|個人からチームへ。実践と定着の試行
——まず最初にEugene Kangawaさんの生い立ちから、現在の活動にいたるまでの経緯を教えていただけますか。僕はちょうど2010年くらいにアートフェア大阪で拝見した記憶が少しあるのですが......。ちょうど僕が1988年生まれなので、同世代としてゼロ年代や2010年代のタイムラインも共有していると思っています。
父親がニューヨークにあった書店のマネージャーだった関係でアメリカで生まれて、早い段階で帰国して、そのあとキリスト教系の学校に入りました。
領域的な話をすると、専攻していた現代美術内では未来派やシチュエーショニストに関して、また比較的すぐそばにスペキュラティブデザイン(思索的デザイン)がありました。それらを興味深く見ていたこともあり、はじめはアーティストと社会についてということを考えることになりました。
インスタレーションや映像もやっていたので、卒業してすぐに国内のプライマリーギャラリーに所属しました。チームだと短い時間でいろいろな人と接点を持つことができましたね。多くの企業も含めて研究者から、私が大学で教えた学生、ニューヨーク近代美術館のキュレーターたち、ガゴシアンやデヴィッド・ツヴィルナーのディレクターなど。領域や場所、あるいはクラス、年代など、彼らはまったく異なるわけです。
しかし、共通した何か明らかに新しい兆し——これはとても感覚的かつポジティブなものですが——を感じたこともあって、より深く実践に没頭していきました。
それで実践を続け、多領域での活動自体に強い興味があったわけではないのですが、結果的に様々な領域へと発展することになりました。正確な話は、秘密保持契約というものがあって文面には残せないのですが、たとえばそのなかには皆さんが知っている企業の人工知能とエージェンシーの方向を考えたり、都市計画のあらすじや、映像の新しい装置を考えたり、自動運転、バイオテクノロジーのあるべきかたちを細かく設計したり......。
そしてそれと同時に、現代美術が起点になっていることもあって、このわりと散らばっているように見える状態を、どう美学的な範囲に収められるかを考えていました。実践と定着に関しての試行を行ってきたというのがこれまでの経緯、ということになるでしょうか。
——ある種の「複雑化」の礼賛、多重レイヤー構造の提示は、じつのところそんなに難しい技術ではなく、むしろそうした豊かさをいかにシンプルな形態へとアウトプットするのかこそが問われるべきだ、というように以前おっしゃっていましたね。不定形なものに、おぼろげながらも輪郭を与えていく行為——こうした美術におけるフォームの重要性についてうかがえますか?
この話の背景には、「実践」と「定着」があると思います。
飛躍して言い換えれば、①未定着な状態と②崇高に近づくもの、あるいは①事実と作品(作品があった場合)が別の状態である場合と、②それらが同時に一致する場合、と言えるかもしれません。
①は極端に言えば「もの」がない場合もあり、ときに複雑なものが整理されずそれとなく展示される。いっぽうで②は、その行為や事実が作品そのものに表れていることに関しては、話題にされている方も多いと思います。
ただ、私はおそらくプラクティカルな側面から「実践」と「定着」を見ています。
たとえば①は、作品と事実が一致していないとしても、それがプロセスだったと言われて信用するしかない、もしくは不透明な部分も多い。事実だと言われても科学的な分析ができない。こういったものが増えれば増えるほど、証人が追い続けるのは物理的に厳しい。つまりアーカイブの前提に立った話ですね。また、物質のある作品なので、かたちのないものとは違って、ときに身軽ではなく、物理的な移動に関しても考える必要がある(そういう意味で、パフォーマンスなどにおいては、展覧会という装置が実践そのものとなるので、重要なものになりえるわけですが)。
これは、物質独自とその関係が持つ力などへの回帰という話でもなく、またプロセスやコンセプチュアリズムを破棄するというわけではないと考えています。実践≒プロジェクトに関しては没頭して続けることがまず重要だとして、いっぽうで同時にこれらを作品的な範囲にどう収めるか——つまりプロセスだけでもなく、完結しきるだけでもない同時的なフォームーこれは美学的な範囲でも、プラクティカルな側面からも、興味が持たれているのだと思います。
——では、具体的にこれまでの作品/プロジェクト(この2つにそもそも差異がある場合はそれも教えてほしいです)についてお話いただけますか。
今回の展覧会の話と連動しつつ、状態としては対極的な2つを挙げますね。
ひとつは、《Agricultural Revolution 3.0》です。構造的には有機的なものに見えますが、私たちはいくつかのシーンを物理的に起こした原寸大の模型としてとらえています。
全体の主題を端的に言えば、「バイオテクノロジーによって素材やエネルギーにスライドが起きた際に新たな農業都市は可能か」ということ。リサーチと接続しつつも、あくまで物質的な状態であることを重視しています。
このときは400平米程度の会場に、様々なリサーチ(註1)で得た技術に基づいた、農業廃棄物や構造タンパク質をもとにした新素材で構成された家具、衣服、照明、食物、期間中に生成される新素材、オープンソースの農業用マシンの小型農場などの、模型とオブジェクトの中間のものが、低い地点(地面から160〜180センチメートル程)からの視点に合わせて、生活の断片ごとに配置されています。
