ユネスコの「世界ミュージアム・レポート2021」によれば、昨年来、パンデミックという未曾有の事態から派生したグローバルなミュージアムのリスクとして、入場料収入の減少、国公立の場合は文化予算の削減による館全体の運営、収蔵品の保存修復、完全管理体制への影響が懸念されている。それ以外にも、昨年5月以降の米国におけるブラック・ライブズ・マター(人種差別撤廃運動)に起因するミュージアム組織内および展覧会コンテンツにおける多様性や包摂性への対応、デジタルコンテンツの展開など、パンデミック以前から注目されていたミュージアムを巡る課題が、急速に前景化している。これらの多くは2030年の達成を目指すSDGs(持続可能な開発目標)とも密接に関わる課題であり、近年グローバルに共有される意識改革の具体化を加速させるものでもある。世界中のミュージアムがその存在意義を問われ、存続のための方策を業界全体で考えざるを得なくなった今日、ミュージアム、あるいはより広義の文化セクターはいかに世界共通の課題を意識しつつ、ローカルな社会にコミットできるのかが、ますます問われていると言えるだろう。
こうした状況のなか、世界各地の近現代美術館を繋ぐネットワーク組織、CIMAM(国際美術館会議)はこの7月、「美術館実践における環境の持続可能性についてのツールキット」を発表した。
気候変動問題はSDGsでも主要課題のひとつだが、博物館・美術館界がこれにいかに対応するのかといった議論は、パンデミック以前にすでに始動していた。2018年9月にはICOM(国際博物館会議)が持続可能性ワーキンググループを立ちあげ、2019年のICOM京都大会「Museums as Cultural Hubs:The Future of Tradition(文化をつなぐミュージアム―伝統を未来へ―)」では、「博物館を通じて実現する持続可能な社会」がプレナリーセッションのひとつとなった。大会の決議でも「『我々の世界を変革する:持続可能な開発のための2030アジェンダ』の履行」が採択され、「知の源泉として地位を確立している博物館という存在は、コミュニティを活性化するうえで貴重な資源であり、すべての人にとって持続可能な未来を協業し形作っていくにあたり、国際社会を支える理想的な場所である」としている(*1)。
そのうえで、すべての博物館は、持続可能な未来をかたちづくるうえで果たすべき役割があることを認識し、この目標達成のために、「二酸化炭素排出量を含む環境への影響を認識して削減し、地球上のすべての住民(人間とそれ以 外の生き物)の持続可能な未来の確保に貢献することにより、 我々自身、来館者、そしてコミュニティによい影響を与える」ことを目指すものとされている(*2)。
大会後にはICOM-DRMC(博物館防災国際委員会)も新たな国際委員会として発足し、今年11月には年次総会が日本で開催される予定だ(*3)。新型コロナウイルス感染拡大は、気候変動に対応するこうした動きを一気に加速させた。なかでも、国際間の移動制限によってバーチャル・クーリエが飛躍的に浸透し、展覧会づくりにおいて海外のアーティストやキュレーターの渡航を前提としない設営が進められるといった変化は、パンデミック以前ではなかなか考えられなかっただろう。
CIMAMでは2020年に「美術館実践におけるサステナビリティとエコロジー・ワーキンググープ」を発足し、2022年までになんらかの「行動計画」を策定するために動いている。今回発表されたツールキットはそのための第一歩でもある。2021年3月にはメンバー向けのオンライン・ワークショップも実施した(*4)。
このワーキンググループをリードしているのはCIMAMの理事でテート・モダン館長のフランシス・モリスだ。彼女は「美術館の規模、中心的な関心や立地に関わらず、我々がともに行動することで格段に力強くなれる。もはや失う時間はないのです」(*5)と語る。実際、テート全4館(テート・ブリテン、テート・モダン、テート・セントアイヴィス、テート・リバプール)は、2019年7月、気候変動に対応することを宣言している(*6)。
