少し前、米『ヴォーグ』誌で白人モデルが日本人に扮したページが「文化の盗用」であるとネットを中心に米国内で炎上した。が、この映画を観れば、この出来事は、無知や無神経によるものではなく、むしろファッションの本質を問いたださんとする彼らの戦略ではないかと想像したくなる。
『ヴォーグ』がサポートするメトロポリタン美術館(メット)服飾部門が昨年開催し、大きな話題となった「鏡の中の中国」展実現までの舞台裏を描くこの映画が強烈に印象づけるのは、ファッションとは「ここではないどこか」を希求するものだということだ。それをロマン主義に接続して芸術として昇華し、歴史化しようとするのが、アレクサンダー・マックイーンの回顧展で一躍注目を集めたキュレーター、アンドリュー・ボルトンである。
絢爛豪華なオリエンタリズムに彩られたモードを中国美術と一緒に展示するという彼の野心は、各方面から「政治的に」問題があると指摘される。演出のウォン・カーウァイすら顔を曇らせるボルトンの挑発的なアイデアを、強烈な存在感で後押しし続けるのが、米『ヴォーグ』誌の伝説的な編集長で、メットの理事も務めるアナ・ウィンターである。烈女としてメディアにさらされてきた彼女が、「鏡の〜」展のモチーフであるハリウッド初のアジア人スター、アンナ・メイ・ウォンと、展覧会をパラフレーズするように鏡越しの関係として暗示されるくだりは興味深い。オリエンタリズムがいかに非対称な欲望の反映であるかは、もう少し掘り下げるべきテーマだっただろうが、そこを強調しすぎたならファッションの夢は醒めてしまう。
クライマックスは、展覧会のオープニングに際してウィンターがホストを務める服飾部門の資金集めのための壮麗なパーティ「メットガラ」。ここで『ヴォーグ』が最も輝いたゲストとして表紙に選ぶのがリアーナである。白人でも黄色人種でもなく、黒人のポップ・アイコンである彼女にオリエンタリズムの粋を尽くした中国の現代のデザイナーのオートクチュールのドレスを着せる、という高度に政治的な選択は、21世紀の今もファッションの夢を延命し続けようとする仕掛け人たちが放つ、ギリギリの戦いの一手である。
(『美術手帖』2017年4月号「INFORMATION」より)