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「盲目の天才」は何を見、思うのか
映画 『僕とカミンスキーの旅』

『グッバイ、レーニン!』(2003年)で第53回ベルリン国際映画祭最優秀ヨーロッパ映画賞を受賞したヴォルフガング・ベッカーの新作『僕とカミンスキーの旅』が、4月29日よりYEBISU GARDEN CINEMAほかで全国順次公開される。

文=松田朋春

映画『僕とカミンスキーの旅』より© 2015 X Filme Creative Pool GmbH/ED Productions Sprl/WDR/Arte/Potemkino/ARRI MEDIA

 映画『僕とカミンスキーの旅』の主人公マヌエル・カミンスキーが、「盲目の天才」としてメディアと共犯的に名声を得ていくという設定は、聾者の作曲家・佐村河内守を撮った森達也監督のドキュメンタリー映画『FAKE』(2016)を思い出させる。まったく見えないわけでなくてぼんやりとは見える、という曖昧さも似ている。

 もうひとりの主人公ゼバスティアン・ツェルナーは、老いた芸術家の伝記を出版してひとやま当てようと企む、自称・美術評論家だ。ゼバスティアンの仕様もない妄想シーンが絶え間なく差し込まれ、やがて、どこまでが現実なのかわからなくなる。

 映画に内在するテーマのひとつは「老い」だ。『FAKE』では佐村河内の虚実がすべてを覆い、緊迫していた。もちろんドキュメンタリーとフィクションの違いはあるが、本作において虚実は、老いと諦念のなかで素通りされていく程度の問題にすぎない。登場する多くの老人は、ゼバスティアンの取材(あるいは観客)が期待するように単純に振舞ってはくれない。我々は老いることで、複雑なものを複雑なまま、受け入れられるようになるのだろう。

 達磨大師に弟子入りを断られてもすがりつく青年のエピソードは、カミンスキーとゼバスティアンの関係に重なる。大師が青年に対して言った「無をも捨てなさい」という教えは、この映画の重要なメッセージと言えそうだ。あえて単純化すれば。

映画『僕とカミンスキーの旅』より
© 2015 X Filme Creative Pool GmbH/ED Productions Sprl/WDR/Arte/Potemkino/ARRI MEDIA

 唐突に現れ不敵に消えていくホームレス役のドニ・ラヴァンは、相変わらずの存在感。アート界の大御所の写真で綴られるカミンスキーの捏造エピソードは、よくできていて、それだけでも楽しめる。展覧会のオープニングパーティーでのあるあるな展開や、映画『未来世紀ブラジル』(1985)のように多重する悪夢シーンなど、飽きさせない作品だ。

 私といえば、老年の佐村河内がカミンスキーみたいだったら、と想像して楽しんだ。彼にも、制作活動を続けてほしい。

『美術手帖』2017年3月号「INFORMATION」より)

編集部

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