テート・モダンはコロナ前には年間600万人以上が訪れていた巨大美術館であり、吹き抜けを含む大空間を維持するためにも、国立美術館としてナショナル・アート・コレクションを維持管理するためにも相当量のエネルギー資源を使い、これらの作品をグローバルに貸し出す際にも人と物の移動のためにエネルギーが消費される。気候変動問題にもっとも意識の高いアーティストのひとり、オラファー・エリアソンの個展「In Real Life」開幕にあわせたこの宣言では、彼の倫理的なコミットメントを起点に、テート4館が2023年までに二酸化炭素排出力を少なくとも10パーセント削減し、すべての展示室をグリーン電力に切り替えることを誓った。エリアソンはスタジオ全体で飛行機による移動や作品の空輸を極力削減する姿勢を貫いており、2020年に東京都現代美術館で開催された個展でも同様の対応がなされている。
テートは2021年1月、コロナ禍を反映して、クーリエに関する原則とガイドライン改定版を発表。作品の貸与および借用に係るクーリエはバーチャルを原則とし、コロナが沈静化して以降もバーチャルの優先を明言。その実現のために、輸送会社と事前にすべての移動経路や取り扱い方法を協議するなど綿密な確認を行い、実際のプロセスにおいては可能な限り写真や映像で記録を残すこととされている。既述のとおりバーチャル・クーリエは多くの美術館が採用せざるを得なくなっているが、テートのこうした発言が国際的にも従来の慣習に大きな変革をもたらすことになるだろう。
こうした動向を反映したCIMAMの「ツールキット」は、(1)即時対応可能な方策の事例、(2)サステナビリティのための行動計画、(3)カーボンフットプリント計算サイトおよび認証、(4)サステナビリティに関する地域別のコンサルタント、(5)文化セクターにおける気候変動問題に向けたプロジェクト、団体、リソースなど、(6)リーディング・リストという項目で構成されている。
[(1)即時対応可能な方策]は、展覧会制作、組織、運営の三項目に分類されているが、環境問題への対応という観点ではパンデミック以前から推奨されてきたものも含まれる。展覧会制作に関するものとしては、
- 展覧会会期を3ヶ月半以上に長期化する(保存修復上の懸念は別途検討)
- 地元のアーティストや収蔵品による展示を重視
- バーチャル・クーリエの採用
- 作品と環境の双方にとって最適な輸送方法を検証
- 海外作品を含む展覧会では、アーティストや外部キュレーターの招聘を控え、リモートでの設営を計画
- 展示台や額などの再利用。仮設壁やモジュール壁、床養生用ベニヤの再利用
- 展示用備品をリスト化し、展示デザインに際して有害物質を含まず、再利用可能な素材などのガイドラインを作成
- 環境問題への対応に関する意識喚起を目的にしたワークショップや研修を実施
- 家族向け、子供向け、障がい者向けなど対象に適したバーチャル学習素材の制作
などが挙げられている。
実際、パンデミックを受けて、美術館は果たしてどれほどの頻度で展覧会を開催すべきなのか、地球上を夥しい数の木箱(作品輸送用の)が展覧会のために移動していて良いのか、といった問いが生まれてきた。より多くの入場者数=収益といった価値観とは真逆のものだ。展覧会会期の長期化や、収蔵品および地元のアーティストの重視という観点は、パンデミックによる規制から生まれた発想だが、従来の展覧会制作の在り方を再考させているのは確かだ。いっぽうで、グローバルにつながる現代アートのネットワークは、1990年代以降に急増したビエンナーレやトリエンナーレなど国際展の機会に、世界各地のアーティストやキュレーターが実際に出会うことで構築されてきた部分も少なくない。そこでは言語化できないポジティブなエネルギーが生まれ、異文化の実感から新たなクリエイティビティが派生することも否定できない。困難な選択ではあるものの、考慮されなければならない視点だろう。
美術館の組織に関しては、
- リサーチや作品購入の際の実見を担当するリモート職員を雇用
- 「サステナビリティ計画」の策定に、美術館全職員が関与する
- スタッフ向けの研修会を実施し、専門家の助言を得、外部専門家へ調査を依頼
- 自館の展覧会や運営、施設管理に関するサステナビリティのパフォーマンスについて認証を取得
- 環境関連のプログラム制作や管理運営方法改変を支援するために、助成金を申請
といった項目が挙げられている。テートでも実際にロンドンに拠点を置かないアジャンクト・キュレーターの採用が始まっており、筆者が芸術監督を務める国際芸術祭「あいち2022」においても、世界各地のキュレトリアル・アドバイザーにリサーチを依頼することで、長距離移動なしにローカルな専門家の知見を集結させる方法を採用している。リモートワークの可能性が拡大した今日では、リモート職員という考え方には大きな可能性があるだろう。
