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2020.11.30

世界と関わるための窓を開く。中山佐代評 福留麻里『西の湖ほとりに教わるツアー』

「ボーダレス・エリア近江八幡芸術祭 ちかくのまち」のプログラムのひとつとして行われた、ダンサー・振付家の福留麻里による『西の湖ほとりに教わるツアー』。福祉施設で暮らし、幼少から毎日ヒモを振り続けてきた武友義樹とのコラボレーションから生まれ、西の湖の自然のなかで行われたツアーパフォーマンスを、舞台の企画・制作・記録を行う中山佐代がレビューする。

文=中山佐代

福留麻里『西の湖ほとりに教わるツアー』パフォーマンスの様子
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見えないしっぽで「勝手に」教わる

 「ボーダレス・エリア近江八幡芸術祭 ちかくのまち」(*1)のパフォーマンスプログラムとして開催された、ダンサー・振付家の福留麻里による『西の湖ほとりに教わるツアー』は、福祉施設で暮らし、幼少から毎日ヒモを振り続ける武友義樹とのコラボレーションをもとに制作されたツアーパフォーマンスである。

 会場は湖岸緑地西之湖園地。琵琶湖の内湖である西の湖の自然公園で、地元のご老人方が設置したという椅子があちこちに置かれ、ゲートボールや犬の散歩などで様々な人が訪れる憩いの場所になっている。

湖岸緑地西之湖園地 撮影=筆者

 パフォーマンスは定員15名のツアー形式で、企画者である社会福祉法人グローの自立生活支援員がガイド役となり、園地内を巡っていく。ガイドの手元には小型スピーカーがあり、福留が武友と過ごしたなかで「勝手に教わったこと」が短い言葉で流れる。例えば、「見えないしっぽで地面に触る」「しっぽでとらえた地面の感触を味わう」など。観客はそれをしても/しなくてもよいのだが、筆者はこの教えを気に入って、ツアー中に勝手に何度も行っていた。この振付とも言えるような言葉は、福留の活動「ひみつのからだレシピ」(*2)も彷彿とさせた。

 福留は観客から10メートル以上離れて踊る。フィジカル・ディスタンスを感じさせるような距離感に没入していくというよりは、西の湖の環境の一部として福留を眺めるような始まりだった。ボーダーのシャツにサーモンピンクのキュロットとスニーカー姿で遊んでいるような福留を土が少し盛り上がったところから見下ろし、見えないしっぽで地面の感触を味わいながら、コロナ以前であればもう少し近い距離が設定されただろうか、などとも考えていた。

 福留は自身の身長よりも長い、西の湖に群生しているイネ科の植物ヨシを振りながら西日のなかを進んでいく。ヨシは木をなぞるように、あるいは木々のあいだの空間を切るように振られる。パフォーマンスは16時開始であったので、まもなく日が暮れる。観客は湖の前の東屋に置かれていた明かりをひとつずつ持つようにうながされ、しばらく持って歩くと、地面の好きなところへ置くように言われる。観客は思い思いに地面や木の上に明かりを置いていた。

パフォーマンスの様子 撮影=筆者

 福留が湖のほうへ歩き出す。こちらを振り向き、長いヨシを横にし、地面にそっと置いた福留は、ゆっくりと西の湖に臨む。観客は福留の後ろ姿を眺めるかたちになる。写真はまわりの人の鑑賞の妨げにならないように気にしつつ撮影してもよいことになっており、野外であることも手伝ってかそれまでスマートフォンのシャッター音が鳴っていたが、途端に静かになった。十数人の気配が消え、自分のお腹のあたりが目の前の湖面のようにしんとする。鳥の鳴き声や、風でヨシがさやぐ音がすっと耳に入ってくる。魚が跳ね、湖の表面に波紋が広がる。コロナ禍で迎えた春、自宅にこもっているときに窓を開け、ガラス越しでは気づかなかった風や光の暖かさを肌で感じた記憶が蘇り、福留を窓のようだと感じた。

 また、ある瞬間には、ここからは見えない琵琶湖を思い出した。西の湖について調べたところ、昭和に干拓が行われる以前は、北側にも大きな内湖が広がっており、ほとんど琵琶湖の一部と言ってもよさそうな地形であったようだ。ふたつは現在も水系でつながっているため、生き物は行き来をすることができる。福留という窓は見えないものの像をも結ぶのだろうか。

