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INTERVIEW - 2019.7.10

NYのストリートカルチャーを体現する代表的なアーティストのひとり。キャサリン・バーンハート インタビュー

マンガのキャラクターやポップカルチャーのアイコンをモチーフに、ニューヨークのストリートカルチャーを表現した作風で知られるキャサリン・バーンハート。日本初となる個展開催のために来日した作家に、制作活動について話を聞いた。

文=島田浩太朗(近現代美術・美術批評)

キャサリン・バーンハート(NANZUKAにて) 撮影=西田香織

イメージの叛乱が示唆するポップカルチャーの「風景」と「肖像」

 ニューヨークを拠点とするアメリカ人作家キャサリン・バーンハートは、大きなキャンバスに鮮やかな色彩を用いつつ、身の回りにある日用品をモチーフに装飾的なパターン画、そして大衆的なマンガのキャラクターや世界のメディアを賑わせたポップなアイコンの人物画を描くことで知られる。同時代のポップカルチャーを源泉とした生命力あふれるスタイルで、ニューヨークのストリートカルチャーを体現する代表的なアーティストのひとりとして活躍している。

 日本初の個展となる展覧会のタイトルの意図や制作についてバーンハートはこう語る。

 「展覧会タイトルの『Big In Japan!』は、ドイツのバンド、アルファヴィルが1980年代に発表した楽曲の名前に由来していて、“日本でしか売れていない洋楽ミュージシャン”を指す俗語です。また私はいつも巨大な絵画を描いていますが、今回展示している作品は、(日本では大きいサイズの作品として認識されるかもしれませんが)私にとっては小さな作品です。その関係性が展覧会タイトルとして面白いと感じたので、そう名付けることにしました。今回の出品作品はすべて、昨年の夏、実家の庭で描いたものです。私は屋外で描くのが大好きです。なぜなら、そのほうが屋内で制作するよりも気兼ねなく散らかせるし、大量の水も自由に使うことができるからです。実際、今回はすべての作品を、昼間の明るい陽射しの下で描きました。屋外で制作していると、色彩がとても明るく、生き生きとしていて、その光景が美しく思えたので、花や草木に囲まれながら、全作品を屋外で描くことにしました。その結果、色彩がいつもよりも明るくなりました。色彩については、夏の強い陽射しに影響されていると思います」。

ガーフィールド+スコッチテープ 2018 キャンバスにアクリル、スプレー 122×152.4cm

絵の基本とモチーフの発見

 強烈な色彩とスピード感あふれる筆致によって優しく歪んだミッキーマウス、ガーフィールド、ピンクパンサー、ダース・ベイダー、靴、タバコ、スコッチテープ……いずれもまるで子供が描くドローイングのような無邪気さや衝動、そして深い愛着のようなものが感じられる。身の回りにあふれる大好きな物を、自分のフィルターを通して、記憶のなかから、もう一度、思い起こしたり再想像したりしながら、再現/表象すること。またそれによって、自分の想像的世界をつくり出したり、拡張させたり、更新したりすること。そうしたイメージ先行型の遊戯的なバーンハートの制作スタイルは、言葉の手前にあるイメージを優先する。見方によっては、“インファンティア(幼児期)”、つまり、いまだ言語活動を持たない状態を装っているようにも思える。そのような彼女の作風や制作スタイルはどのようにして形成されたのだろうか。

 「私はミズーリ州セントルイスで育ちました。子供の頃からずっと美術に興味があったので、高校でも美術の授業を取っていました。当時、すでに美術のなかでもとりわけ絵画に強い興味を持っていました。高校を卒業し、シカゴ美術館付属美術大学(以下、SAIC)に4年間通った後、ニューヨークのスクール・オブ・ビジュアル・アーツ大学院に進学しました。その間にも、ニューヨーク大学(以下、NYU)のレジデンシー・プログラムの絵画コースに参加したり、イタリアのモンテ・カステッロ・ディ・ヴィビオの美術プログラムで油画と風景画を学んだりしました。とくに後者のプログラムはとても優れていて、そこで絵画の基本を学ぶことができました。SAICでは『君たちが描きたいように描けばいいよ』という感じで、絵画の描き方については何も教えてくれませんでした。いっぽう、イタリアでは色彩をどのように混ぜるのか、補色とその効果について、さらにどのように配置すると色彩がより鈍く見えるかなど、技術や素材の基本的な使い方、そして遠近法について教えてくれました。風景画の基本はすべて、そのときに学びました」。

展示風景より、右から《ブラック》《ペプシ・プラネッツ》《ミニー》

 バーンハートが指摘する通り、おそらくいまもなお、イタリアを含むヨーロッパとアメリカの美術教育は対極に位置するに違いない。その背景には、歴史と伝統を重んじるヨーロッパと、自由と平等を重んじるアメリカの立ち位置の差異がある。とりわけニューヨーク近代美術館の開館以後の20世紀美術が、アメリカのモダニストたちの強固な結束によって、時にはヨーロッパの歴史や伝統、権力や覇権を否定することで創造されていったことを思い起こす必要があるかもしれない。そして21世紀美術もまた、次の来たるべき新しい芸術を創造するために、血眼になって次のターゲットを探し求めるのだが、何か古いものや概念を悪者にして否定したり、あるいは新しいものや概念を救世主のように崇めて信仰したりすることによってしか、次の時代を切り拓けないのであろうか。それはおそらく一時的な熱狂、空気や雰囲気、いわゆる時代精神のようなものではないだろうか。いかなる時代、国や地域に生きていようとも、あるひとりの芸術家にとっての本当に重要なテーマは、芸術家本人が自分で発見し、その時代の趨勢に翻弄されながらも、ひとりで、あるいは少数派として、黙々と育てていくしかない。

