EXHIBITIONS

モディリアーニ ─愛と創作に捧げた35年─

2022.04.09 - 07.18

アメデオ・モディリアーニ 若い女性の肖像 1917頃 テート蔵 Photo © Tate

アメデオ・モディリアーニ 少女の肖像 1915頃 個人蔵

アメデオ・モディリアーニ トリヴァル夫人の肖像 1916頃 バーゼル美術館蔵

アメデオ・モディリアーニ 髪をほどいた横たわる裸婦 1917 大阪中之島美術館蔵

アメデオ・モディリアーニ 座る裸婦 1917 アントワープ王立美術館蔵
Photo: Rik Klein Gotink, Collection KMSKA - Flemish Community(CC0)

アメデオ・モディリアーニ エレナ・ポヴォロツキー 1917 フィリップス・コレクション

アメデオ・モディリアーニ 大きな帽子をかぶったジャンヌ・エビュエルヌ 1918 個人蔵

 大阪中之島美術館は開館記念の第2弾として、特別展「モディリアーニ ─愛と創作に捧げた35年─」を開催する。会期は2022年4月9日〜7月18日。

 ピカソや藤田嗣治らともに活躍し、エコール・ド・パリの一員として知られるモディリアーニは、1884年、イタリア北西部の港町・リヴォルノで生まれた。絵を学び始めたのは14歳の頃から。フィレンツェとヴェネツィアの美術学校に通い、1906年に21歳でパリに移ると、翌年、若い芸術家の作品発表の場であったサロン・ドートンヌに初出品した。1910年頃から彫刻の制作に集中するとともに「カリアティード」の連作を発表し、1914年頃には彫刻を断念し絵画制作に戻った。第一次世界大戦では兵役に志願するも健康上の理由で却下。1917年、画商ズボロフスキーと契約を結び、肖像画に加えて裸婦像の連作に着手、同年12月、生前唯一の個展をベルト・ヴェイユ画廊で開催した。1918年、戦火を逃れて恋人ジャンヌ・エビュテルヌとともに南仏に滞在。1919年パリに戻り制作を続けるが、 1920年に結核性髄膜炎のため、パリにて35歳で逝去した。

 モディリアーニは、祖国イタリアで学んだ堅実な絵画技法をもとに、アーモンド型の眼や細長い首をもつ人物像の個性的な作風を確立し、フォーヴィスムやキュビスムといった新しい芸術運動のいずれにも属さず、独自の表現様式を築いた。短い活動のなかで一貫して人物像の制作に取り組み、フォルムへの関心を追求し、モデルとなった人物の内面的な本質を鋭くとらえた。2020年に没後100年を迎えたモディリアーニだが、いまなおその芸術に注目が高まり、作品が愛好されている。

 本展は、2008年の回顧展以来、日本でモディリアーニの作品をまとめて展示する初めての機会。世界初公開の肖像画を含め、国内外のモディリアーニ作品約40点が集結し、その芸術が成立していく軌跡をたどる。

 モディリアーニは、パリ・モンパルナス地区で藤田嗣治をはじめとする日本人画家とも交流したいっぽう、日本の美術界でもモディリアーニの没後に関心が高まり、大阪中之島美術館が所蔵する《髪をほどいた横たわる裸婦》は1930年代に日本へもたらされた。本展では、大阪中之島美術館のコレクションを代表する《髪をほどいた横たわる裸婦》のモデルと同一の女性を描いたアントワープ王立美術館所蔵の《座る裸婦》が来日し、大阪で初めての競演が叶う。

 さらに本展はモディリアーニと親交を深めた芸術家の作品をあわせて展示し、大阪・中之島に「エコール・ド・パリ」の空間を再現。キスリングやパスキンらパリで活動した外国出身作家や、新しい流れを生み出したピカソやセヴェリーニなどによる多様な芸術の土壌にも着目する。

 モディリアーニと20世紀前期のパリで開花した芸術は、新時代の幕開けを迎える躍動感に満ちている。その豊かな醍醐味を、新たな船出を迎えた大阪中之島美術館で堪能したい。