パフォーマンスの様子

 湖の前から福留が去ると、ガイドが武友の暮らす湖北の福祉施設について話し始める。観客はここから40キロメートルほど離れた琵琶湖のすぐそばにある古い建物と武友の日々を想像する。

 山の向こうに太陽が沈んでいくのを感じながら、木製の橋を進むと、背の高いヨシ原が一面に広がる。その20メートルほど先で、先端に明かりが灯された長い銀色のモールが揺らめいている(*3)。福留の姿はヨシ原に隠れて見えない。モールは、観客というよりも武友に向けて振られているように思えた。武友さんはヒモを振って応えてくれているのだろうか?とふたたび頭のなかで湖北を訪ねていると、パフォーマンスの終了が告げられた。ヨシ原の向こうにいるはずの福留へ拍手を送り、観客は橋を渡ってもと来た道を帰っていく。橋の途中で振り返ると、銀色のモールは西日のなかで振られ続けていた。

湖岸緑地西之湖園地に揺れる銀色のモール

 後日、武友と福留のインスタレーションが展示されている「ボーダレス・エリア近江八幡芸術祭 ちかくのまち」の会場のひとつであるボーダレス・アートミュージアムNO-MAを訪れた。展示では武友がヒモを振っている映像が流れており、ヒモがモニターから会場へ延長しているかのようにコード類が地面を這う。50年以上振られているというヒモの波のような動きと、5メートルもあるヒモを丸くまとめる職人のような手つきに目を奪われた。武友はヒモの途中を結んだり、新しいヒモをつないだりと、自身のヒモを更新し続けているそうだ。振り続けるとは、振り直し続けることなのかもしれない。

ボーダレス・アートミュージアムNO-MA 撮影=有佐祐樹
武友義樹×福留麻里 ちょうどよい結び目をつくる ―武友さんのサークル 2020
撮影=有佐祐樹

 「知覚」と「近く」をテーマに、近江八幡という“町”を舞台とし、アーティストや地域住民、商店などが参加しながらつくられるこの芸術祭には、障がいのある作者の作品も出展されている。大きな特徴としては、鑑賞方法自体が持つ可能性への取り組みが行われていることが挙げられる。それはたんなるアクセシビリティの充実にとどまらない。触図や音声ガイドといったサポートツールが、作品自体やその鑑賞体験をも拡張しているからだ。

 例えば杉浦篤の作品は、自身が長い年月をかけて触ってきた、家族や友人たちと訪れた旅先でのスナップ写真だ。杉浦はとくに思い入れのある箇所を触ることから、写真表面の一部は摩耗して白い下地へ到達しており、何が写っているかは誰にも見ることができない。しかし、視覚に障がいを持つ人のために、写真に写っているものの輪郭を触ることができるレリーフが置かれている。ほかにもその摩耗した写真のレプリカや、写真の被写体に似た落ち葉、枝、石、海の砂などがあわせて展示台に設えてある。加えて、非接触で写真のディテールを拡大して見ることができるリープモーションを用いた展示も用意されている。

杉浦篤《Untitled》(1992)の展示風景 撮影=有佐祐樹
杉浦篤作品の展示風景 撮影=有佐祐樹

 また、本展に出展している平野智之の作品世界とリンクしたぬいぐるみ型の音声ガイド「美保さんガイド」も紹介したい。筆者が訪れた際も「今日は美保さんガイド借りられますか?」と受付で声をかけている来場者がおり、「美保さん」の人気ぶりがうかがえた。フェルトでつくられた「美保さん」を首から下げると、子供の頃にぬいぐるみを持ち歩いていたことを思い出し、各会場をともに巡ることにした。人工音声の「美保さん」の声は、掲示されているキャプションよりも平易な言葉で語りかけてくれる。

平野智之 美保さんシリーズ番外編 2019 撮影=有佐祐樹
「美保さんガイド」 撮影=筆者
キャプションに取り付けられた足のマークに「美保さん」の右足を近づけると音声が流れる 撮影=筆者  

