レイヤーをつくり、削り取る
——まず、作品のコンセプトやテーマから教えていただけますか。
今回の展覧会タイトルになった「涟漪(リィェンイー)」という言葉は中国語で「さざ波」を意味しています。絵画というひとつの平面の上でエネルギーが動いていることや、いくつものエネルギーが一カ所にとどまらず様々なところに拡散していき、ときには壊れたりときにはぶつかったりするなどのような動きをイメージしています。
——とくに《Noise》(2018)は、ガラスとガラスが重なったような描写の作品ですが、これも重なり合う部分でそうした「エネルギー」を表現しているのでしょうか?
これは2枚のガラスが互いに寄りかかっている状態を表していますが、もともと脆弱な存在であるガラスには、寄りかかるだけでも不安定な要素があり、一部が壊れかけているところも描いています。また、2枚のガラスが重なることで、鋭い音が発生することも想像できると思います。そういったところで、ガラスというモチーフを選びました。
——そのとき、レンさんの言う「エネルギー」とは音に関する感覚に近いのでしょうか? また、大量の水が放出されているバケツが描かれた《Dyeing》(2018)という作品では、水が落下するときに発生する量的なエネルギーを表現していると言えますか?
その通りです。まずバケツからエネルギーがあふれ出て、水面に落下している様子を感じてほしいと思っています。画面を2等分し、上部は金属色、下部は緑色で半透明にし、これらのコントラストでエネルギーを表現しています。また緑色の部分は海ともとらえられるし、より大きな体積を持つ(純粋な)「水の塊」ととらえてもよいです。小さなバケツから流れ出た水がより大きな容積へと流れていくこと──この水の塊が押し寄せてくる瞬間、エネルギーが破裂する瞬間を描きたかったんです。
——そのいっぽうで、かたちから色彩に視線を移すと、グリーンやレッドなどの配色が多く使われている印象があります。レンさんの絵画にとって、色彩にはどのような意味がありますか?
グリーンとレッドを対照的に並べることも多いですね。僕としては、イヴ・クラインの色彩意識から強い影響を受けています。だから色を混ぜ合わせて使うよりも、既成の色彩を使いたいですね。
また、ポップアートやダダイズムの影響も強くあり、アンディ・ウォーホルやマルセル・デュシャンが取っていた態度にも強い関心があります。ウォーホルが持っていた工業製品に対する態度と、デュシャンが持っていたレディメイドに対する態度はともに禅的だと思いますが、例えばデュシャンは「遊ぶこと」「寝ること」「食べること」「買い物すること」などが絵を描くことよりも大切なことであって、そういった自由がとても大切だと説いていました。絵を描くことに対して真剣になればなるほど、緊張して身動きが取れなくなるときがありますが、逆にリラックスして身体を解放していくと、自ずと自然な状態が現れてくるというふうに考えています。
——どのようなプロセスで作品を制作されているかについてもおうかがいできますか?
初期はスプレーを使って作品していました。その際は、キャンバスに紙を貼り、スプレーを吹き付けて、アクリル絵具で描き、さらに絵具を重ねてもう一度スプレーを吹くという複雑な構造にしていました。ただ、今回展示している作品はキャンバスに紙を貼ってアクリル絵具で着色しているだけです。
——キャンバスに紙を貼る理由はなんでしょう?
まず、紙を貼ってレイヤーを堆積させ、ナイフで削り、表面を剥がしていくことが自分独自の表現になると考えています。紙を剥がし取っていくことで新しいレイヤーの存在感を産み出したいんです。ナイフは自分にとって筆のようなものであり、彫刻的な手法とも言えます。
——とくにトランプのクイーンとキングが描かれた作品は、表面が剥がされ、下の層が見えている部分が面白いと思いました。先ほどご説明していただいた《Dyeing》とはまた異なる印象を与えますね。
作品の始まりには偶然性が関わるものですが、それぞれの作品のあいだにひとつの概念によるつながりを持たせたいと考えています。ここでは、ある絶対的なものというよりも「ボリューム」を表現したいと思っています。また、どちらかというと堅牢なものよりも脆弱で壊れそうなものや、物体が滅びていくプロセスに興味があります。それが目指すべき表現ですね。
——先ほど「エネルギー」という言葉を使っていたことが印象に残りました。レンさんの絵画の中でエネルギーが発生している部分は、具体的にどの部分にあるか教えていただけますか?
