3密を回避するためのオンライン化が多方面で進んでいるが、美術館やギャラリーなどの空間で実際に絵画作品に対面することは、やはり何にも代替しがたい体験のひとつであろう。では、ものとしての絵画を見るという行為にはどんな可能性があるのだろうか。つくり手と受け手、両方の視点から考えるべく、美術家の梅津庸一氏を監修に迎え、企画から取材まで携わっていただいた。
梅津氏は今年6月に日本橋三越で開催された「フル・フロンタル 裸のサーキュレイター展」をはじめ、展覧会企画や私塾「パープルーム」とギャラリーの運営など、美術制度への批評性を含む活動を精力的に行っている。その原動力のひとつには、美術大学や批評の文脈では評価されない、あるいは美術館や画廊、美術メディアが取り上げないなかにも、良い作品というものは無数にあり、そこにいかにスポットを当てるか、という命題があるように思う。
一般に人々は既存の評判や与えられた意味によってのみ作品を理解しようとしがちだ。しかし鑑賞者が自ら面白さを見出せるような視点を持つことができれば、偏りがちな情報から多少なりとも自由になりうるのではないだろうか。そこでまずは多様な世代の、異なるテーマやスタイルを持つ作家たちに、どのように画面を構築していくのかを聞いた。制作過程におけるつくり手の視点をたどり、画面上の色やかたち一つひとつが、どのような思考と運動のプロセスを経てそこに置かれているのか。少し想像してみると、いままで見えていなかった造形の魅力が浮かび上がってくるはずだ。哲学者の千葉雅也氏はインタビューで、絵画を見る際に「絵筆の動きをたどることで、描くという行為を追体験することができる」と語る。美術や絵画を見るという行為を、原理的に解明されているので、ぜひ一読されたい。
いっぽうで絵画の価値は、美術史や批評、美大や団体展、画廊やコレクター、美術館などが相互に影響し合ってつくられていく。とくに日本独自の美術団体や美大は、日本の絵画人口を支える大きな基盤だ。価値形成の過程では個人的あるいは社会的な欲望や権力などあらゆる要因が入り混じり、それらの集積が美術の歴史を紡いでいくことから、各分野の現状と課題をレポートした。
多岐にわたる絵画の問題を網羅的に扱えてはいないが、ここで紹介した様々な眼差しを通して、絵画を見る面白さの再発見につながればと願う。
2020.11
雑誌『美術手帖』編集長
(『美術手帖』2020年12月号「Editor’s note」より)