難しくなった状況下で自分自身がいま住む世界に対し、何ができるかを考えることです。私は何ヶ月も作品の制作をやめていましたが、いま、まったく新しい視点によるクリエーションを始めています。
──仰る通り、現在は、分断された社会、人種差別、など世界のあらゆる問題が浮き彫りになっています。ファッションやアートはいままで新しい価値観を生み出すことにより社会に問題提起をする役割を果たしてきたとも言えますが、いまの世界に対しあなたたちは何ができると思いますか?
ディラン ファッションにおけるクリエーションは社会への批評や新しい価値の創造につながると思います。ただ、私は政治的な問題についての言及は避けています。とくにいまは様々な問題が複雑に絡まりすぎていて、単一の回答が非常に難しい。多面的な視点が必要になるので、正直、まだまだ多くの事を学ぶ必要があると感じています。
ただ、「多様性」と「社会情勢」は僕にとって非常に重要で、つねにコレクションを通して批評を試みています。アートやファッション、音楽は、一般的に作られた時代においての作品の価値が認められます。現代は作品がまずInstagramやネットを通じて、存在を知られることが多くなっていますよね。これは非常に重要なことで、私たちの好き嫌いは関係なく、現代と一昔前とでは明らかに人々が作品に触れる方法が異なっているということです。
作品の生み出される時代を意識し、批評性を帯びることにより、作家は逆説的に時代という強大な圧力から解放された存在へと近づくことができるのではないかと思います。例を挙げるとローリーの90年代の作品はいま見ても現代社会と共鳴しているように感じますね。僕はそのような作品を尊敬しています。
ローリー 本当にディランの言う通りだと思います。アートとファッションは時代の中で意味のあるものになるために互いに影響し合わなければならないし、タイムレスな作品を生み出すことは非常に重要です。時間という容赦のない力に耐えうる作品。それが私たち作家の望むものでしょ?
NAMACHEKOのいいところは、ディランが経験をしてきた異なる国の文化やパーソナルな影響を全て混ぜ合わせ、新しい価値を生み出すことができるということ。21世紀にもっとも必要な考え方だと思います。彼らの多様性やタイムレスであることへの関心の強さにはいつも尊敬していますし、流行の変化が加速しているいまのファッションの世界においてこれを成し遂げるのは本当に難しい。デザイナーは真摯に社会問題に向き合うことで、世の中に影響を与えることのできる時代だとも思います。そのためには、可能性のある、あらゆるプラットフォームにオープンになることも必要です。アーティストがソーシャルメディアに対して嫌悪感を露わにし、新しいコミュニケーションの方法の可能性を自ら絶ってしまうのを目にすることがあります。私は、変化し続ける文化の吸収をやめない作品が好きです。私が90年代に制作した作品に、人間の足から上が銃になった作品がありますが、それは女性の持つ力を表したものでした。いまでは、それを反銃社会の表明と見ることもできるし、実際にいまはその作品を「New Yorkers against Gun Violence」で資金を募るために使っています。
──最後に、それぞれの将来の計画や今後のコラボレーションについてお聞かせください。
ディラン いまのところとくに将来の予定は決まっていませんが、今回のローリーとの取り組みをとても嬉しく思いますし、また何かできればと考えています。僕たちにとって親和性があり、何より面白いということが重要です。そうでさえあれば、何をしてもいいと考えていますが、ローリーの非凡なセンスだけでなく、ファッションに対する知識の深さも知れたから、もしかしたらコレクションのことで色々とアドバイスを聞いてしまうかもしれません...…。
ローリー ディランがミニュチュアサイズの服を送ってくれるのを待ってるよ!