例えばこの《Ripples》では、作品の中に矛盾する要素を織り込んでいます。白鳥が水面を泳いでいる様子を描いているのですが、本来は波紋を広げながらゆっくり優雅な動きで進むところを、その動きを分解して圧縮するというプロセスを含ませることによって、「広がる空間」と「圧縮する動き」という矛盾する要素を表現しています。
また、赤のみで窓を描いた《Beyond Order》は、カーテンの波や影がちゃんと描かれており安定感のある画面ではあります。ところが、糸のようなもので窓を開けようとする外からの力が加わっており、この秩序を破壊しようとしているんです。
——月が大きく描かれた作品も印象に残りました。
ありがとうございます。月は記号的なモチーフと言えますよね。これを見る人は、月の後ろにある青い部分を地球としてイメージすると思います。でも、そもそも地球と月では体積も大きさも違うので、これが地球なはずはありません。月食で重なっているように見えたとしてもです。だから僕がやりたかったこととしては、ほかの天体に見られる円環を描くことで、ここにもひとつの逆説を表したかったんです。この円環が存在することで、地球と月をひとつの空間に閉じ込めようと考えました。
世代感覚とパーソナルな表現
——これまで日本で紹介されてきた中国の現代アーティストたちには、政治的な表現やアクティビズム的な活動をしている方がむしろ多数派だったと言えます。でもレンさんの制作に対する取り組みは、そういった作家のものとは異なるようにも思いました。中国では、1980年代生まれのレンさんの世代はより上の世代のアーティストたちとどういった関係を結んでいるのですか?
僕たち80年代生まれの世代は、そもそも政治に関心が薄くテーマとして扱う作家も多くはありませんでした。たしかに、中国では60、70年代生まれのアーティストを中心に、2008年以前までは政治的なテーマが多数派でしたが、僕らから見れば、政治的なテーマはあくまで国内の「流行」でしかありません。そういう作品も、いまはどんどん消えつつあります。例えば艾未未(アイ・ウェイウェイ)のようなアーティストは最初からポリティカルなテーマを使っており、それが自身のキャリアの軸になっているので、それを貫いているだけだと思います。我々の世代はよりダイナミックな表現を志向していて、伝統的な手法を吸収して自分独自の表現に移行する人もいれば、もっと個人的な経験からテーマを見つけていく人も多くいます。
——最近の日本の若い世代では、アーティスト同士で集まってサバイブしていこうという動きが増えていっています。その根底には、経済的に、あるいは制度的な自由を求めて社会に対峙しようとする戦略が見えていますが、現代の中国の若いアーティストたちは、どのような戦略を取ってサバイブしようとしているのでしょうか?
中国のアーティストは、そもそも制度批判的な態度はあまり取っていません。仮に批判的な態度を取っていたとしても、それはあくまでひとつのポーズです。アーティストがコレクティブをつくってサバイブしていこうとする動きは中国でもあるんですが、どちらかというと共通の趣味を持っているとか、支え合うとかいった理由が多いので、本質的には個人で制作することとあまり変わりません。あるいは、「制度批判」といっても実際には美術館に対抗しているように見せかけつつも、体制に媚びている部分があるんじゃないかと考えています。
僕としては、例えば「作品を売るために制作をしていないのなら、なんのために絵を描いているのか?」ということをまず考え抜いてから制作を始めます。そして新しいものをつくることは、すでにひとつの「批判」を含むと考えています。例えば、伝統的な美徳や規範、カノンに対するものでもそれは「批判」と言えるんじゃないでしょうか。
——最後に、これからの制作や活動のビジョンをお聞かせいただけますか?
これまでの制作もつねに何かを捨てようとしてきたところがあって、なすがままにしています。なので、今後はもっと単純化していくような制作に取り組みたい。シンプルでわかりやすく、ストレートで純粋。しかし短絡的ではなく、ある程度深みを持つような作品をつくれるように、これからも腕を磨いていきたいです。