今回はこれのもととなる比較的大きなドローイングを展示しますが、ドローイングは模型の製図であり、また結果でもあります。
もうひとつ「White Painting」というシリーズについてお話します。
先に述べておくと、私たちはこの作品のことを、どちらかといえば「行為」ではなく「物理的なもの」としてみなしていました。
順序立てて説明すると、街を行く人に声を掛け、キャンバスに接吻をしてもらうというシンプルなものです。現在、アメリカ、メキシコ、台湾で行われており、多いと1日50人程度、これまでの合計参加者は600人を超えています(1枚のキャンバスにおおよそ50〜100人程度)。
鑑賞者にとってはこの作品はとてもシンプルに見えると思うので、いくつか見方を提供したいと思います。
おそらく想像通り、まずは現代性を表すものとしていろいろなことを考えるかたがいると思います。たとえば、グローバルレベルの大きなユニット(国家、宗教、種族、組織など)で起きる分断(ブレグジット、国境の壁、難民......)とはほぼ完全にパラレルに存在する、小さな共同体単位での可能性。
あるいは、写真を見て感づかれた方もいるかもしれませんが、ロシア正教やキリスト教でのイコンへの接吻-行為としては非常によく似ています。しかしこの作品にいるのは神ではない。
またはインタラクティブな平面作品。たとえばサラ・ロバーツ(サンフランシスコ近代美術館キュレーター)の論考では、ロバート・ラウシェンバーグの「white paintings」のことをインタラクティブなものとして解釈しています。
もしくは、唾液ですから、DNA、あるいはウイルスや細胞など、危うものととを考えることもできます。私が少し面白いと思うのは、人間の視力がもう少しよければ、何かがたくさん付いているように見えて、これは明らかにオブジェクトそのものに見えるだろうということ。これはジョークに近いですが。
あるいは、この接吻自体をひとつの「筆致」のように見ることも可能でしょう。
あとは建築や大規模なプロジェクトよりはるかに小さく機動的ですが、十分にその空間を行き交う人々に干渉しうることなどですね。
|1968年が意味するもの
——今回の展覧会「1/2 Century later.」について詳しくお聞かせください。本展では「1968年」がキーワードになりますが、この年についてはどういう印象をお持ちですか? 68年が美術/社会の複合体において重要だったことは非常に興味深いと思っています。
まず今回の展示については、噛み砕いていえば、破壊的イメージから再生的イメージへ移行する構成になると思います。
空間の中央には、誰もが知る1968年公開の映画の1シーン(破壊され風化した状態の彫刻)が、横10×高さ3メートルほどのガラスケースに入った作品を設置します。そしてその対角に、前述の「White Painting」という平面作品が置かれる。この2つが中心になると思います。
前者は、組み立てて壊されることを繰り返されたばらばらなものたちであり、人によっては9.11や災害的なイメージを連想するかもしれません。そのフィクションの模型を前景にし、奥の空間で後者がそれらを乗り越え、違うかたちで再結合していく、という構成です。
前者はある程度の質量を伴いますが、観念的にも空間的にも前景に過ぎず、重要なのはそこからの再生の在り方です。破壊の後には必ず再生がある。
1968年についてお話をすると、契機は上記の題材の公開年でした。作品自体は1年半ほど前に構想していたことでしたので、今回の展示の終了後数日で2018年を迎える、というタイミングは偶然なのですが、展覧会に対して“作品とはまた別の”可能性を開いておきたかったということもあります。
つまり、歴史言及することが直接の目的ではないので、じつのところ単独の作品としては、1968年にそこまで重みを置いていないのですが、いくつかのトピックを知りながら、この年付近は、現代とのつながりを見るうえでは重要だったのではないか、という簡単な推測を立てました。
父親が高校生のとき、積極的に学生運動に参加してたということを知り、少し調べていたんです。ベトナム戦争の北爆停止や、フランスの五月革命、プラハの春が(少し前には文化大革命も)あって、長谷川さんが先ほど仰った「社会の複合体にとって重要であった」というのはその通りだと思います。以前、ハラルド・ゼーマンがインディペンデント・キュレーターとなったのも1969年前後だという話もしましたね。
——僕も最近「態度が形になるとき」の再現展示の図録を改めて読んでいてひとつ気になっていることがあります。あの展示でロバート・バリーが会場であるクンストハレ・ベルンの屋根から放射性物質を放出するという作品を発表していました。40年後の2009年のインタビューで、彼は「それはまだあそこにある」と発言しています。ここには展覧会というタイムラインとは異なる時間の厚みがあるように思っています。
それは大変面白いお話ですね。拾えるセンサーさえあれば、この壁に数万年前/後だったかな、音が残っているかもしれない、というようなことを言っていた荒川修作の話とも近いかもしれない。
物語の話では、スタンリー・キューブリックの『2001年宇宙の旅』、フィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(ブレードランナーの原作ですね)の発表も同じ年で、以降のSFに影響を与えたことは言うに及ばず、同時にテクノロジーへのイメージをある程度決定づけた。全能で、強く不気味で、人間を超え得るものというモノリスも高度なコンピューター、人工知能に近いものでした。
