|ドールに託す「人間劇」—森山亜希
森山亜希は、1991年埼玉県生まれ、現在は東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻に在籍し、今年春には大学卒業を控えているアーティストだ。ドールをモチーフにして、ジェンダーやイノセントの問題を想起させる「人間劇」を描くことで知られている。
まず「人間劇」を描くことについて、森山は次のように話してくれた。「リカちゃんやバービーなどの人形を使うことが多いんですが、そうしたモチーフは自分の実体験に基づいて選んでいます。モチーフが人形なので、作品には人形にしかできない動きを取り入れるようにしていて、たとえば《DOLLS: Play with Family》では、背中を向けたお母さん人形の顔がぐるっとこちらを向いています。また《Bath》という作品では、人形が自分の頭を取って洗っていたりと、人形ならではの人間劇を描くことで、ポップでありながら不穏さもあるような絵を描いています」。
そもそも、こうした人形を描くことの背景にはジェンダーやセクシャリティの問題に対する意識があった。たとえば、第3回CAF賞で山口裕美賞を受賞した《Wedding Doll I》という作品は、同性婚をイメージして描かれている。作品を描いた当時は、女児向けのおもちゃにジェンダーやセクシャリティの問題を重ねるという狙いのもと、あくまでそのためのアイコンとして人形を用いていたという。しかし、そのような社会問題に対する意識から少しずつ人形を使った人間劇を描くことへと移行していったきっかけには、《Gift》と題された作品があった。
「タイトルになっている「Gift」という言葉は、英語では「贈り物」を意味しますが、ドイツ語では「毒」を意味します。バースデーケーキは幸福を象徴しますが、そのケーキが崩された状態で母親から子供に差し出されていて、子供もそれをわかったうえで受け取っています。この絵画では、いびつな親子関係を表現することを狙っています」。
なぜ、森山はこうした不穏な様子を描くのだろうか? そのことについて、次のように語っている。
「人形を使った『ごっご遊び』」はポップさにつながりますが、それと反対にこれらの作品が不穏に感じられる背景には、自分たちが日常生活を送っているなかで体験する役割の押し付け合いを描いていることがあります。性別の問題に留まらず、家族間でも『親らしく』とか「子どもらしく』みたいな役割の押し付け合いがあり、そうした様子を描くことが『不穏さ』につながっているんです」。
森山の作品には、個人的な体験から明確なコンセプトを立ち上げ、比喩を通過させた上で作品に結晶化する視点が一貫している。今後はどのように世界を見つめ、絵画の世界へと「翻訳」していくのだろうか? これからの作品の展開にも期待していきたい。
|人間の自尊心を問う—皆藤齋
皆藤齋(かいとう・いつき)は、1993年北海道生まれ、現在は京都市立芸術大学大学院美術研究科絵画専攻に在籍しているペインターだ。自尊心を損なう行為や非道徳的な行為から生まれるナルシシズムをテーマに作品を制作している。
そういったテーマで制作するようになった理由について皆藤は、「そもそも私は小さいころから出来がよくなくて、器用でもないし頭もよくなかったんです。でもあるとき、逆にそのほうがカッコいいんじゃないかと思うようになりました。(そういう意味で)当時からナルシストのセンスがあったんです」と語る。
2017年のCAF賞(主催=現代芸術振興財団)に入選した組作品《セルフイリュージョン》は、皆藤の考えるナルシスト像を直接的に反映した作品である。「この絵に描かれている男性は、身体にベルトを巻いていろいろな物体とつながっています。それは傍から見ると意味のない行為ですが、彼にとっては意味もあるしルールもある。みっともない姿で自尊心をすり減らしてでも、恍惚を得るためにそうした行為を行っているんです。人間にとっては、そんな自慰的な行為は多かれ少なかれ必要なんじゃないかと考えています」。
また、彼女の絵画でしばしば登場するモチーフが排泄物である。これは、殺された神の死骸から食物が生まれてくるハイヌウェレ型神話から引用されているそうだ。
「インドネシア神話に、排泄物の代わりに宝物を出す女神がいたのですが、あるとき彼女は気味悪がられた村人の手で殺されてしまいました。その肉片からバナナなどの食物が生えてくるという神話なのですが、ここでは女性が作物を生む大地のメタファーになっています。そうした女神を殺すということは、大地を傷つけることであり、人間が農業を始めることでもあります。人が自らの手で楽園を殺すことで農業を始めて、楽園には二度と戻れなくなってしまうんです。大便はそんな農業の肥やしとして必要なものですが、これが人間が最初につくった文明のシンボルになるんじゃないかと考えました。そのいっぽうで、アートは文明が生み出した最たるものでもあるので、大便とアートはつながるんじゃないかと考えています」。
そんな皆藤も来年度に大学院を修了したあとはニューヨークに渡り、より大きなチャレンジをしたいと話す。
「日本のマーケットが小さいということもありますが、それよりも大きなフィールドで自分が通用するのかを試してみたいという気持ちがあります。散るなら早く散りたいので、鉄砲玉みたいに勝負を仕掛けて、死ぬなら死ぬ、生きるなら生きたいと思っています」。
そうした語りからはどこか達観した印象を受けたが、おそらくそれは、自信のなさゆえに大きな力を発揮することのできる「ナルシシズムのセンス」なのではないだろうか。これからの皆藤の活動にも期待していきたい。