EXHIBITIONS
太田喜二郎と藤井厚二
-日本の光を追い求めた画家と建築家
点描表現や印象派を日本にもたらした画家として紹介されてきた、京都の洋画家・太田喜二郎。点描表現で農村風景を描き、明るい作風で注目を集めたが、1917年頃より点描を離れて平明な洋画へと画風を変貌させた。近年は、そんな太田の点描画以降の活動や、幅広い人間関係、他分野との関係をひも解く研究が進んでいる。
2017年には、太田と京都帝国大学の考古学者・濱田耕作の関係を取り上げた「京都の画家と考古学—太田喜二郎と濱田耕作—」展(京都文化博物館)が開催。このほか、東洋史学者の内藤湖南や羽田亨など、大正期の太田が様々な研究者と密接な交流を持っていたことが判明。さらに、太田が京都帝国大学工学部建築学科の講師としてデッサンを教え、武田五一や藤井厚二などの建築家とも親しい関係にあったことが明らかになっている。
本展は、太田を研究する京都文化博物館と、太田作品を収集し、建築やデザインの展覧会を積極的に開催する目黒区美術館との共同企画。太田のベルギー滞在時の作品《サン・ピエール寺》(1910〜11)や長年所在不明だった代表作《赤い日傘》(1912)などとともに、モダン住宅を手がけた藤井の設計による太田邸やアトリエの模型、諸資料を展示し、2人の交流を紹介する。
2017年には、太田と京都帝国大学の考古学者・濱田耕作の関係を取り上げた「京都の画家と考古学—太田喜二郎と濱田耕作—」展(京都文化博物館)が開催。このほか、東洋史学者の内藤湖南や羽田亨など、大正期の太田が様々な研究者と密接な交流を持っていたことが判明。さらに、太田が京都帝国大学工学部建築学科の講師としてデッサンを教え、武田五一や藤井厚二などの建築家とも親しい関係にあったことが明らかになっている。
本展は、太田を研究する京都文化博物館と、太田作品を収集し、建築やデザインの展覧会を積極的に開催する目黒区美術館との共同企画。太田のベルギー滞在時の作品《サン・ピエール寺》(1910〜11)や長年所在不明だった代表作《赤い日傘》(1912)などとともに、モダン住宅を手がけた藤井の設計による太田邸やアトリエの模型、諸資料を展示し、2人の交流を紹介する。