既にウェブ版「美術手帖」では、ホイットニー・バイエニアルで展示されたダナ・シュッツの作品に関する問題と、メトロポリタン美術館に常設されるバルテュスの絵に対する抗議活動をレポートしたが、今年「検閲」の対象となったのはこれらの展示だけではなかった。
ジェームス・コーハン・ギャラリー「オマー・ファスト」展
(2017年9月16日〜10月29日)
ニューヨークでは、つねに各所で大規模な地域開発が行われているが、これによって地価が高騰、既存のテナントは撤退を余儀なくされ、従来のコミュニティーの解体が進んでいる。このような開発は、そのネガティブな側面も含め「ジェントリフィケーション」と呼ばれ、問題視されている。そんななか、ジェントリフィケーションが急速に推し進められる、ロウアー・イースト地区・チャイナタウンのジェームス・コーハン・ギャラリーで開かれたオマー・ファストの個展が地域住民から激しい非難を浴びた。
この展示では、ギャラリーの一部が、ジェントリフィケーション以前のチャイナタウンを想起させる、バスの待合所を模したインスタレーションに改装された。この作品に対して、「チャイナタウン・アート・ブリゲイド(CAB)」というアート集団が、地域住民への人種差別的表現であり、チャイナタウンに付随するネガティブなイメージをネタにした「貧困ポルノ」であると抗議。ジェントリフィケーションの一端をになうアートギャラリーで、非アメリカ人・非ニューヨーカーであるファストがこの地域の問題に触れる資格はないと訴え、展示の中止を要求した。
ファストは、作品が一部の観客に不快な思いをさせたことを詫びる一方で、十代の頃にイスラエルからアメリカに移住し帰化した自身の背景を説明、移民が抱える問題は他人事ではないと回答。「余所者であるファストにこの問題を語る資格はない」とするCABの主張に対しては、「右翼の人種差別主義者が口にするような言説が、ロウワー・イースト地区の左翼活動家から発せられることに驚きと不安を禁じえない」と反論した。ファストは、ギャラリーに貼られた抗議ポスターを会期中保持することを希望。ギャラリー側は「どのような意見も真剣に受け止め尊重する。作品に対しどのような解釈を加えるのも自由であるが、検閲や脅迫という形態には与しない」と表明し、展示を継続した。
グッゲンハイム美術館「Art and China after 1989」展
(2017年10月6日〜2018年1月7日)
グッゲンハイム美術館で開催中の「Art and China after 1989」展も、「検閲」の対象となった。天安門事件の起こった1989年から、北京オリンピックが開催された2008年までの中国現代アートを総括する大規模展覧会として、開幕前から注目を集めていた。問題になったのは、動物が用いられた、ペン・ユーとスン・ユアンの《Dogs That Cannot Touch Each Other》(2003)、シュー・ビンの《A Case Study of Transference》(1994)、ファン・ヨン・ピンの《Theater of the World》(1993)と《The Bridge》(1995)を組み合わせた作品。
開幕前から、これらの作品は「アートの名のもとに行われる動物虐待」であると動物愛護団体の批判を浴び、署名サイト「Change.org」で始められた作品撤去を求める運動は5日間で60万人分の署名を集めた。
この動きに対し、当初グッゲンハイム美術館はペン・ユーとスン・ユアンの作品を引き合いに出し、「アーティストがこのような作品を作った背景や、グローバル化がもたらす社会的状況、我々が共有する世界の複雑な本質について、アーティストがどのようなメッセージを送ろうとしているのかを考えてもらいたい」と展示続行の意志を表明していた。しかし事態は一転、会期直前にグッゲンハイムは、「執拗な暴力的脅迫行為が続いており、来場者、スタッフ、参加アーティストの安全を考慮した」として作品の展示を取りやめた。
スン・ユアンは、美術手帖の取材に対し、「アメリカでは中国と同様、“集合的無意識”と“ポリティカル・コレクトネス”が、非常に深刻な問題となっている。大衆の意見に左右されることなく、独立性を保つことができるのかは、美術館の存在価値を考えるうえで重要な基準である。作品の展示は、法に準拠しなければならないのか、あるいは一般道徳や慣習に迎合しなければならないのか。こういった問題はまだまだ真剣に議論されてはいない」とコメントした。
検閲行為に対する反応は?
今年持ち上がった、これらのアートに対する検閲問題は、『ニューヨークタイムズ』『ワシントンポスト』『LAタイムズ』などをはじめとする大手メディアで広く取り上げられた。物議を醸す作品に対して批判が集まるのは決して珍しいことではなく、議論を始めるきっかけとなるが、作品の撤去や破棄を求める「検閲」は、自分の意見を訴えることと、意見の異なる相手を黙らせることを混同した、容認し難い行為であるというのが大方の反応であった。
抗議者たちが、作者や作品の背景を深く知ろうとする努力をせず、作品に対して短絡的な判断を下し、インターネットを駆使して賛同者を集め、気に入らない作品を声高に制圧しようとする様子は、どの事例にも共通しており、現在のアメリカの姿を現していると言える。
なかでも、グッゲンハイム美術館が抗議団体の圧力に折れ、自己検閲行為に及んだことは、大いに危惧され、メディアは「グッゲンハイムはリスク回避に走るという、誤った決断を下した」と非難した。美術評論家のJJ・チャールズワースはCNNに寄稿し、「今回の一件は、西側社会において、公共の議論が近視眼的で不寛容になっていく状況を反映し、美術館のような文化機構にとって、例え観客が不快で受け入れ難いと感じる作品でも展示するという、多元論の保持が難しくなってきていることを示している」と危機的状況を訴えた。
アートへの「検閲」行為が加速し、開かれた議論を行うことが難しくなるなか、美術館の役割が改めて問われる時期が来ていることを感じさせられる1年であったと言えよう。