当時からあと1ヶ月で50年が経つわけですが、当時の社会主義的、反体制的な運動と、昨今の動乱は繋がらなくもない。しかし、同時に手詰まり感もある。技術は人間と並行してながら単独で明らかに伸びたものの、悪い面も多くの問題がでてきた。明らかにいろいろと考えなければいけない地点にきています。
とはいえそこまで絶望的な感覚はなく、イズムや盲目的なテクノロジー信仰や脱して、絶え間ない実践(=作品)の中で新しい再生、希望のかたちを小さくてもいいので、見出していくことが重要なのではないかと思います。
——今年公開の『ブレードランナー2049』はご覧になりましたか? 僕にとって、今年ベストの映画で、映画というものが存在することがいかに幸福なことかを思い知らされるような体験でした。「現在」「映画で」つくる必然性を感じることができたことは、僕自身にとっても大変励みになりましたし、僕たちに大きく反省を強いるとも思っています。このあたり、Kangawaさんのプロジェクトはどのような応答をするのか、とても楽しみです。
ありがとうございます、期待して見たいと思います。『ブレードランナー2049』はまだ拝見していませんが、展覧会が始まり次第いきますね。
|装置としての「展覧会」と「未来」
——「展覧会」という装置をどうとらえていますか。ファッション、デザイン、映画、マンガなど様々な文化があるなか、あるいは様々な伝達手段(映画であればNetflixなどの展開)があるなかで、非常に制約が強い展覧会をあえて用いて作品を発表されることについて、どうお考えですか。
もともと外側にいることが多いためか、展示、あるいは美術の制約は、特段気になっていません。端的に言えば、作法を転回するのもとても面白いと思うのですが、とくにそれ自体をそこまで特別視しないという感覚ですね。むしろ展覧会という装置が、特別なものではなく純粋に分析する対象として、技術的に興味深いと感じている印象があります。
それと同時に、制約というのは重要なものであり、膨張を留めることもまた意図的なテクニックだと思います。空間の中ではあふれそうだとしても、物理的に留める道具としての展覧会装置という考え方ですね。
一方でいま、展覧会や美術館を決めるのはホワイトキューブや箱的な話ではなく、ソフトをやるところかどうか、になっていると思います。これは僕が生まれる前から、もう30年以上前からの試みだと思いますが、どんな場所でも——普通の家、狭い路地裏、倉庫——でも展覧会場になりうる。「ここが展覧会」と言えば、すぐにでも装置を起こすことができる。
では、どのような状態でも展覧会と呼べるようになるのかというと、それはまた少し違う。たとえば「VRや超高解像度カメラによって仮想的な展覧会空間ができるのか」と問われると、立場上、技術的なものに触れることが多いのでよく実感するのですが、それぞれの良さはあるものの、これらが生身のリアリティを超えられるとは思えません。あるいは、デジタル空間上での展覧会といった話も、本当の意味での均質化やフラットなリサーチには限界があって、いまのところは展示と同じようなことをディスプレイ上でやっているだけに過ぎない。もちろんひとつのメディアとしては面白いですけどね(たとえばいまドネーションを募っている「Contemporary Art Daily」など)。
——半世紀後の「2068年」についてはどのような展望を持っていらっしゃるかもうかがいたいです。先回りして書くなら、未来を現在化することなしに、未来を考えることは可能だろうか、と。
じつは「未来」という言葉が基本的には好きではなくて。そして未来予測というものは基本的にはアドホックかつ広告的だと考えています。便宜上使用するときもありますが、私たちにとっては地続きの現在であって、未来が突然表れてくるものではありません。未来を考えるわけではなくて、ある程度の指針のもとに、盲目的にやり続けることが正解であると考えています。
2068年に向けて言える数少ないことがあるとしたら、「未来は新しい」という志向は難しくなってくると思います。抜本的な新しさを求め続けるのは危険だと。なぜなら過激になっていく可能性を秘めているからです。アートはそれを抑える力、あるいは美しく過激になることが可能だと思います。
——ボリス・グロイスやジョルジョ・アガンベンが示唆しているように、真に新しいもの、あるいは大いなる変化みたいなものがあったとして、それは僕たちにとってパッとわかるような新しさや変化ではないのだろうという思いはあります。とはいえ、時間軸に対して垂直に立とうとする態度それ自体に僕は価値を見出すのですが。
そうですね。際立った新しさはなくとも、あるとしても緩やかな革命なのかなと。それは起きると思いますし、感知する側が大いなる変化を感じ取れるか、というのもまた重要だったりする。たとえばバイオテクノロジー分野での技術もまさしくそうで、内側で代替していくものが多いので、知覚的なインパクトはかなり少ないものも多いです。場合によっては機能的な面でも劣るかもしれない。
しかし、激流の中でも、積み重ねることによって少しずつ垂直の壁になる、というようなイメージをしています。
註1.リサーチではケンブリッジ大学やコロンビア大学、カンファレンスでは金沢21世紀美術館やOMA NYなどからゲストが参加。