運営および施設管理に関する項目は、長年自治体や民間企業で採用されている一般的なものも多い。
- 業務上の消耗品に関し環境に対する責任ある利用方針を確立
- デジタルコミュニケーションへ移行し、省庁への報告書など印刷物削減の方策を確立する
- コピーは必要最小限に(する場合は両面で)
- チラシ、葉書、招待状など印刷物による宣伝を削減
- 出版物の様式を再考。オンラインで購入可能なEカタログも視野に入れる
- 用途別の用紙の選択肢を定め、最も環境に優しい選択をする
- 印刷時にはエコインク、再生紙を使用
- ゴミの分別処理についての内規を制定
- 照明システムをLEDに。建物に太陽光発電パネルを設置
- レストランやカフェでのコンポスティング(生ゴミ堆肥化)
- レストランやカフェでのKm0(キロメートルゼロ)製品やベジタリアン・オプションの増加
- プラスチック・ゼロ。ビニール袋もエコロジカルなものへ
- ミュージアム、レストランやカフェでもペットボトルでなく水道水を。安全な水道水が得られない地域では、安全な水を供給し、ペットボトルを削減
- ゴミ・ゼロ。紙コップやプラカップではなく、一般的なカップを使用
- 駐輪場を整備し、美術館のスタッフや訪問者に自転車での移動を奨励
- 意識を共有するミュージアムや施設とパートナーシップを組み、資源の共有や再利用を促進
- 美術館のグリーンミッションの実現を支援し、環境問題への意識が高い官民の団体と連携
- 美術館周辺の緑地散水のために雨水タンクを設置。会場の緑地エリアの灌漑経路を再検証
- 季節に応じた水分供給量を制御し、充分な量を確保
- 廃棄物削減のために最も効果的な方法として、廃棄物を出さないことを意識する
といったものだ。ミュージアムに特有なものは、紙媒体による広報宣伝物の再考、照明のLED化、Eカタログの推奨などだが、博物館・美術館空間の照明や空調に要する膨大なエネルギーも含め、作品保護の観点も考慮しつつ、業界全体で対応していくことが求められるだろう。
[(4)サステナビリティに関するコンサルタント]や[(5)文化セクターにおける気候変動問題に向けたプロジェクト、団体、リソースなど]を見てみると、すでに美術館・博物館においてサステナビリティへの意識を高めるための動きが、世界各地で始動していることがわかる。CIMAMのツールキットでは英語言語のものを中心に掲載しているために情報に偏りがあることも否めないが、日本国内のミュージアムにおいても気候変動への対応は喫緊の課題であることは間違いない。日本ではSDGsはまだまだスローガンで終わっている、ミュージアムの現場では新たな対応をする予算的・人的余裕もない、という声もあるだろう。そうした躊躇を払拭できるよう、サステナビリティへ対応する事業への助成制度、美術館・博物館職員への研修なども含め、今後、文化庁、環境省、日本博物館協会、ICOM日本委員会、全国美術館会議、さらには展覧会を企画するメディア事業部、輸送業者、会場設営業者などが連携し、また気候変動に対する革新的なアイディアを持つ民間企業や起業家などとも協働しながら、具体的な指針について業界全体の議論を深めていく必要があるだろう。
*1──第25回ICOM京都大会2019 報告書 https://icomjapan.org/material/file/JP_ICOM2019_FinalReport.pdf(p.24)
*2──同上
*3──https://site2.convention.co.jp/icom-drmc2021/
*4──https://cimam.org/sustainability-and-ecology-museum-practice/cimams-workshop-on-environmental-sustainability/
*5──https://cimam.org/sustainability-and-ecology-museum-practice/we-can-be-so-much-more-powerful-if-we-act-together-whatever-our-scale-or-focus-or-location-there-simply-is-no-time-to-lose/
*6──https://www.tate.org.uk/press/press-releases/tate-directors-declare-climate-emergency