EXHIBITIONS

泉太郎「電源」

泉太郎 フラジャイルGB 2021 © Taro Izumi

 アーティスト・泉太郎の個展「電源」がCAPSULEで開催中。奇しくも延長に継ぐ延長により半年以上にわたる開催となった本展は、現状における展覧会の時間の扱い方についての問いになるだろう。

 泉は1976年奈良県⽣まれ。作品の展開と同軸で研究を行い、その過程で発⽣する摩擦や⽭盾も含んだ作品は、隠されたルールや⼈間をかたちづくる環境についての批評となる。⾝体と映像や画像、⾳響などのメディア間の往来についての問いを、パフォーマンスや映像、写真やドローイングなど様々なメディアにより提⽰している。近年の主な個展に、「Pan」(パレ・ド・トーキョー、パリ、2017)、「突然の⼦供」(⾦沢21世紀美術館、2017)、「とんぼ」(Minatomachi POTLUCK BUILDING、愛知、2020)、「コンパクトストラクチャーの夜明け」(Take Ninagawa、東京、2020)、「ex」(ティンゲリー美術館、バーゼル、2020)などがある。

 本展は、2000年代制作の作品から、21年制作の新作「フラジャイルGB」まで、様々な手法を混在させてきた泉の映像作品にフォーカス。泉の最初期のヴィデオ作品約40点を中⼼に構成されたアーカイヴと、展⽰に関するスケジューリングのシステムが回路のように交錯し、展開される。

 大学時代に初めてビデオカメラを手にした泉は、内臓までも自作した人型モデル(素人モデルと名付けられた)に人間の日常生活におけるタスクを体験させ続け、ホームビデオのように記録した。現実を切り取り再⽣され続ける映像と、素⼈モデルの表面に残された、⽇々の体験の蓄積をあらわす⽣々しい痕跡、そして次元の異なる記録⽅法により⼈間を⼈間たらしめている要素を複層的に浮かび上がらせるとともに、⽇常に侵⾷し、消費し続ける映像メディアについて批評した。

 本展は⼊れ代わりながら⾝体を⽀え続ける内臓のように、映像と⼈間や⽣物を同じシステム上に並列し、⼀⾒不条理な考察のプロセスを提⽰。⼈間がつくり出した時間、⼈間の社会を規定している計画や予定のなかに組み込まれた展覧会の、「整えられた機能不全」についての観察の場を設ける。

「展覧会が器だとしたら、その器の内側には縄⽂⼟器の⽂様ような凸凹(でこぼこ)とした凹凸(おうとつ)が⼊り組んでいて鍾乳洞のよう。⼈の⽬に触れる時間とそれ以外の時間の落差がまずは凸凹の正体でしょう。平坦に滑らかに、光が引っかかったり影が染み付いたりしないように均された器の中で作品が浮かび上がる。

今⽇、あの展覧会に出かけることにした。休みの私が働いている作品の様⼦を⾒学に⾏く。OFFな⼈間が楽しむためのONな状態について、道すがら考え込んでしまう。そうするとやはり道に迷ってGoogleマップで仕切り直し、離れたり近付いたりしながらの道程は間延びして考えごとのチャンスとなり、ここから数回はマップを開くことになると思う。このまま私がたどり着けなくても作品はそこにあるのだろうか。今⽇は散歩に切り替えて展覧会は明⽇にしようという選択肢はない。明⽇は休めない。というか、今⽇は本当に休みなのだろうか、そして明⽇は本当に休みではないのだろうか。休みか休みではないか、まずはそれを決めようと上の空、道選びを疎かにしながらさまよって細かな凸凹に何度か躓く。液晶上のマップに⽬を落とすとS駅の路地裏にいるようだ。細かな凸凹は記されていない(泉太郎)」。

※会場2階の工事に伴う水漏れ事故により、本展の開催を一時中断。会場の補修後、2022年に再開する予定。「スケジュール」が肝となり展開していく展覧会だったが、予定と予定外の状況が混ざり合うかたちで、来年の再開となる。