 「私の恩師は、NYUで出会ったマイケル・セント・ジョンです。当時、私はいわゆる抽象画を描いていましたが、実のところ自分が何をしているのかまったく理解していませんでした。いま考えると、それはとても恐ろしいことです。あるとき、ジョン先生から『キャサリン、君はいったい何をしているんだ。やめなさい。君が本当に興味あることはなんなの?』と尋ねられました。それに対して、私は『公園や溜まり場に行って、そこで彼らがしていることや、着ているものを観察することです』と答えました。そうしたら、ジョン先生は『OK! じゃあ、アディダス、ナイキ、リーボックとか、そういうものを描くといいよ!』と言ってくれました。私は、そのときに初めて、より個人的なもの、自分が本当に描くべきものを知りました。下手な抽象画ではなくてね(笑)」。

サーフズ・アップ 2018 キャンバスにアクリル、スプレー 244×305cm

ポップカルチャーとイメージ

 20世紀に入り、いっぽうでは“大量生産される既製品”あるいは“大量消費されるイメージ”が芸術作品を構成する重要な素材となって、当時の美術界に大きな衝撃を与えた。だがいっぽうで、それによって芸術作品の“礼拝的価値”が失われ、その代わりに“展示的価値”が生まれたとされる。時代の流行とともに並走し、生まれては消えていった、この一群の“レディ・メイド”あるいは“アウラなき芸術”とその残り香に対し、バーンハートは“意味の転倒/置換”や“明滅する表面”を目指すのではなく、自身の手によって生み出される“定着された親密さ”によって同時代を疾走する。つまり、オリジナル不在を前提とした“イメージの氾濫”を表象/再現するのではなく、むしろアウラに満ちあふれた“イメージの叛乱”によって、絵画を、あるいはポップアートを更新する。

 「私は昔からポップカルチャーに興味があって、学生時代からそれに関連するものをたくさん描いてきました。例えば、最初はE.T.やナイキの靴を描いていましたし、ほかには、ファッションモデルのケイト・モスを描いていた時期もあります。この10年間くらいは、日常生活で使うもの、靴、タバコ、スコッチテープなどを描く“パターン画(pattern painting)”と、ガーフィールド、ピンクパンサー、ミッキーマウスなどを描く“人物画(figure painting)”を行ったり来たりしています。そして最近は壁画が好きで、大きなものを2点描きました。ひとつは、ロサンゼルスで幅30メートルの大作を制作しました。バナナ、スイカといった果物や鳥などを描いています。もうひとつも巨大な作品で、セントルイスで描きました。ほかにウォルト・ディズニーの壁画もあります。ミッキーマウス、ミニーマウスも描きました」。

 バーンハートの絵画について思考するとき、パターン画ではなく“風景画(landscape painting)”であり、人物画ではなく“肖像画(portrait painting)”である、と考えたほうがおそらく作品の理解を助けるに違いない。というのも、前者は彼女の眼に映る“同時代の風景”であり、後者は彼女が愛する“同時代の肖像”であるからだ。ある物語のなかで記号化されたイメージが、大量に生産・流布され、ヴィヴィッドな刺激が反復されることによって、記憶のなかのイメージが強化され、次第に深い愛着あるいは憎悪へと変貌する。その記憶と愛憎の様子は、現代社会における“イメージの氾濫”をめぐる出来事やプロセスの表象/再現と言うこともできるだろう。

 「私の作品の解釈については、もちろん賛否両論あると思いますが、見た人に好きに解釈してほしいと思っています。作品について、シンボルやシンボリズムの観点からよく質問されますが、私が描いているキャラクターにはそれぞれもともと持っている意味があります。例えば、ピンクパンサーはクール・ガイ、ガーフィールドは豚みたいに太っていて、ダース・ベイダーは悪魔、というふうに。私は自分が普段から目にしているものから影響を受けています。ペプシやコカコーラもよくモチーフとして描いたりしますが、私たちはそういうものに囲まれて生活していて、実際、そういった日用品から離れることはできません。つまり、そこから抜け出せない、逃れられないのです」。

 人類が長い年月をかけて、発見と発明、共鳴と反発、侵略と植民、権力闘争と覇権争い、自由と平等をめぐる対立を繰り返し、歓喜と悲哀、熱狂と落胆の末にたどり着いた場所……ポスト・モダン、ポスト・ナショナル、ポスト・グーテンベルク、ポスト・ヒューマン、ポスト・9・11、ポスト・3・11……いまを生きる私たちは、いかに多くの“以後(post-)”を携えて生きていることか。まさに、いまもなお、そこから抜け出すこともできず、逃れられずに生きている。過去─現在─未来のつながりは、断続的であるように思える瞬間もあるが、やはりどこまでもつながっている。現代社会の優れた観察者のひとりであるところのバーンハートが、あくまでも画家として、アトリエや戸外で描き続ける“イメージの叛乱”は、決して子供じみたお絵かきではなく、狂気じみた“イメージの氾濫”に対する愛と憎しみが込められた同時代のポップカルチャーを再現/表象する風景画であり、肖像画なのだ。

無題 2018 キャンバスにアクリル、スプレー 23×30.5cm