 福留のパフォーマンスで流れた「見えないしっぽで地面に触る」「しっぽでとらえた地面の感触を味わう」という言葉について、福留は「地面をとらえるというのは、武友さんがヒモを振る前に地面にしっかり立っているなとか、手からだけど、ヒモがしっぽのように身体の一部に見えるとか。ヒモが地面に触れることで、その感触からヒモと地面の関係を得ている。そうやって世界と関わっているのではないか」と、パフォーマンスとは別の日に行われたトークセッションのなかで話していた。

 コラボレーションとは、相手とのやりとりのなかで言葉による合意を得ながら、ともに創作していく作業のことだと考えていた。しかし福留の場合は、武友が生活する福祉施設を訪れ、一緒に遊び、踊り、ヒモを振るときの武友の様子を見つめ、自身でもヒモを振るなど、どこまで踏み込んでよいか、相手はどうしたいのか、探り探りの非言語的なコミュニケーションを試みた。そして、武友と過ごす時間のなかで、「勝手に」教わったことから作品を立ち上げていった。ともに過ごした時間は、相手のことをよく見つめることからしか生まれないコラボレーションの出発点であると同時に、それこそが彼らのダンスだったのかもしれない。

 障がいを持つ作者とのコラボレーションや、障がいを持つ作者が創作したものを作品として展示すること、その表現を補うアプローチに伴う問題について、ここで触れる力を筆者は持ち合わせていない。しかし、白か黒かのラインを引き切ることなく、見えないしっぽで地面を探り続けるような関係性こそがボーダレスの領域なのではないか。そのように思うのは、福留の試みや、武友とヒモの関係をはじめ、この芸術祭のあちこちから世界と関わる方法を「勝手に」教わったからである。

『西の湖ほとりに教わるツアー』終演後の西の湖 撮影=筆者

付記:本テキストの締切日は11月13日だった。夕方までねばって編集部に送信した後、社会福祉法人グローの理事長がセクハラ・パワハラにより提訴されたことを、その日の昼頃に公開された記事で知った(*4)。グローはボーダレス・アートミュージアムNO-MAを運営する社会福祉法人であり、「ボーダレス・エリア近江八幡芸術祭 ちかくのまち」を主催するアール・ブリュット魅力発信事業実行委員会の構成団体のひとつである。記事を読み進めるにつれて、身体の奥が冷たくなっていった。具体的に記述された内容をなんとか読み終え、本テキストをどうするか数日逡巡した。公開することで誰かを傷つけはしないか。しかし、なかったことにする、という判断は、見えないしっぽで地面を探り続けることを止めることになるのではないか。私はこの芸術祭から何を「勝手に」教わったのであったか。そう思いいたった。グローがどのように対応していくのか、この件については今後も注視していく。

※編集部注:上記の訴訟の内容を踏まえながら、ミュージアムや出展作家の活動自体はこれらの問題と切り離して論じられるべきであると判断し、本稿を公開する。

*1──「ボーダレス・エリア近江八幡芸術祭 ちかくのまち」では、様々な人が作品を深く味わうための関連イベントや取り組みも行われている。https://www.no-ma.jp/town_of_perception
*2──「ひみつのからだレシピ」とは、振付家・ダンサーたちのからだへ向けたアイデアを「レシピ」というカプセルに詰めて、LINEやInstagram、noteなどを使い、社会に溶かし込むプロジェクト。福留とBONUS(ディレクター・木村覚)の共同企画。https://www.instagram.com/bonus6234/?hl=en
*3──「先端に明かりが灯された長い銀色のモール」は、特殊照明作家・市川平によるもの。市川は、10月10日〜11月23日に近江八幡旧市街や彦根市内で開催された「BIWAKOビエンナーレ2020」にも参加している。
*4──Business Insider Japan「障害者福祉の実力者が10年超にわたりセクハラ・性暴力。レイプ未遂や暴言に女性職員ら提訴」(最終閲覧日:2020年11月19日)
https://www.businessinsider.jp/post-224034?fbclid=IwAR33RdG_YvFDKrjS63ytrb-MCBsTxguvBBJ56Sf_vRMivRFfPadnlE3HitM