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マックス・エルンスト

Max Ernst

 マックス・エルンストは1891年生まれ。ドイツ・ブリュール出身。ボン大学で哲学を専攻し、早くからジークムント・フロイトの研究にふれ、精神分析についての知識を得る。最初期の絵画は、フィンセント・ファン・ゴッホや、アウグスト・マッケを介して知り合ったロベール・ドローネーのオルフィスムなどから影響を受けて制作。14年に友人となるジャン・アルプと出会う。第一次世界大戦の従軍を終え、19年よりアルプらとともにケルンのダダ運動に参加。戦争を経験した人間の救済を新たな芸術に見出すというダダの方向性に共感する。

 同じ頃、キュビスムの「パピエ・コレ」と区別されることとなる「コラージュ」の制作を開始。その間、ジョルジョ・デ・キリコの形而上絵画を知り、夢幻的な作品に刺激を受けてコラージュとリトグラフからなる画集『Fiat modes pereat ars』(1919)を刊行する。エルンストのコラージュはアンドレ・ブルトンの目に留まり、22年にはパリに移住。詩人のポール・エリュアールのもとに身を寄せ、ブルトン主宰のグループに加わり、ダダからシュルレアリスムへの転換期に入る。24年、ブルトンが『シュルレアリスム宣言』を発表。「無意識」や夢からの連想にゆだねるシュルレアリスムの影響下で、凹凸のある素材に紙を当て、鉛筆などを用いてその質感をこすり出す「フロッタージュ」の技法を創始。また、ジョアン・ミロらグループに新たに加わった画家たちとの交流をきっかけに、フロッタージュを油彩画に応用し、キャンバスの絵具をパレットナイフで削り出す「グラッタージュ」の技法を生み出す。

 エルンストの作品の背景には、自身の強迫観念、とくに敬虔なカトリック信者だった父との関係や幼少期の体験がある。初期の代表作《エディプス》(1922)では、母の愛を独占したい欲求とそのために父に攻撃される恐怖という、フロイトの「エディプス・コンプレックス」でも説明される心理状況を、くるみ(性器の暗喩)や針に貫かれる指などで表現している。また少年期の体験として、飼っていた鳥が死んだ同日に妹が誕生した出来事は強く記憶に刻まれ、《花嫁の衣装》(1940)などの作中に、ロプロプ(鳥の王)と呼ばれる鳥人間を多く登場させている。鳥はエルンストの分身であり、時には自由への渇望を暗示するものとして表されている。26〜33年にかけては「森」のシリーズを制作。恐怖の対象であると同時に神秘的な引力を持つ森は、鳥に次いで重要なテーマだった。この頃、アルベルト・ジャコメッティとの交流をきっかけに、彫刻作品も手がけている。

 第二次世界大戦勃発に伴い、アメリカへ芸術家たちが亡命したことでシュルレアリスムは収束に向かう。エルンストもニューヨークへ逃れたひとりだった。ニューヨーク滞在時の40年代には転写絵とも訳される「デカルコマニー」の技法を取り入れ、無意識を可視化するような、偶然性から生まれるイメージを見出す。53年に再びフランスへ。54年、第27回ヴェネチア・ビエンナーレで絵画大賞を受賞。渡米前に不和からシュルレアリスムのグループを離れていたエルンストは同年、正式にグループから除名される。58年にフランスの市民権を取得。南フランス・セイヤンに移り、終の棲家となる。76年没。生前にエルンストはいくつかの著作や作品集を刊行しており、『絵画の彼岸』(1937)、コラージュ小説『百頭女』(1929)が主著に挙げられる。