発売中の 『美術手帖』2020年12月号は、「絵画の見かた」特集。
コロナ禍でオンライン化が進むいっぽう、人やものと直接向かい合う体験の重要さも浮き彫りになった。そのひとつが、「絵画を見ること」ではないだろうか。美術館やギャラリーなどの空間で、実際に絵画作品に向き合うことは、やはり何にもかえがたい体験のひとつだろう。
そのような状況において、「もの」としての絵画を改めてとらえ直そうという試みが本特集である。監修を務めるのは、美術家で私塾「パープルーム」を運営する梅津庸一。鑑賞者が自ら面白さを見出せるよう、つくり手と受け手、両方の視点から、様々な「絵画の見方」を提案している。
特集内には多数のアーティストたちが登場。まず青木陵子、大山エンリコイサム、梅沢和木、KOURYOUによる座談会「いかにして絵画は生まれるのか?」では、異なるテーマやスタイルを持つアーティストたちが、どのようにして自分なりの画面をつくりあげてきたのかが語られる。
続く座談会「絵画をどう判断するのか?」では、小説『げいさい』で1980年代の美術予備校の状況を描いた会田誠、現役の美術予備校講師である海老澤功、その教え子である西村有未が、自らの予備校での体験や絵画観について語る。
緻密な鉛筆画で知られる木下晋と、自死をテーマとする弓指寛治による対談では、それぞれの絵を描く必然性とそれを絵画へと昇華させる技術について、話している。
絵画制作の出発点である予備校や美大で「描くこと」がどのように教えられているのか、またそこでの問題点とは何かというテーマについては、美術界を舞台にしたマンガ『ブルーピリオド』の作者山口つばさが参加する座談会記事「美大で何を学ぶか?」にてより議論が展開され、教育現場の課題を浮き彫りにする。
「パープルームの絵画講座」では、実際に1枚の絵画ができるまでのプロセスを紹介。画面上の色やかたち一つひとつが、どのような思考と運動のプロセスを経て配置されているのか、つくり手の視点でたどることができる。
哲学者の千葉雅也はインタビューで、絵画を見る際に「絵筆の動きをたどることで、描くという行為を追体験することができる」と語り、絵画とは認知経験のプロセスの記録である、と説明している。「美術」とは何か?「絵画」とは何か?ということを原理的に説いているので、まずは本記事を一読することをおすすめする。
いっぽうで絵画の価値は、美術史や批評、美大や団体展、画廊やコレクター、美術館などが相互に影響し合ってつくられていく。とくに日本独自の美術団体は、日本の絵画人口を支える大きな基盤だ。価値形成の過程では個人的あるいは社会的な欲望や権力などあらゆる要因が入り混じり、それらの集積が美術の歴史を紡いでいくため、各分野の現状と課題がレポートされている。
ここで紹介されている様々な眼差しを通して、絵画を見る面白さや、いままで見えていなかった魅力が浮かび上がってくるのではないだろうか。